File:043 銀次
「そういえば、まだあんたの名前を聞いてなかったな。何者だ、お前」
坂上は、テーブルナイフとは思えない鋭い断ち切りを紙一重でかわしながら、無人の客席を縦横無尽に駆け回る。
相手の攻撃は苛烈だが、坂上の目にはまだ「余裕」の色があった。
彼はただ逃げているわけではない。
この狂った状況の全容を把握するため、目の前の異形から情報を引き出し、同時にいつでもソウを援護できる位置をキープしていた。
(……まあ、かつて俺を袈裟懸けに斬りやがったクソガキを助けるのは、虫唾が走る作業だがな)
そんな毒づきを脳内で完結させた瞬間、ターミネーター然とした男がナイフを振り切り、ピタリと足を止めた。
重機のような静寂を経て、男はようやくその重い口を開く。
「……銀次。そう呼ばれています」
「銀次、か……。聞いたことがあるな。
どこだったか……」
「ひと昔前、裏社会の端に名が残っていたかもしれません。
今となっては、ただの時代遅れの人物ですがね」
銀次はゆっくりと坂上へ歩を進める。
そして、真夏の日差しを遮るように着込んでいた重厚なロングコートを脱ぎ捨てた。
そこに現れたのは、もはや「人間」とは呼べない鉄の塊だった。
坂上の記憶が蘇る。
「……思い出した。
小室組の最終兵器とかで話題になった『サイボーグ銀次』か。
脳と脊髄以外のすべてを機械にすげ替えたという……」
「正確には、小室組には客分として身を寄せていただけですがね。
所属という縛りは好まないので」
「逮捕されたと聞いていていたんだがな」
「前崎政権による混乱に乗じて、どうにか這い出しましたよ。
頭さえ無事なら、身体などいくらでも替えがきくのが、この肉体の唯一の利点ですので」
「おい!クソザル制度じゃねーか!前崎さんよぉ!!」
仕切りなおすように銀次の体の機械の隙間からプシューという排熱の蒸気が立ち上る。
「まぁ……なるほどな。事情はわかった。
で、お前はただの陽動係だろ?
お前の言葉を信じるなら、ここでお互いに消耗するのは損だ。
どうだ、ここで手を打たないか?」
「……提案の意図は?」
「見ろよ、あっち」
坂上が顎で示した先では、符宵がソウと手を繋ぎ、何事もなかったかのようにスタジアムを後にしようとしていた。
遠くから見れば学生同士の帰り道にしかみえない。
「陽動が目的なら、あいつらが消えた時点でもう十分だろ。
大人しく消えてくれねーか?
まあ適当にその辺遊んどいてくれや」
「…………」
銀次は数秒の間、思考回路を沈黙させた。
そして、冷徹な機械音のような声で断った。
「お断りします」
「……なんでだよ。割に合わねえだろ」
「武人として、あなたと全力で戦いたい。
……理由はそれだけです」
「なんだそりゃ。前科持ちのサイボーグが、今さら騎士道精神か?」
「……否定はしません。
私は、この肉体になって以来、思い切り戦うという自由を奪われてきた。
加減を誤れば、相手をただの肉片に変えてしまう。
私の力に耐えられる人間など、この世にはいなかった」
銀次の黄金色の瞳が、一層強く輝く。
「だから、羨ましかった。
このフィールドのシステムが。死しても瞬時に再構築されるこの空間なら、私は初めて全力を出すことができる。
壊すことを恐れず、ただ一人の戦士として果てることができる」
坂上は何も言わず、その独白を受け止めた。
「……それが成り立てば、満足して一般人には手を出さない、と信じていいんだな?」
「ええ。私の役割はHoundと幹部クラスを釘付けにすること。
それさえできれば役目は全うしたことになります」
「……後の人生はどうするつもりだ?
逃げ切ったとしても、そんな体じゃメンテナンスも大変だろ」
「実は、この生命維持装置の設計者は、かつての『不動産屋』傘下にいた技術者でしてね。
予備のパーツは、あともう一つ。
それが尽きれば、私の全機能は停止します。
前崎総統が『不動産屋』を根こそぎ掃除してくださったおかげで、私の主治医たちは今ごろ、更生施設の最深部ですよ」
銀次の言葉には、悲哀も、ましてや前崎に対する恨みもなかった。
それは、寿命の尽きかけたバッテリーが残量を淡々と表示するように、ただ確定した未来を述べる機械的な事実の羅列だった。
「……なるほどな。要するに、畳の上で死ぬ気はねぇ。
最高の死に場所を探しに来たってわけだ」
「小室組の世話になった方からの依頼でしてね。
戦って死ねるのであればなんでもよかったのですよ。
終わった後は肉なり焼くなりなんでもしてもらって構いません.。
このまま死を待つよりはよっぽどマシです」
銀次の黄金色の瞳が、最期の輝きを放つように瞬く。
坂上はふう、と長く、重いため息を吐き出した。
「わかったよ。
そこまで俺と殺し合いたいってんなら……最高のステージを用意してやる。
少し待ってろ」
坂上が懐から電子デバイスを取り出し、特定の暗号回線を開く。
『おい、聞こえるか?』
「そんなことをしなくても、すぐ傍にいますよ。坂上さん」
背後から、一切の気配を感じさせない無機質な声が響いた。
そこに立っていたのは、Hound <No.34> こと桃井春奈。
かつて殺し合い、なぜか俺に世話を焼く係に任命された女だ。
「……相変わらず暇だな、お前。なんでこんなところにいる?」
「あなたの監視が私の現任務ですから。
野放しにすれば、あなたがどこへフラフラと消えるか分かったものではないので」
「そりゃあどうも。で、今の話、聞いてたか?」
春奈は感情の欠落した瞳で銀次を一瞥し、それから坂上に向き直った。
「あの再構築フィールドのシステムを、個人的な決闘のために占有したい……そう仰るのですね?
全く、国家元首が今まさにテロリストの襲撃を受けているというのに、現場指揮官になられる方が何を言っているのです?
状況を理解していますか?」
「あぁ、アイツの課題だろ? そんなもん、俺の知ったことか。
俺は今、目の前の客の終活を手伝うので忙しいんだわ。
つーか、残業にもほどがあるだろ」
坂上の投げやりな言葉に、春奈はわずかに沈黙した。
「……了解しました。
幸い、システムの起動はすぐできます。
Houndで共有されているので。
ついてきてください。
それと事後報告に関してはしっかり書いてくださいね」
「へいへい」
そう言い残すと、3人はドーム中心部のフィールド制御ユニットへと、滑るような足取りで向かっていった。




