File:039 第3回戦④
荒い息を吐きながら、シュウは機能不全に陥った神経外骨格を、文字通り引き剥がすように脱ぎ捨てた。
重厚な装甲が地面に転がり、乾いた音を立てる。
そこに現れたのは、強化スーツすら脱ぎ去った「完全な生身」の少年だった。
だが、その身体はもはや少年のそれではない。
浮き出た血管が全身を網目状に走り、ドクンドクンと暴力的な鼓動を刻んでいる。
おそらくジュウシロウと同じく肉体に何らかのギフトを受けているのだろう。
「よくも……ここまでやってくれたな……!!
泥沼の斬り合いといこうぜ、前崎ィ!!」
シュウが地を蹴る。
対する前崎もまた、合理的判断に基づき、ショートを起こした外骨格をパージした。
もはや、この戦場に「文明の盾」など存在しない。
それでも前崎は容赦なく六連発のリボルバーを放つが、その弾丸はシュウの影を追うばかりだ。
神経外骨格の照準サポートを失った前崎の腕は、蓄積した衝撃で僅かに震えていた。
気づけば、間合いはシュウの長刀の圏内。
前崎は咄嗟に振られた長刀をナイフで弾き飛ばす。
残されたのは、左腕と両足、そして互いの殺意のみ。
ハイテクの粋を集めたはずのバトルフィールドで、時代錯誤な肉体同士の激突が始まった。
『おいおい、なんて泥臭い勝負だ!!
お互い装備はボロボロ、もはや原始時代の殺し合いじゃねーか!!』
『双方、ここまでの衝撃で平衡感覚すら失っているはずです。
立っていることすら奇跡……もはや技術ではなく、ただの精神力の削り合いですね』
『オーディエンス!! 全員声を出せ!! 歴史の目撃者になれッ!!』
ウォォォォォォォォォ!!
スタジアムを埋め尽くす怒号のような歓声。
その狂乱の中、少年と男はひたすらに刃を交わし続ける。
だが、決着の時は残酷な形で訪れた。
火花を散らしながら、シュウの高周波ブレードが、耐用限界を迎えて粉々に砕け散ったのだ。
ここにきて、前崎が「ナイフ」を選択していた利点が牙を剥く。
長刀という重量物は、高周波振動を維持するためのエネルギー消費が極端に激しい。
一方で、小振りなナイフは効率性に勝り、最期の瞬間まで「武器」としての機能を維持していた。
ここまで狙って、前崎は武装を選んでいたのか。
シュウは心の中で毒づいた。
「くっ……!!」
エネルギーのカートリッジを交換する暇など、前崎が与えるはずもない。
シュウは意を決し、刃を失った柄を捨てて「素手」で突き進んだ。
重心を極限まで低く保った、クラヴ・マガ仕込みの殺人的なフック。
だが、現実は残酷だ。
どれほど鍛え上げられた拳であろうと、鋼鉄の刃を持つ人間に生身で勝つ術はない。
前崎のナイフが、吸い込まれるようにシュウの首元へ突き刺さった。
ゴボリ、とシュウの口から血が溢れる。
確実に、頸動脈を貫通した。
(――まだだッ!!)
死を確信したはずの瞬間、シュウの瞳に更なる狂気が宿った。
首にナイフが深く刺さったまま、シュウは痛覚を彼方へ吹き飛ばし、渾身のアッパーを前崎の顎に叩き込んだ。
「ガフッ……!!」
脳を直接揺らされた衝撃が、前崎の全神経を強制終了させる。
砕かれた顎が嫌な音を立て、視界は瞬時に無機質な白に染まった。
崩れ落ちる前崎。
その上に、獣の如き執念でシュウがのしかかる。
「死ねッ……死ねぇッ!!」
言葉にならない咆哮とともに、シュウは折れた拳を振り下ろした。
ゴッ、バキッ、ドスッ。
もはやそれは拳闘ではない。
岩石で石像を打ち砕くような、凄惨な破壊の音。
骨が軋み、肉が弾ける感触がシュウの拳に伝わるが、彼は痛みなどとうに置き去りにしていた。
だが、意識が遠のいていく。
鮮やかだったスタジアムの色彩が急速にセピア色へ褪せ、世界の輪郭が溶けていく。
一発ごとに、腕の重みが増していく。
やがて、振り上げた拳が重力に抗えなくなった。
シュウの首に深く刺さったナイフから、温かい鮮血が止めどなく溢れ出し、コンクリートの乾いた大地をどす黒く染め上げていく。
シュウは勝利を確信することもなく、ただ、燃え尽きた灰のように前崎の体の上で力尽き、力なく横へと転がった。
スタジアムを支配したのは、これまでに一度もなかった――墓場のような異質の静寂。
数万の観衆が息を飲み、ただ二つの「動かぬ肉塊」を見守る。
『……りょ、両者……ダブルノックアウトかぁぁ!?』
震えるスピットファイアの宣言が、虚空に響く。
誰もが、この凄絶な相打ちで幕が降りたと思った。
――だが、その沈黙は暴力的に破られた。
「……ガッ……ハ……ッ!」
横たわっていたシュウの肉体が、無造作な蹴りによって無慈悲に跳ね飛ばされた。
転がったシュウの傍らで、泥の中から這い上がる悪鬼の如く、前崎英二がその身を起こしたのだ。
全身を返り血で染め、砕かれた顔面を深紅に塗り潰しながらも、男は天を突くように右手を掲げた。
その瞳には、なおも周囲を支配する冷徹な光が宿っている。
『け、決着ゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
地獄の淵から這い上がり、最後に生き残ったのは日本の総統!!
前崎英二ィィィィィィッ!!!』
刹那、スタジアムは爆発した。
それは純粋な勝利への称賛ではない。
目前で繰り広げられた、生物の限界を超えた屠り合い――そして死の淵から平然と舞い戻った「強者」への、根源的な畏怖。
生ける神を拝むような狂信的な大歓声が、沖縄の湿った空を、そして泥に伏し、頸動脈を断たれて力尽きたシュウの耳を激しく叩きつけた。
『おい!日本の総統ってのは凄いな!
鼻が高いことこの上ないだろ副総統!!
……あれ?副総統がいねぇ……!!
どうしたんだ!?』
忽然と姿を消した一ノ瀬を他所に観客はまだ余韻に浸っている。
勝負は決した。
誰もがそう確信し、前崎自身もまた、己の勝利を疑わなかった。
だからこそ、万に一つも存在しないはずの隙が生まれた。
「……ッ!!?」
天に突き上げていた前崎の右腕が、唐突な衝撃に揺らぐ。
意識を失い、死の沈黙に沈んでいたはずのシュウの腕が、地面から伸びて前崎の足首を掴んでいたのだ。
反射的に振り払おうとした前崎が、無様にバランスを崩して転倒する。
「お前……! 意識があるのか!?」
返答はない。シュウの瞳は虚空を見据えたまま白濁し、焦点はどこにも合っていない。呼吸すら止まっている。
シュウに意識はない。
だというのに、その指先は万力のような力で前崎の脚に食い込み、骨が軋む音を立てている。
これは意志ではない。肉体に刻み込まれた「執念」か、あるいは彼の中に眠る「ギフト」が、器の死を拒絶して暴走しているのか。
「往生際が悪い……離せ、この亡霊がッ!!」
前崎の鋼の理性がいびつにひび割れ、剥き出しのパニックが顔を出す。
彼は即座に己を律し、自由な方の足でシュウの顔面を無慈悲に蹴り飛ばした。
だが、シュウは意に介さない。
鼻骨が砕け、首が異常な方向に曲がってもなお、ヒルが獲物の血を求めるように前崎の体へと這い上がり、その四肢を絡め取っていく。
「……ッ、この、化け物がッ!!」
前崎の右ストレートがシュウの側頭部を捉え、鈍い破壊音を響かせる。
それでもシュウは離れない。
ダメージを与えるためではない。
ただ、前崎という存在をこの場に繋ぎ止め、決して「逃がさない」ためだけに、全神経を指先の硬直に注いでいる。
その、異常な密着状態の中で。
前崎の網膜に、不気味な青白い光が飛び込んできた。
シュウの毛細血管が、肌の隙間が、内側から溢れ出すエネルギーに耐えきれず発光を始める。
それは再生の光ではない。細胞が一つひとつ崩壊し、莫大な熱量を解き放つ「終焉」の輝き。
「まさか……自爆……!?」
前崎の顔から血の気が引く。
振り払おうにも、死者の硬直にも似たシュウの拘束は解けない。
「やめろ……離せッ! シュウ!!」
前崎の叫びは、臨界点に達したエネルギーの咆哮にかき消された。
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!!
目も眩む閃光。
シュウの肉体を起点とした大爆発が、フィールドに散乱していた鉄屑も、血生臭い空気も、そして勝利を確信していた独裁者の矜持もろとも、すべてを白銀の爆風の中に飲み込んだ。
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[SYSTEM TERMINATION SEQUENCE: POST-MORTEM RETALIATION PROTOCOL "DEAD HAND" FULFILLED]
[ENCRYPTION KEY: VALIDATED / ACCESS GRANTED / LONGMEN-SPEC 2059-E]
【システム終了シーケンス:死後報復プロトコル「デッドハンド」履行完了】
【暗号鍵:照合成功 / アクセス許可済 / 2059年型龍門独自規格】
[SUBJECT VERIFICATION: SHU (ID: TARGET-X-002)]
STATUS: TERMINATED (CONFIRMED BY GLOBAL BIO-SENSORS)
BIOMETRIC PULSE: 0.00 (TOTAL CESSATION DETECTED)
NEURAL SYNC: DISCONNECTED / DATA FRAGMENTED
CAUSE OF DEATH: HIGH-ENERGY THERMAL OVERLOAD (VOLUNTARY EXPLOSION)
【対象照合:シュウ(ID: TARGET-X-002)】
ステータス:消滅(全世界バイオセンサーにより確認)
生体パルス:0.00(完全停止を検知)
神経同期:切断 / データの断片化を確認
死因:高エネルギー熱過負荷(自発的爆発による)
[SMART CONTRACT SETTLEMENT: "SUI-SI-BI-ZHU" EXECUTED]
VERDICT: CONTRACT TERMS FULFILLED (PRIMARY TARGET NEUTRALIZED)
AUTHENTICATOR: PREZ. MAEZAKI (ID: EXECUTOR-001)
DISBURSEMENT AUTHORIZATION: GRANTED BY HAK-ZURICH
【スマートコントラクト決済:『雖死必誅』執行済み】
判定:契約条件履行(第一標的の無力化を確認)
認証者:前崎英二(ID: EXECUTOR-001)
支払認可:スイスHAK・チューリッヒ本部より承認
[ASSET TRANSFER LOGISTICS: CROSS-BORDER WIRE]
SOURCE: HELVETISCHE ALPIN-KUSTODIE [VAULT-ID: 88-X-09-L]
DESTINATION: BANK OF JAPAN (BOJ) - MILITARY ACCOUNT [REF: MAEZAKI-ADMIN]
AMOUNT: $1,000,000,000.00 USD (NET SETTLEMENT)
TRANSACTION STATUS: COMPLETED / NON-REVERSIBLE
【資産送金ロジスティクス:国境越え電信送金】
送金元:ヘルヴェティカ・アルプス保管銀行[金庫ID:88-X-09-L]
送金先:日本銀行(BOJ)- 軍事特別会計[参照:前崎政権直轄]
金額:1,000,000,000米ドル(正味決済額)
取引状況:完了 / 取消不能
[POST-SETTLEMENT OMERTA PROTOCOL]
NOTIFICATION: ALL ASSOCIATED BOUNTY LISTINGS DELETED
STATUS: CLEARED FROM GLOBAL DARK-NET NODES
MESSAGE: THE DEBT IS PAID. THE DRAGON SLEEPS.
【決済後プロトコル:沈黙の掟】
通知:全関連賞金リストの削除完了
ステータス:全世界ダークネット・ノードより抹消
メッセージ:債務は完済された。龍は眠りにつく。
[SYSTEM SHUTTING DOWN...]
[BYE, DA JIA JIE.]
【システムシャットダウン中...】
【さらば、大家姐】
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決着のコールがスタジアムを震わせた直後、一ノ瀬の姿は既に解説席から消え去っていた。
喧騒の届かぬVIP専用通路。
彼は歩みを止めることなく、手元の高解像度デバイスに視線を落とす。
網膜認証をパスした画面には、冷徹な無機質の文字列が躍っていた。
『資産送金シーケンス:完了(SUCCESS)
入金確認:1,000,000,000 USD ― 日本銀行・軍事特別会計第88号』
「……流石ですね、前崎さん」
一ノ瀬の口元に、鋭利な剃刀のような笑みが浮かぶ。
あの死闘の極限状態、あまつさえシュウの自爆という不測の事態。
その混沌の最中にあってなお、前崎は自身の神経外骨格を通じてシュウの「生体消滅」を確実にシステムへ認識させ、スイスの深淵にある金庫をこじ開けてみせたのだ。
「あの状況下で認証を完遂させるとは。
あなたの技術力、そしてその飽くなき執念には……正直、感服しますよ」
彼は音もなくデバイスを閉じ、冷たい双眸を廊下の先にある闇へと向けた。
この「運動会」という名の演目は終わった。
「ここからは俺の仕事です」
一ノ瀬は耳元のインカムに指を添え、低く、重みのある声で「影」たちに命じた。
「Hound。全員配置に就け。
清掃作業を開始する。
いくつか虫がいるようだ。
……沖縄から生きて返すな」
一瞬の静寂の後、通信の向こう側から個性を剥ぎ取られたクローンたちの無機質な受諾音が重なり、波となって彼の耳に届く。
観客たちが夢から醒める前に、すべてを終わらせる。
彼の革靴の音が、静まり返った廊下に冷たく、そして力強く響き渡った。




