File:050 不成立
「チッ……!!」
不快そうに舌打ちを漏らしたのは、片腕を斬り落とされたはずの香川だった。
悲鳴も、悶絶もない。
ただ、商談を邪魔されたビジネスマンのような、底冷えする苛立ち。
その切断面から溢れ出したのは、赤黒い鮮血ではなく、青白い放電火花と粘度の高い合成潤滑油だった。
「……サイボーグだと?」
シュウが低く呟く。
斬り落とされた腕の中身は、筋肉や骨の代わりに、高密度に凝縮されたサーボモーターと人工神経束がぎっしりと詰まっていた。
「やれやれ、これだから『ヒヨッ子』は困るんだ。
ビジネスの作法も、引き際の美学も持ち合わせちゃいない。
せっかく最高の舞台を用意して、前崎君を完璧な絶望に追い詰めていたってのに、それを台無しにしてくれるなんてね」
香川は背中越しにシュウを睨みつけ、吐き捨てるように悪態をつく。
彼の背後に、影の中から滲み出すように「シカリオ」たちが姿を現した。
「なんだ? 君たちは前崎の味方か? 法律を破り抜いてきたあの男に、今さら殉じようってのかい?」
「あ? そんな殊勝な理由でここに来たわけじゃねぇよ」
シュウは、返り血の混じったオイルを刀身から払い、再度、正眼に構えた。
「俺たちがここに来た理由はただ一つ。
助けを求めた仲間を――かつての『アダルトレジスタンス』の元メンバーを救い出すためだ。
……そして、俺たちは決めたんだ。
組織を復興し、もう一度、この国を立て直すってな」
シュウの宣言に、香川の瞳から余裕が消える。
「アダルトレジスタンスの名において、お前らクズはここで皆殺しだ」
「ガキだけの滅びた組織の幽霊が、粋がるんじゃないよ。 殺せ、シカリオ!!」
香川の怒号と同時に、虚空から数人の暗殺者が光学迷彩を纏ったままシュウへ肉薄する。
だが、その見えない凶刃がシュウに届く前に、空気が爆ぜた。
「――図に乗るなよ、羽虫共が」
ジュウシロウの放った、重厚な一撃。
拳が空を切った刹那、神経外骨格から放たれた衝撃波が球状に広がり、周囲の空間を物理的に「洗浄」した。
バリアに弾かれたシカリオたちの光学迷彩が、過負荷によってノイズ混じりに剥がれ落ちる。
「……ケン、お前の推測通りだ。
こいつらのタトゥー、メキシコのカルテル……『ロス・カタス』の連中だ」
「やはり……。しかし、不可解ですね。
なぜ極東の地でロシアのマフィアと中南米のカルテルが手を組んでいるのか。
利害関係が飛躍しすぎています」
「わからん。だが、理由はこいつらを痛めつけた後でゆっくりと考えればいいことだ」
ジュウシロウの背負う神経外骨格が、臨界点に近い駆動音を上げ始める。
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ケンがその「違和感」の正体に気づいたのは、シカリオと刃を交えた刹那、その褐色の腕に刻まれた歪なタトゥーを目にした時だった。
ジャガー、鷲、翼ある蛇ケツァルコアトル。
そして戦いの神ウィツィロポチトリ、太陽の石、さらには煙を吐く鏡テスカトリポカ。
アステカの神話体系が、おぞましい緻密さで全員の肌を埋め尽くしている。
ケンがどこでその知識を得たのかは、彼自身にもわからなかった。
ただ、かつてメタトロンによって流し込まれた「中華人民解放軍」の記憶の中で、この紋様に対する強烈な忌避感が刻まれていたのだ。
(――そいつらを殺せ。根絶やしにしろ)
本能が警報を鳴らす。
ケンは坂上との死闘で見せた「四足歩行」の獣じみた姿勢で地を這い、肉薄した。
標的は、シカリオの一人。
低空から、カランビット形態へと変形させた高周波ナイフを、喉元へ向けて一気に振り抜く。
しかし、その必殺の一撃は、相手の無造作に突き出されたコンバットナイフによって呆気なく受け止められた。
高密度振動を繰り返す高周波ブレードの直撃を受けても、その黒いナイフは火花を散らすだけで、欠けの一つすら生じない。
(DLCコーティング……!! 何者なんだ、こいつら!!)
外見上は、洗練された強化装備も、重厚な神経外骨格も纏っていない。
脚部に僅かなブースターが見える程度だ。
それなのに、この異常なまでの反応速度と戦闘精度。
生身の限界を超えた「化け物」の群れ。
一方、神経外骨格を扱う剣豪としての誇りを持つシュウもまた、未だかつてない苦戦を強いられていた。
シカリオたちは戦いの中で驚異的な速度でシュウの剣技を学習し、その一挙手一投足を「最適化」して押し返してくるのだ。
だが、そんな均衡を一人で暴力的に破壊していたのが、ジュウシロウだった。
「――面倒だ。まとめて砕けろ」
ジュウシロウは、襲いくるナイフの刺突を、あろうことか素手で掴み取った。
神経外骨格が悲鳴を上げ、摩擦熱で火花が散る。
そのままナイフを柄ごと握り潰し、驚愕に染まる敵の腕ごと、逆の拳をフルパワーで叩き込んだ。
至近距離から放たれた衝撃は、シカリオの頭部を、まるで限界まで膨らませた風船のように無惨に破裂させた。
その圧倒的な「不条理」を目にした瞬間、シカリオたちの動きが、初めて凍りついた。
「……契約不成立だ。これ以上の損失は、報酬に見合わない。離脱させてもらう」
リーダー格と思われる男が、冷徹に告げた。
「なんだと!? ふざけるな、金ならいくらでも払うと言っただろう!!」
香川が、今日初めて余裕をかなぐり捨てた怒号を上げる。
「『なんだ』はこちらの台詞だ。
これほどのモンスター共と相対するなどとは聞いていない。
……義理は果たした。行くぞ」
彼らは、床に転がる同胞の遺体すら一瞥することなく、影の中に溶け込むようにして消え去った。
「おい! お前ら!! 残りの連中に命じろ、全員を殺せぇぇぇぇ!!」
香川の悲鳴に近い命令が響く。客席に紛れていたロシアンマフィアの潜伏者たちが、一斉に懐の銃へ手を伸ばした。
だが、その悪あがきは、物理的な死よりも早く、電子的な沈黙によって封じられた。
「……今だ!!」
スピーカーから響いたのは、エルマーの凛とした声だった。
「Hound各員、全目標の制圧を開始!!」
避難施設にいた5万人の市民。
その膨大なデータの照会が、たった今完了したのだ。
エルマーは、マイナンバー登録データと現地の顔認証をリアルタイムで同期。
名簿に存在しない、あるいは「死んだはずの戸籍」を持つ潜伏者たちを一瞬で特定した。
銃の引き金に指がかかるより早く、壁面や天井から現れたHoundの自動掃討ユニットが、精密射撃でテロリストたちを無力化していく。発砲の機会すら与えられない、完璧な「掃除」だった。
「……さて」
戦場に訪れた冷たい静寂の中、ジュウシロウのドス黒い、底冷えするような声が香川に向けられた。
「香川と言ったか。お前が何者で、誰の手先なのか……一から十まで、じっくりと聞かせてもらおうか。
骨の一本も残らないほどに、な」
一歩、また一歩と詰め寄るジュウシロウの影が、アロハシャツの男を絶望の色に染めていった。
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「本当なんだって!! 俺は何も知らなかったんだ!! 信じてくれ!!」
「……その何も知らないの境界線がどこにあるのか、早く答えてもらいたいんだよね」
一ノ瀬の声は、冷え切った医療用アルコールの臭いよりも無機質だった。
彼のナイフの先が、小室組の若頭・小室怜の喉元に食い込む。
てっきり大元の若頭が小室麻帆と聞いていたが、こいつはどうやらその息子らしい。
世間知らずで我が儘。
そんな印象を初対面で一ノ瀬は思った。
じゃあ麻帆とやらはどこに行った……?
事態は混迷を極めていた。
背後にいたのはロシアンマフィアだけではない。
メキシコの残虐な麻薬カルテルまでもが、この狂った計画に一枚噛んでいる。
国籍も流儀も異なる異能の暴力集団が、なぜこの島国で手を取り合っているのか。
一ノ瀬の焦燥感は、ナイフを握る拳の震えとなって現れていた。
だからこそ、一ノ瀬は「人道」を捨てた。
バキッ!!
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
また一本骨を折る。
小室の四肢は、すでに逃走防止のために無惨な角度でへし折られている。
芋虫のように床でのたうつ小室の股を、一ノ瀬は容赦なく踏み広げた。
彼が手に持っていたのは、鈍い光を放つデュワー瓶(魔法瓶)だ。
なぜそんなものがここにあるのか。
小室が紛れ込んだのは、ドームの目と鼻の先にある一般病院だった。
現場では重傷者の処置をドーム内の救護所に集中させ、混乱を避けるために軽傷者は付近の病院へと振り分けられていた。
その病院の待合室は、溢れかえる負傷者を受け入れるための臨時医療区画として開放されており、あらゆる診療科の機材が緊急措置として廊下やフロアに集約されていたのだ。
それには皮膚科や内科、小児科なども含まれていた。
その喧騒の中に、それは「たまたま」存在した。
「冷凍凝固療法」
皮膚科においてイボやウオノメを組織ごと窒息死させ、根絶するために使用される、マイナス196度の冷たき神――液体窒素。
本来は平穏な診察室で、患者の皮膚を整えるために使われる慈悲の滴。
だが、一ノ瀬がそれを手にした瞬間、銀色のデュワー瓶から立ち昇る白煙は、逃げ場のない死の宣告へと変わった。
それは、病院という聖域において最も身近に存在する「最悪の拷問具」だった。
香川という男の映像が前崎から送られてきたことでさっき学んだ。
見よう見まねだが全く問題ない。
「……ひっ、やめろ、やめてくれ!!」
瓶から溢れ出した白濁とした冷気が、床に這い、小室の股間を優しく、そして致命的に撫でる。
一ノ瀬は一切の躊躇なく、その極低温の液体を小室の急所へと、一滴、また一滴と滴下した。
「あ、あああ……っ!! ギャアアアアアッ!!」
熱い。
あまりの低温は、脳には「極限の熱」として誤認される。
細胞内の水分が瞬時に氷晶へと変わり、組織を内側から爆発的に破壊していく感覚。感覚が失われる直前の、逃げ場のない激痛。
その凍りついた部位を、もし一ノ瀬がナイフの柄で軽く叩けばどうなるか。
先ほど香川が見せた「氷細工の壊し方」を、小室は嫌というほど理解していた。
「わかった!! 話す、全部話すから!! 止めてくれ、それだけは勘弁してくれ!!」
かつての「極道」としての矜持も、若頭としての威厳も、液体窒素の冷気の前では無意味だった。
失禁し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに歪めて許しを請うその姿は、ただの「壊れかけた肉の塊」に過ぎなかった。




