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【☆5.0万PV】アダルトレジスタンス   作者: オレノマツ
第二章 国家騒乱編

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File:025 不機嫌

帰国した前崎の周囲には、触れれば指が凍りつくような、刺々しい沈黙が停滞していた。

フィレンツェからの長い逃避行、そして機内で隣り合わせた老人の言葉。

それらすべてが、彼の神経を苛立たしく逆撫でしているようだった。


一ノ瀬はあえてその不機嫌さの核心には触れず、一足先に帰国して整理しておいた報告事項を淡々と切り出した。


「……現在、国内では不動産業界への批判がこれまでにないほど高まっています。

SNSから始まった火種が、今や既存メディアを巻き込み、制度の根底を問う暴動寸前の世論にまで膨れ上がっています。

どうされますか?」


不動産。

それは日本の経済史において、常に最も暗く、淀んだ泥水のような業界だった。

敷金・礼金という名の上納金、売主と買主の双方から手数料をせしめる「両手仲介」、他社に情報を流さない「囲い込み」、そして存在しない優良物件で客を釣る「おとり物件」。

さらに火災保険や清掃、リフォームに至るまで、提携という名のキックバック構造が何重にも張り巡らされている。

2059年という未来に至っても、その寄生虫のような搾取構造は、不治の病のようにこの国に居座り続けていた。


「……潰すか」


前崎の口から漏れたのは、あまりに短絡的で、それゆえに凶暴な一言だった。

一ノ瀬は、自分の耳を疑った。

普段の前崎であれば、もう少し政治的な手順を踏み、生かさず殺さずの妥協点を探るはずだったからだ。


「……失礼、聞き間違いでしょうか? 規制を強めるのではなく、潰すと?」


「言葉通りだ。国民から土地を奪い返していく。

そもそも、日本の国土が私有財産として細分化され、既得権益の食い物にされていること自体が、

この国の再建を遅らせている。

どんどん奪え。

 元々、土地は国家のものだ」


前崎の瞳には、一切の躊躇がなかった。


「非合法的な動きをしている組織……いや、不動産業に関わるすべての法人を対象にしろ。

脱税、詐欺、不当利得、何でもいい。

叩けば埃が出る連中だ」


「……本気でよろしいのですか?

資本主義の根幹である私有財産制を、真っ向から否定することになります」


「構わない。

 証拠が足りないのなら、適当なスキャンダルをでっちあげてでも追い込め。

Hound(ハウンド)を使ってもいい。

 業界を『浄化』するという名目で、すべての土地管理権を国に集約させる。

それが日本を最短で良くするための劇薬だ」


前崎は窓の外、乱立するビル群を冷徹に見下ろした。

それらは彼にとって、もはや国民の家ではなく、国家の肉体を侵食する癌細胞のように見えていた。


「……承知いたしました。

 直ちに『不動産緊急管理法』の草案を作成し、強制捜査の準備に入ります」


一ノ瀬は深く一礼した。

独裁者の不機嫌が、数百万人の生活基盤を一夜にして崩壊させ、すべてを「国有」という名の檻に閉じ込める。

自由にさせない。


それこそが老人に対する前崎のアンサーだった。


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W.H. オーデンは、かつて警鐘を鳴らした。


「科学の進歩が道徳の進歩を追い越してしまった時、人類は自滅の道を歩む」


また、インターネットの深淵に漂う医学的通説には、血の匂いのする残酷な仮定がある。


「倫理さえ放棄すれば、医学は一気に50年(あるいは100年)進歩する」


これは特定の誰かの妄言ではない。

ナチス・ドイツや731部隊が人体実験という地獄の底で収集したデータが、皮肉にも戦後の医学の礎となってしまったという、人類が目を背け続けている「残酷な真実」を象徴する言葉だ。


「あいつは、令和のマキャベリだ」


日本のどこかで、誰かがそう吐き捨てた。


マキャベリスト。

目的のためには手段を選ばない、冷徹な現実主義の代名詞。

著書『君主論』において、マキャベリは「国家の維持と繁栄のためならば、君主は道徳に反する行為――裏切り、残酷、殺害――すらも、一つの『技術』として使いこなすべきだ」と説いた。

倫理を捨て、合理性という名の剃刀で不純物を削ぎ落とす。

その姿は、あまりにも正確に前崎政権の本質を射抜いていた。


その反動だろうか。

この狂気的な効率化社会において、ドストエフスキーの『罪と罰』が爆発的な逆走を見せ、ベストセラーに返り咲いた。

かつて非凡な人間は法の外に立ち、社会のために「寄生虫」を殺す権利があると信じたラスコーリニコフの苦悩に、国民は前崎の影を重ねているのだ。


ある人間は『ノートで人を殺せる漫画』の様な世界だと評した。


そしてついに、均衡は崩れた。


「これを読め! 貴様に心があるなら、これを読んで答えろ!」


国会議事堂の重厚な石壁に向かって、数千冊の『罪と罰』が投げ入れられた。

白黒の装丁が雪のように空を舞い、権威の象徴である議事堂を埋め尽くしていく。

ネット上では、この過激なパフォーマンスを「魂の叫び」と賞賛する声と、「非論理的な暴動」と切り捨てる声が、激しい火花を散らして衝突した。


前崎英二は、その光景をモニター越しに眺めていた。

感情の揺らぎは、微塵もない。

彼にとって、本を投げる指先も、そこに込められた思想も、社会の歯車を狂わせる「ノイズ」でしかなかった。


「……更生させろ。徹底的にな」


翌朝、国会議事堂の前に集まっていたデモ隊、そしてSNSで彼らを扇動した「不純分子」たちは、一人残らずHound(ハウンド)治安維持部隊によって拘束された。

彼らが送り込まれたのは、「更生労働施設」という名の、自由を剥奪された国有の再教育センター。


投げ捨てられた数千冊の教養本は、清掃業者によって淡々とシュレッダーにかけられ、文字通り粉々に粉砕された。

前崎の辞書に、「良心の呵責」という言葉はない。

あるのはただ、国家を最適化するための合理的な選択だけだった。

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