File:022 大統領専用機内
前崎英二への襲撃は、一瞬にして世界の均衡を元に戻した。
翌日になっても日本の総統が公の場に姿を見せることはなく、予定されていた「フィレンツェ国際平和会議」は無期限の中止、そして日本が世界に叩きつけた「大日本帝国継承宣言」も凍結という名の延期に追い込まれた。
本人が死んでしまっては仕方がない。
白紙に戻そうというのが大方の見方だろう。
しかし世論はそうではなかった。
「これは独立を阻むための多国籍組織による陰謀だ」
ネットの海は、根拠のない、しかし熱を帯びた陰謀論にすでに埋め尽くされていた。
だが、案外そういう直感的な意見が真実の断片を突いていることもあるものだと、梁智衡は冷めた目で電子の奔流を眺めていた。
中国の大統領専用機。
その最高級の静寂に包まれたキャビンの中で、三人の男が座していた。
シュウ、ジュウシロウ、そしてケン。
「シュウ、お前一人で行くとはどういう了見だ」
ジュウシロウの声には、物理的な質量を伴うような圧が含まれていた。
巨大な機体を軋ませるほどの殺気が、シュウを真正面から捉える。
「死ぬときは二人で一緒だ。
お前が超音速機(J-16)を奪って活躍したことは聞いている。
だが、相談もなく一人で死地へ赴いたことは……許し難い」
「……まあ、テストだよ」
シュウは無造作にシートに身を預け、鼻で笑った。
「テストだと……?」
「龍門のアジトを切った時、ふと気づいちまったんだ。
今の俺がどこまでやれるのか。
……まあ、黙って行ったのは悪かったよ。
ケンの提案に乗った側面もあるしな」
ジュウシロウの鋭い視線がケンを射抜く。
ケンは表情を崩さず、静かに口を開いた。
「申し訳ございません、ジュウシロウ殿。
あなたの装備されている神経外骨格の大型フレームでは、あの機体のコックピットに物理的に収まることが不可能だったのです。
重量と容積の計算上、シュウ殿単独での潜入が最短ルートであると判断いたしました」
「……それでも、事前に共有すべきだろう」
「作戦の中止を再三進言いたしましたが、シュウ殿が強行されたのです。
パイロットを脅してでも飛ばせ、と」
ジュウシロウは深い溜息を吐き、ようやく拳を解いた。
「……前崎を仕留める絶好のチャンスだったんだ。
こればっかりはジュウシロウさんにも譲れねぇ。
結果は出したろ?
だから今回だけは許してくれよ」
「……二度とするな」
「へいへい」
シュウはそう言いながら、備え付けのドリンクを一口煽った。
「だが梁主席。本当にいいのか?
領空侵犯どころか、歴史あるホテルを真っ二つにしたんだぞ。
国際テロどころの騒ぎじゃないだろ」
ジュウシロウの問いに、梁主席はタブレットから目を離さずに答えた。
「……最悪の事態だね。
事前の根回しがなければ、今頃世界中で開戦の号砲が鳴っていたよ」
「許可……?」
「ああ、まずロシアの領空通過については友好国としての特権で片付けた。
イタリア側にも、戦闘機に一切の弾薬を積まないという条件で緊急着陸を認めさせてある。
燃料補給のついでに現地警察にチェックさせたから、外向きの体裁は完璧だ」
「ホテルをぶった切った件はどう説明する」
「あそこは老朽化で元々取り壊し予定だった。
5つ星ぐらいのホテルではあったけどね。
精巧なレプリカをカモフラージュとして使い、本物の関係者は事前に全員避難させていたんだよ。
警察には適当に芝居を打ってもらったよ」
「……それを、たった二ヶ月で?」
「ケン君の案を、私と大臣たちが精査して実現させた。
実務上、何ら問題はない」
「なるほど……だが、こいつの顔は割れている。
大統領専用機で堂々と帰っていいのか?」
「フィレンツェでこれ以上暴れられるよりは、私の手元に引き取った方がマシだ
……と、イタリアのメイケン首相からも泣きつかれてね。
正式な『引き取り要請』に基づいた行動だよ」
ジュウシロウは、窓の外に流れる見知らぬフィレンツェの夜景に、わずかな同情を覚えた。
「梁主席。
何度もすまないが……前崎の首は、ここにあるか?」
「あるよ。見たいのかい?」
「……因縁の相手だ。この目で確かめておきたい」
「私の右腕である李に聞いてくれ。
保存場所を知っているはずだ」
「承知いたしました、梁様。
……ジュウシロウ様、こちらへ」
そこには燕尾服を来たモノクル眼鏡の老人が立っていた。
(右腕というより執事だな……)
そう李を評価しながら後を追った。
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大統領専用機の贅を尽くしたキャビン。
エンジンの重低音が心地よい微睡みを誘う中で、シュウは退屈しのぎのゲームに興じていた。
だが、その指先はどこか苛立ちを孕んでいる。
その傍らで、ケンが静かに声をかけた。
「シュウ殿。少し、話をしても?」
「どした?」
シュウは視線をデバイスに向けたまま、指先だけでアプリを閉じた。
機内の気圧の変化か、あるいは目の前の男が放つ冷徹な観察眼か。
喉の奥に、鉄錆のような血の匂いがこびりついて離れない。
「……前崎様。
いえ、今は前崎総統でしたか。
実際、どうでした?」
「どうって、何がだよ」
「首を取る瞬間です。手こずりましたか?」
シュウは鼻で笑い、背もたれに深く体を預けた。
「雑魚だったよ。
四年前のあいつとは、はっきり言って比べ物にならねぇ。
俺たちが強くなりすぎたのか、あいつが政治ごっこで鈍ったのか……。
拍子抜けするくらい、あっけなかったぜ」
「……そうですか。
それは、その神経外骨格の出力差とかではないのでしょうか?」
シュウの眉がぴくりと動いた。
視線が初めて、射抜くような鋭さでケンを捉える。
「……なんだよ、ケン。
俺の実力が、この装備のおかげだって言いたいのか?」
「いえ、滅相もない。装備を含めての実力です。
もっとも、あなたのその『腕』がなければ、これほどの出力を借りたところでビルを断ち切るなど不可能でしょう。
……ただ」
「ただ?」
「私がその装備を指摘したのは、見たことがないからです。
軍の最新規格にも、どのメーカーのカタログにも、そんな神経外骨格は存在しない。
……一体、どこで手に入れたのですか?」
「……はっきり言えばいいだろ。
俺の実力が装備による所が大きいってな」
「そんなことは申していませんよ」
「お前、本音で喋らねぇからわかんねぇよ。
表情が変わらねぇから」
その言葉にケンは沈黙した。
精巧に造形された無表情な顔。
かつて顔面を焼かれた顔を整形したのだ。
シュウが慣れないのも無理はない。
所詮、作り物なのだから。
それが理由で本音で喋っていないと感じたとケンは察した。
「……なるほど。
お面をつけていないと、どうも本性で喋りづらいですね」
ケンはそう言って、懐から使い古された猿のお面を取り出し、顔を覆った。
「……あー、懐かしいな。
やっぱお前とは、そのツラで話す方がしっくりくるわ」
シュウの表情がわずかに和らぐ。お面の奥で、ケンの声が一段低くなった。
「それは重畳。
……話を戻しますが、私はシュウ殿の力を高く見積もっています。
少なくとも私とは異なる生物といっていい。
もうすでに私では相手にならないでしょう。
それはその肉体を見ればわかります。
ただ今はその肉体を支える神経外骨格に私は興味があります」
「なるほどな。そういうことなら答えてやる。
これ、俺たちが自分らで作ったんだよ」
「……作った? これを、自らで?」
「ああ。材料はブラックマーケットでなんとかなった。
給料の代わりに現物支給させたりしてな。
設計図は、まあ……頭の中だ」
「……いくら材料があっても、これほどの並列処理を可能にする知識がなければ形にはならないはずです。
そんな技術、一体どこで……!」
「おいおい。その道の第一人者が何言ってんだよ。
お前だって、その知識をどこから引きずり出せばいいか、知ってるだろ?」
「それは――」
ケンの言葉が核心に触れようとした瞬間、それを引き裂くようなジュウシロウの怒号が響き渡った。
「おい!! シュウッ!!」
「……なんだよ、ジュウシロウさん。
機体が揺れるだろ、そんな大声」
シュウが面倒そうに応じるが、駆け寄ってきたジュウシロウの顔は戦慄に染まっていた。
「前崎の首、本当に取ったんだな!? 間違いないんだな!?」
「ああ、そうだぜ。
そこの首席殿に手渡して、ドライアイス漬けにさせたはずだ。……それがどうした」
「ドライアイスの鍋の中を確認した……。だが……」
ジュウシロウが震える手で指し示した先。
霧散する白い煙の中から現れたのは、凍りついた「敗北」の証拠だった。
「前崎は……こんな、人形のような顔をしていたのか!?」
保存容器の中で霜に覆われていたのは、前崎英二とは似ても似つかぬ、まったくの別人の顔だった。
質感はプラスチックのように硬質で、生命の痕跡が微塵も感じられない。
いくらドライアイスで冷やしたところで、死体がここまで「無機質」に変貌するなどあり得ないことだった。
「…………は?」
シュウの思考が停止する。
雑魚だった、拍子抜けした――。
先ほど自慢げに語った言葉が、鋭い氷の刃となって自らのプライドに突き刺さる。
世界の均衡を元に戻したはずの一太刀。
それすらも、前崎英二という怪物が用意した巨大な盤面の上で、滑稽に踊らされていたに過ぎなかったのだ。




