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【☆5.1万PV】アダルトレジスタンス   作者: オレノマツ
第二章 国家騒乱編

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File:049 想定外

前崎は、己の致命的な想定ミスを血の臭いの中で痛感していた。


効率こそが正義だと信じていた。

地域の不穏分子、犯罪の芽を持つ「怪しい人間」は、徹底的なスクリーニングによって更生施設へと送り込んだ。

起訴すれば確実に黒に塗りつぶせる確証がある者だけを狙い撃つことで、この国を劇的に、そして急速に浄化できると確信していたからだ。


例えそれが同胞であろうと、外国人であろうと、社会の摩擦係数を上げる存在は排除すべきノイズに過ぎなかった。


だが、彼は焦りすぎていたのかもしれない。


自分はHound(ハウンド)という数の暴力と無賃で動く絶対的な牙を操り、完璧な警護網を築いてきたという自負があった。

追加して鋼の統制と高度なAIによる監視。

それによって、目に見える犯罪は統計学上の誤差にまで抑え込まれた。


さらに、禁忌とも呼ぶべき兵器を投入することで、大国ロシアの誇る海軍すら赤子の手を捻るように壊滅させた。

荒れ狂う北の海を炎で焼き尽くし、強襲してきた艦隊を海の藻屑に変えたあの瞬間、前崎の力は頂点に達した。


だが、その絶対的な勝利が彼の視界を曇らせた。


「なぜ、想定しなかったのか」


Hound(ハウンド)というシステムを上回る、圧倒的な「個」の武力。

そして、国家の倫理や損得勘定など微塵も持ち合わせない、純粋な凶暴性を抱えた外敵。


彼らが、正規の空路を嘲笑うかのように、密航や不法入国といった野蛮な手段でこの国を侵食し始めていることを。

秩序という檻の中で牙を研いできた前崎にとって、檻の外からやってくる本物の「獣」の理不尽さは、あまりにも想定外だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ドーム地下の巨大避難施設。

そこは本来、7万人の市民を収容し、最短で3日、配給を極限まで切り詰めれば5日間は生存を保証するはずの鉄壁の揺りかごとも呼ぶべき代物だった。


だが今、その静寂は薄氷を踏むような緊張感に支配されていた。

薄暗い通路の隅で、一人の男が何の脈絡もなくピストルを一般人に向けて構える。

しかし、引き金に指がかかる前に、背後に潜んでいたHoundの隊員がその手首を叩き折った。


「……これで、23回目だ」


通信機越しに吐き捨てられる疲弊した声。

避難開始からわずか2時間。

この密閉空間には、外の世界以上に濃密な悪意が渦巻いていた。

前崎政権に反旗を翻すシンパ、工作員、あるいはパニックで理性を失った暴徒。

金属探知機による検問は押し寄せる人の波によって実質的に機能不全に陥っており、武器の発覚後に力ずくで抑え込むという後手の対応が、隊員たちの精神を確実に削り取っていた。


だが、地獄の蓋が開いたのは、そんな「想定内」のトラブルではなかった。


「お、ここだね?」


重厚な防音ドアを軽快に蹴開け、アロハシャツの男――香川が姿を現した。

あまりに場違いな風貌に、一人のHound(ハウンド)が「逃げ遅れた客か」と声をかけようとする。

だが、言葉が形になるより先に、隊員の視界から自分の胴体が消えた。


香川は何もしていない。


首が跳ね、血が噴き出す暇すら与えない。

明らかに手馴れていた者の犯行だった。


一人、また一人。

ドンドンと音を立てて、訓練された兵士たちの首が無機質な床を転がっていく。


それは何者かが波のように迎撃していった。


「敵襲! 第四区画、迎撃しろ!」


ようやく事態を察知したHound(ハウンド)たちが、統制された動きで香川を包囲しようとする。

だが、彼らの銃口は即座に凍りついた。

香川が迷うことなく、近くにいた老いた観客を「盾」として掴み上げたからだ。


「さあ、撃ちなよ。正義の味方なんだろ?」


香川は楽しげに笑いながら、盾にした人間の肩越しに銃を構え、銃を構えHound(ハウンド)の頭を貫く。


その後ろではシカリオが光学迷彩でHoundをおもちゃのように殺害していた。


光学迷彩を見破るサーモグラフィも、この熱帯のような人混みの中では意味をなさない。

7万人の体温が混ざり合い、視覚情報のすべてが全く当てにならない魔境と化していた。


惨劇はそれだけにとどまらなかった。

元から善良な客として紛れ込んでいた潜伏者たちが、香川の乱入を合図に一斉に蜂起したのだ。

ある者は服の裏から取り出した自動拳銃を乱射し、ある者は隠し持っていたナイフで隣に座っていた見知らぬ他人の背を刺す。


それらは暗殺や破壊といった「目的」を持った行動ですらなかった。

ただ、この閉鎖空間に混乱を満たした無差別で無作為な暴力が起こっていた。


「しょ……処理しきれない!!

 どうなっている!?」


モニター越しに叫ぶ司令官の悲鳴。

前崎が築き上げた、論理と効率による治安維持システム。

その完璧なはずの計算式の中に、バグともいえる人間の無限の狂気が流し込まれていく。


「サイコハザード」


それはパニックの連鎖を表す指数であり、後の監視社会で日常用語になる言葉である。


この、計算不可能な地獄を止める術を、秩序の番人であるHound(ハウンド)たちは持ち合わせていなかった。

死の波は、地下深くへと確実に、そして冷酷に飲み込んでいった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「やあ。前崎君。聞こえるかな?」


高宮が震える手で掲げたタブレットから、場違いなほど軽快な声が流れる。

映像の中では、アロハシャツの男――香川がレンズを覗き込んでいた。


高宮はこの10分間、ただ前崎の猛攻を耐え抜き、逃げ回り、ただ時間を稼ぐことだけに全神経を注いでいた。

その代償は小さくない。


愛用のスナイパーライフルは前崎の足で粉々に粉砕され、顔面は裂け、首筋からは鮮血が滴っている。

国家のリーダーでもあり個人で最高戦力である前崎の本気を受けて、生きて立っていること自体が奇跡に近かった。


だが、その10分という空白が、取り返しのつかない絶望を招いた。


「私は香川というものだ。

 ロシアンマフィアの一翼として、この美しき日本で細々とビジネスを営んでいる者だよ。

 この放送は高宮君のデバイスだけに限定しているが……どうやら無事に届いているようだね。

 失敗したら全国放送に切り替えるつもりだったが、あまり顔を晒したくない性分でね。

 助かったよ」


香川は画面の向こうで、友人に対するような親しげな笑みを浮かべる。


「さて。私の目的は極めてシンプルだ。

 君との『取引』だよ、前崎総統。

 簡単に言えば、我々ロシアンマフィアの商売に便宜を図ってほしい。

 具体的には麻薬の国内流通許可証。

 それから……日本製の新鮮な臓器を海外へ卸すための特別ルート。以上だ」


「……取引と言うからには、見返りがあるはずだな?」


前崎の声は極限まで低く、鋭い。

だが、香川はその殺気すら楽しげに受け流した。


「おぉ、いいね。流石は冷静な男だ。

 ええ、もちろん用意しているとも。

 見返りは――この避難所に収容されている5万人の命だ。

 私の要求が1分遅れるごとに、彼らを10人ずつ”処理”していこうと思う。

 ちなみに、殺し方はこうだ」


画面が切り替わる。

拘束されたHound(ハウンド)の隊員が、タトゥーの男たちに押さえつけられ、膝をつかされていた。

台の上に載せられた彼の右腕に、一切の躊躇なく液体窒素が注がれる。

凄まじい冷気が肌を焼き、凍傷を超えて細胞が瞬時にガラスのように硬化していく。

隊員の喉から、人間のものではないような苦悶の咆哮が漏れた。


「見ておきたまえ」


香川が金属バットを手に取る。

ゴルフのスイングでもするかのような軽い動作で、凍りついた腕を叩きつけた。


鈍い音ではない。

まるで巨大な氷柱が砕け散るような硬質な音が響き、生身であったはずの腕が、数千の破片となって床に飛び散った。

その絶叫は、断末魔という概念すら生ぬるい。

映像を通して伝わるその「音」は、シェルターに閉じ込められた5万人の観客の心を、文字通りへし折った。


恐怖に耐えかねて逃げ出そうとした客の一人が、画面外からの乾いた銃声で頭を撃ち抜かれ、泥のように崩れ落ちる。


「あぁ、困った。最初の一人に液体窒素を使いすぎてしまったよ。

 このペースでは100人程度しかこのやり方で殺せないようだ」


香川はわざとらしく考え込むフリをし、それからポンと手を叩いた。


「そうだ。優先的に子どもから始めよう。

 さあ、早く決めてくれ。

 私はやりたくてウズウズしているんだ!」


前崎は、絶句していた。

想定外。あまりに稚拙で、それゆえに回避不能な純粋なる悪意。

突入部隊を送り込んだところで、数秒の遅れが子どもたちの叫びに変わる。


前崎は生まれて初めて、自分の思考が「パニック」という泥沼に飲み込まれていくのを感じていた。

そんな前崎の狼狽を、地に伏した高宮が嘲笑う。


「ククク……あんたに……そんな表情ができたなんてな……!

 いい気味だぜ。

 法を、秩序を、自分の都合で破り抜いた感想はどう――」


高宮が言葉を紡ぎ終えるより早く、前崎の足が高宮の顔面を無慈悲に踏み抜いた。

理屈ではない。

剥き出しの感情に任せた、ただの暴力だった。


その様子を、画面越しの香川は見逃さなかった。


「おっ! 動揺しているねえ! いいのかい?

 人口一億人のうちのたった1/2000程度の5万人じゃないか。

 合理主義者の君なら切り捨てられるはずだろう?

 そう思ったけど……いやあ、助かったよ。

 君がそんな甘い男で」


香川の笑い声が、スピーカーを割らんばかりに響く。


「だってそうだろう?

 ここにいる連中は、君の『法破り』に拍手を送るために集まった賛同者たちだ。

 法を無視して正義を成す君を肯定するなら、法を無視して利益を貪る我々も肯定してくれなきゃ筋が通らない。

 彼らは、君の鏡なんだよ」


5万人の観客は、沈黙した。

香川の指摘は、あまりに残酷で、あまりに正論だった。


「で……? どうすんのさ、前崎ちゃーん!?」


言葉が出ない。

かつて、テロリストの要求に屈し、主権をあっさりと受け渡そうとした旧時代の政治家たちを、前崎は「無能」と切り捨ててきた。

だが今、その呪いが自分に返ってきている。


正義のための殺人は許されるのか。――否。

正義のための犯罪は許されるのか。――否。


手段を選ばぬ「正義」が、どれほどの破滅を招くか。

前崎は、自分の行いが、この「地獄の門」をこじ開けたのだと改めて気づかされた。


「進むも退くも……地獄か?」


それは、独り言のような、弱々しい吐露だった。


仕方ない。覚悟を決める。

俺はこの5万人を犠牲にする。


この犠牲者たちは将来の日本の必ず礎とする。


前崎が絶望ともいえる覚悟の淵でデバイスを破壊しようと手を伸ばした、その時。


画面の中の香川のニヤけ面が、唐突に凍りついた。

次の瞬間、鮮血がカメラを汚し、彼の「手」が腕から離れ、宙に舞った。

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