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20 嘯く声

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 闘技場の周囲には縄が張り巡らされ、壱班が二人一組で警備を行っていた。

 常ならば、夜半を迎えた華芸町は静かなものだ。しかし今日は騒動の残り香が漂い、落ち着かない空気が蔓延していた。

 拓也は、建物の影からこっそりと闘技場の様子を窺っている。本当ならもっと近くに行きたいのだが、壱班と接触するのはよろしくない。遠くから見るに留めていた。

 小さく息を吐き、踵を返す。

 楓の姿は無かった。もしかしたら自分を想って、訪ねてきてくれているかもしれないと思ったのだが。

 現在住まいとしている長屋は既に覗いた。が、楓は居なかった。

 無事な様を確かめたいのだが、こんな時間に楓の生家を訪ねるわけにもいかない。

 心配に動悸がする。不安で息が苦しくなる。居ないと分かりつつ、拓也はもう一度闘技場を振り返った。

 やはり楓は居ない。肩を落とし、長屋への道を往く。

 先程は行き違いになったのかもしれない。長屋に行けば、きっと楓がいるに違いない。

 期待と不安とがないまぜになった気持ちを抱え、拓也は道を急いだ。自然と足が速まる。

 加羅は言っていた。とにかく自分に従っていれば良い、と。そうすれば自由を与えてやる、と。

 この一件が終われば、自分は自由の身だ。そうなれば、今までの事を全て捨てて一からやり直すのだ。

 そして楓と所帯を持ち、家庭を築く。一人目は女の子が良いね、と楓は言っていた。女の子でも男の子でも、嬉しくて可愛い事には変わりないけどね、とも。

 里の外で、樹海の向こうで過ごしたいと拓也が言った時は、楓は少し迷いを見せたがそれでも頷いてくれた。

 良いよ、でも犬か猫飼わせてね、そう言って笑ってくれた。

 愛しいとはこういう事かと、湧き上がる情動に滲む涙を何とか誤魔化した。楓はきっと気付いていたのだろうが、気付いていないフリをしてくれた。

 遠くに長屋が見えてきた。駆け出そうと足を踏み出す。

「瀬川」

 一歩踏み出した姿勢のまま、拓也は立ち止まった。声のした方へ、ゆっくりと首を巡らせる。

「……若君」

 小路の壁に背を預け、腕を組んだ加羅は苦笑を頬に滲ませた。

「そう呼ぶなって言ってるのに。結局きみは最後までおれを名で呼ばなかったね」

「……最後?」

「そうだよ。きみは自由だ。今までよく働いてくれたね」

 それはそれは美しく笑って、加羅は手招きをする。

「何故、と言っていたっけね」

「……は……?」

 招かれるがままに側に寄った拓也は、加羅の呟きに首を傾げた。

「おれの目論見は何だって聞いてたじゃないか。教えてあげるよ」

 笑みを湛えた紅緋の目が拓也を見る。直視を怖じ、拓也はすいと目を逸らした。

「まず一つ。きみを闘技場に送り込んで勝たせ続けた理由。これはあの闘技場を有名にしたかったから。強い闘士がいると、自然闘技場自体が話題に上がる。それを狙っての事」

 二つ目、と加羅は指を立てた。

「そうしたら破天なり誇天なりが食いつく。破天は、このような野蛮な賭け事を放置するのか流石は愚かな如月なりとか言い出すだろうし、誇天は、見てただろう? あんな風に言い出すだろうしね」

 三つ目、と指を立て、加羅はその指を今度はすぐに折り畳んだ。

「とりあえずはまあ、そこそこ大きな騒ぎを起こしたかったんだよね。そうしたら、治安維持部隊が動く。それがおれの狙い」

 拓也の顔に浮かぶ疑問符を見てとったのか、加羅はすぐに「里の為だよ」と言った。

「……里の」

「そう、里の為」

 加羅の笑顔からは何の感情も読み取れない。笑み声からも何の感情も読み取れない。彼の真意は、いつも通り何も分からなかった。

「……そうだ。全て、里の為だ」

 笑顔のまま、笑み声のまま加羅は繰り返す。その言葉が嘘か真かは、やはり分からなかった。

「以上、種明かしでした。疑問を抱いたままだと、きみも苦しいかと思ってね。別れる前に言っておこうかと思ってさ」

 預けていた背を壁から離し、加羅は拓也の手を取った。

「今までご苦労さま。でも最後にもう一つだけ、おれのお願いを聞いてほしい」

 その手はひやりと冷たかった。

「……何なりと」

 お願いという名の命令に、拓也が背けるはずもない。

 拓也の返答に、加羅は満足げに頷く。

「今からさ、こっちに壱班の見回りが来るんだ」

 続きは、聞かずとも予想できた。

「その見回りを殺してほしい」

 予想通りの『お願い』に、拓也は俯いてゆっくりと瞑目した。

「……それも、里の為ですか」

「よく分かってるじゃないか」

「…………その為に、罪も無い人間を手にかけろと……?」

「罪人だったら殺しても良いのか?」

 言葉に詰まり、拓也は顔を上げる。拓也の手を握る加羅の手に、ぐっと力が込められた。走る痛みに、拓也は思わず眉を顰めた。

「罪悪を感じるって言うなら、免罪符をあげるよ」

 加羅は拓也の手を離した。

「これは命令だ」


 殺せ。


 命令に慣れた、傲慢を傲慢と感じさせぬ声が告げる。

 拓也の答えを待たずして、加羅は背を向けた。

「期待してるよ。それじゃあね、今までご苦労さま」

 ひら、と肩越しに加羅は手を振った。小路の奥へと消える背中を見送り、拓也は強く拳を握る。

(……里の、為)

 命令だと告げる加羅の声を反芻し、拓也は更に力を込める。

 爪が掌の皮膚を食い破った。



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