File:048 シカリオ
「……無駄な抵抗? どの口がそれを言っている」
シュウの瞳の奥で、静かな殺意が沸騰した。
目の前の中年男が、ただの命知らずなのか、あるいは救いようのない道化なのか。
判断を下す時間は不要だった。
疑わしきは、斬る。
だが容易に踏み込めばなぜか罠に嵌る気がした。
ジュウシロウと同じ感覚だ。
念のため、警戒に刀を抜いた。
空気を切り裂く金属音が響くが、香川は眉一つ動かさず、アロハシャツの裾を揺らして鼻で笑った。
「まあ、そうなるよね」
「……あんたも、こいつの首にかかった賞金が目当てか」
ジュウシロウが前に踏み出し、重苦しい溜息をつく。
だが、香川の返答は三人の予想を遥か斜め上から踏みにじるものだった。
「ん? それなら先ほど解除されたぞ。
前崎総統とやらがすべて奪っていった」
「何だと!?」
三人に戦慄が走る。解除? なぜこのタイミングで。
「どういうことでしょうか。説明を」
ケンが鋭く問い詰める。香川は面倒くさそうに頭を掻き、残酷な真実を淡々と告げた。
「単純な話さ。
前崎とそこの刀が戦った時、システムが死亡判定を下したんだよ。
機械仕掛けの銀行口座は、対象の死亡を確認した瞬間にロックを外す。
前崎はその一瞬の隙を見逃さず、全額を自分のもとへ送金させた。
まあ生き返ったと分かった瞬間さらにロックがかかったらしいがな。
後の祭りさ」
「あの……! クソ野郎が……!」
シュウの喉から、怒りと屈辱の混ざり合った呻きが漏れる。
「ならば聞きたい」
ジュウシロウが香川を射抜くような視線で睨み据えた。
「なぜロシアンマフィアが今さら日本を襲う?
これは日本全土を巻き込んだ侵攻なのか?
それとも日本に対する復讐か?」
「買い被らないでくれ。
いくらマフィアといっても、この国を正面から攻め落とす力なんてないさ。
表向きはホワイト、裏はグレーに……それが我々の流儀だ。
目的は単純。前崎と”取引”がしたいだけなのさ」
「……取引だと?」
「彼が総統とやらに就任してからというもの、我々のビジネスがてんで上手くいかなくてね。
少しばかり、便宜を図ってもらいたいのだよ」
「ビジネス?」
「ああ。主な商品は麻薬……それと臓器かな?」
その言葉が落ちた瞬間、シュウの導火線が焼き切れた。
思い出すのはカジノ都市シンフォニアで見た臓器のない子どもの死体たち。
薬でトリップして殺された母親。
「――死ね」
迷いなき一閃。だが、香川が驚愕に目を見開いた刹那、シュウの刃は「虚空」から現れた何者かの手によって物理的に静止させられた。
「おい、もっとスマートにやるんじゃなかったのか?」
香川が腰を抜かさんばかりに後退る。
シュウは戦慄した。
刀を受け止められた事実よりも、その男がそこに「現れる」までの気配が、塵一つ分も感じられなかったことに。
「……何か地雷を踏んだようだ。悪い、しくじった」
ジュウシロウが即座に右拳を床へ叩きつける。
凄まじい衝撃波と共に、球状の電磁バリアが展開された。
「三人……!? 囲まれているぞ!!」
バリアの衝撃に弾かれ、輪郭を現した襲撃者たち。
目出し帽で顔を隠し、コンバットタンクトップを纏った彼らの腕には、禍々しいタトゥーが刻まれていた。
ケンがその紋様に目を留める。
「アステカ文明……?」
「おい! こいつら、ここで全員斬るぞ」
シュウが警戒を最大に引き上げる。
だが、香川は手でそれを宥めた。
「まあ待て。お前たちは金が欲しいんじゃないのか。
何のために中国と組み、前崎とも裏で通じている?」
「中国は前崎を殺せば金が手に入る。
前崎は――ただ、俺たちが殺したいだけだ」
「では目的は一致しているじゃないか。共闘すればいい。それで何か不都合があるのか?」
「アダルトレジスタンスはそもそもそういうお前らに対して無力な国に対して組織したんだ。
例え間接的とはいえ、子供を道具にする連中を野放しにはできねえ」
シュウの冷徹な言葉に、香川は心底理解できないといった様子で首を傾げた。
「ん? 臓器売買のことを言っているのか。……あぁ、なるほど。そうか」
香川の瞳から軽薄さが消え、底知れぬ深淵が覗いた。
「偶々同じ国で生まれたの人間の命を、仲間だと思い込んでいるのか?
浅い。浅いよ、君たちは。
この世はビジネスだよ?」
それは、人間を単なる「資源」としか見なさない、闇の住人特有の蔑みだった。
「いいだろう。君たちの狭い正義では、我々の理想は体現できないかな?
引こうか、"シカリオ"。……期待外れだ」
香川の合図と共に、暗殺者たちは霧が晴れるようにその場から消え去った。
「待てシュウ!!対策もせずにやつらと交戦するのは危険だ!」
ジュウシロウが怒鳴る。
後に残されたのは、重苦しい沈黙と、シュウの鞘に収まらぬ殺意だけだった。
「……どうしますか、これから」
ケンの低い声が、戦いの余韻が残る重苦しい空気を切り裂いた。
シュウは鞘に収めたばかりの刀の柄を、指が白くなるほど強く握りしめている。
その瞳には、霧散した暗殺者たちへの、そして彼らを操る香川への烈火のごとき嫌悪が宿っていた。
「決まっている。
前崎との協力関係など、今の話を聞く前ですら反吐が出る代物だったが、あいつらは別だ。
あんな連中は生かしておけねえ」
「シュウ殿、怒りはもっともです」
ケンが冷徹な声で嗜める。
「ですが、感情で刃を振るえば目的を見失います。
我々の真の標的は前崎です。
クズを掃除して回るのが、今の我々の最優先事項ではないでしょう?」
「俺の目的は、子供を道具にするようなクズを殺すことだ。
それだけだ。
対策しない国と堕落していくリーダーもな」
シュウの鋭い視線がケンを射抜く。一触即発の気配。
二人の間に流れる火花を散らすような緊張感を、ジュウシロウがパンパンと手を叩いて霧散させた。
「喧嘩はやめろ。……とりあえず、今ので奴らの意図は透けた」
ジュウシロウは顎に手を当て、香川が去り際に残した言葉を反芻するように続けた。
「奴らは前崎を嵌めるために動いている。
麻薬に臓器売買……地下社会の腐った部分を煮詰めたような連中だ。
香川の口ぶりからして、俺たちのことを金で中国に雇われ、前崎とも組んでいると思われているみたいなだな」
「確かに。あのアロハ男の目には、俺たちが正義や信念で動いているとは微塵も映っていなかった。
ま、世間からみたら俺たちはそんなもんか」
シュウが同意する。
今回の彼らの立場は、中国と日本との親善試合に随行する武官、という極めて政治的なものだった。
本来の目的は、表向きには両国の友好を深めること。
だが、その裏では、恩人である梁智衡への義理を欠いてでも前崎を討つという、裏切りの筋書きが用意されていた。
脳裏に、病床を理由に欠席した梁智衡の穏やかな顔が浮かぶ。
彼はこの殺戮の場にいないが、会場には依然として中国の外交官たちが詰めかけている。
「それでも、俺たちの当初の目的は変わらない。
前崎を討つよりも優先順位が変わった。
アダルトレジスタンスの元メンバーの行方を追うこと……。
実際、エルマーとも接触できたんだ。
ん?……待てよ?」
ジュウシロウがふと思い出したように、ポケットからクシャクシャになった紙切れを取り出した。
第2回戦の終了時だった。
抱きしめるように渡してきた紙だった。
そこには、走り書きのような、しかし整然とした数字の羅列が記されている。
「ジュウシロウさん、それは……?」
「エルマーから密かに渡されたものだ。
おそらく、連絡先だろう。
……かけてみる価値はあるか?」
「……やってみよう。とりあえず現在の状況が知りたい」
ジュウシロウが電子デバイスを操作し、その数字を入力していく。
静まり返ったフロアに、呼び出し音が響く。
――プルル……。
一回、短い呼び出し音が鳴り終わるかどうかのタイミングで、回線が繋がった。
『……誰?』
耳を疑うほど、掠れた、しかし聞き覚えのある声。
「俺だ。ジュウシロウだ」
『ジュウシロウ……? なぜ、この番号に……』
「お前が渡した番号だろうが。
……エルマー、今どこにいる? 合流できるか?」
しばしの沈黙。
受話器の向こうから、激しい銃声と、何かが崩落するような轟音が漏れ聞こえてくる。
『……頼みがある。……助けて、ほしい』
その震えるような悲痛な訴えが、ジュウシロウたちの迷いを断ち切った。
前崎への憎悪も、マフィアへの憤りも、今はすべて後回しだ。かつての同胞の危機。
それが、彼らの次なる行動を決定づける羅針盤となった。




