第8話 学校を、つくる
噴水は、翌日のうちに直した。
トールの木を囲むように、水盤を円く組み直す。割れた石畳は、根っこを避けて敷き直した。マックスが幹に手を当てて「良い木だ」と三回言い、フルーリアに「もう分かったって」と四回言われた。
その日の午後、俺たちはファースト・ワールドに、最初の住人を創った。
パン屋の一家。鍛冶屋の親子。宿屋の老夫婦。小さな子どもたち。二人目からは、七人全員でなくても創れるらしい。一人ずつ顔を思い描き、名前を考え、「生きろ」と念じる。住人たちは目を開けると、俺たちを見上げて、ごく自然にこう言った。
「神さま」
どうやら、そういうことになるらしい。
夕方、城へ戻ろうとすると、パン屋の娘に服の裾をつかまれた。リタという名前の、五歳くらいの女の子だ。名前をつけたのはコレーティアだった。
「神さま、あしたも来る?」
「おう。たぶんな」
深く考えずに、頭をぽんと叩いた。リタは、焼きたてのパンの匂いのする顔で、にっと笑った。
◇
その夜、焚き火のそばに、紙の束が広げられた。
クゥーが描いた絵だった。
校舎。中庭。図書室。部室棟。銀杏並木の坂道と、坂の下の小さな駅。どの紙にも、細い鉛筆の線で、見たこともないくらい丁寧な絵が描かれていた。
「……日本にいたとき、ずっと描いてたの」
前髪の奥から、クゥーが言った。
「覚えてたのか、全部」
「うん。名前とかは、もう思い出せないけど。描いたものは、覚えてる」
紙をめくっていくと、校則を書いたページがあった。丸っこい字で、箇条書きになっている。
一、部活は、入っても入らなくてもいい。
二、文化部と運動部は、どっちがえらいとかない。
三、校則は、ゆるく。
四、だれも、ひとりにしない。
四つめだけ、何度も書き直した跡があった。
「制服は?」
コレーティアが、身を乗り出した。
「クゥーちゃん、制服のデザイン、いっぱい描いてたよね。どれにするの?」
紙の束の後ろ半分は、制服の絵だった。ブレザー、セーラー、ジャンパースカート。何十枚もある。そして、そのほとんどに、上から×が描かれていた。
「……制服は、決めない」
クゥーは、自分のスカートの裾をぎゅっと握った。紺色のブレザーに、えんじ色のリボン。ここに来てから、彼女が一度も脱いだことのない制服だ。
「生徒に、決めてほしい。自分たちで」
学校を創ることは、全員一致で決まった。全員一致のルールの、最初の出番だった。反対する者は、一人もいなかった。
◇
翌朝、緑の扉を開けた。
向こうの時間は、広場の百倍の速さで流れる。広場で一時間ためらえば、こちらでは四日が過ぎる。だから、ためらわないことにした。
学園都市づくりは、ファースト・ワールドのときよりずっと早く進んだ。七人とも、【創造術】の扱いに慣れてきたからだ。
クゥーの絵を広げて、その通りに組み立てていく。三階建ての校舎を、教室ひとつ分ずつ。体育館を、鉄骨一本ずつ。銀杏並木の坂道は、雪葉が重力を消して苗木を宙に並べ、マックスが一本ずつ植えた。坂の下には、クレイの発案で小さな駅を置いた。二両編成の路面電車が、学校と町のあいだを行き来する。
途中で、マックスが姿を消した。
探しにいくと、校舎の裏で、一人で建物を組み立てていた。天井まで届く書架。窓辺の読書席。暖炉のある閲覧室。
「……図書館?」
「うむ」
マックスは、書架に本を一冊ずつ並べながら答えた。
「学校には、図書館がいるであろう」
誰も頼んでいない。クゥーの絵にも、ここまで立派なものは描かれていない。書架の一角には、背表紙に「詩集」と書かれた本ばかりが、ぎっしりと並んでいた。
「マックス、お前、詩なんて読むのか」
「……読まぬ。飾りだ」
マックスは、こちらを見ずに言った。
雪葉は、校門の脇に自販機を一台だけ置いた。それ以外は、何も創らなかった。
「なんで自販機なんだよ」
「のどが渇くでしょう」
それだけ言って、雪葉は自販機のボタンを押した。ごとん、と缶が落ちる音がした。
◇
いちばん時間がかかったのは、人を創ることだった。
生徒が六百人。先生が四十人。町の人が二百人。七人で手分けして、一人ずつ顔を思い描く。
今度は「神さま」と呼ばれないように、全員でひとつだけ念じた。俺たちは、ただの転校生。この学校に、ひとりの生徒として通いたい。
やってみて分かったのは、何もないところから顔を思い描くのは、意外と難しいということだ。気づくと、どこかで見たような顔ばかりになる。どこで見たのかは、思い出せないのに。
「……まあ、いいか」
俺は、それ以上考えないことにした。
四月。桜の咲く坂道を、私服の生徒たちが上っていった。制服は、まだ決まっていない。生徒会が始業式の翌日から検討委員会を開いているが、第一回の議題は「委員長を誰にするか」で、それだけで三時間かかったらしい。
俺たち七人は、転校生として、この学校の二年生になった。
誰も、俺たちを神さまとは呼ばなかった。二メートルを超える獣人のマックスでさえ、「ちょっと大きい転校生」で済んだ。マックスの机だけ、特注で三倍の大きさだった。
制服を着ているのは、クゥーだけだった。
転校初日のホームルームは、ちょっとした騒ぎになった。
「えー、今日から、このクラスに転校生が七人入ります」
担任の先生が、黒板に名前を書いていく。コレーティア。クレイ。フルーリア。マックス。雪葉。クゥー。ソーマ。チョークが止まるたびに、教室がざわついた。
「……七人?」
「一クラスに七人って、多くない?」
「あの人、でかすぎない?」
最後の声は、たぶんマックスのことだった。本人は、三倍の机の前で背筋を伸ばし、「よろしく頼む」と重々しく頭を下げた。机がみしりと鳴った。
「はいはーい! わたし、コレーティアです。好きなものは、みんなと仲良くすることです! よろしくね〜!」
コレーティアが手を振ると、男子の半分が手を振り返した。
「フルーリア。趣味は戦車。以上」
「……雪葉よ」
「クレイです。絵を描くのが好きかな。よろしくね」
クゥーの番になると、教室が少しだけ静かになった。一人だけ制服を着た、前髪の長い女の子。
「……クゥー、です」
それだけ言って、クゥーは深く頭を下げた。まばらな拍手が起きた。
俺の番は、最後だった。
「ソーマ。……よろしく」
何を言えばいいのか分からなかったので、それだけにした。転生先の王宮で名乗りをあげるときは、いつも台詞が用意されていた。我こそは、魔王を討つ者なり。中学の教室では、そんな台詞は何の役にも立たない。
昼休みは、七人で屋上に上がった。
購買のパンは、コレーティアが七人分まとめて買ってきた。焼きそばパン、メロンパン、カレーパン。フルーリアとマックスがカレーパンを取り合い、雪葉が「半分に割ればいいでしょう」と言って、定規で測ったようにきっちり二つに割った。
フェンスの向こうに、銀杏の坂と、坂の下の町が見えた。春の風が、パンの袋をかさかさと鳴らした。
「なんか、さ」
メロンパンをかじりながら、フルーリアが言った。
「普通の中学生みたいじゃね? うちら」
「普通の中学生だよ」
コレーティアが、嬉しそうに笑った。
「転校生だもん。今日から」
俺は、焼きそばパンを持ったまま、しばらく黙っていた。
昼休みに、誰かと屋上でパンを食う。たったそれだけのことを、日本にいたころの俺は、一度もしたことがなかった。四十七回の転生で、王様の晩餐会には何百回も出たのに。
「……悪くねえな」
思わず口に出すと、クレイがこっちを見て、少しだけ笑った。
「うん。悪くないね」
クゥーは、フェンスのそばで、一人で小さなパンを食べていた。けれど、その背中は、焚き火のそばにいるときよりも、ほんの少しだけまっすぐに見えた。




