第9話 ずれ
部活動紹介の日、体育館は人でごった返していた。
舞台の上で、各部の代表が入れかわり立ちかわり声を張りあげる。サッカー部、吹奏楽部、天文部、料理研究会。クゥーの校則どおり、運動部も文化部も、持ち時間は同じ三分だった。
コレーティアは、誘われるたびに笑顔で入部届を受け取り、気づけば五枚を手にしていた。
「コレーティア、それ全部入るつもりか」
「だって、断ったら悪いかなって……」
クレイは美術部に入った。フルーリアは「戦史研究会」を立ち上げようとして却下され、陸上部に落ち着いた。雪葉は、どこにも入らなかった。マックスは柔道部に入った。図書館の話は、誰にもしていないらしかった。
俺は、入部届を一枚も持っていなかった。
体育館の隅の壁にもたれていると、隣に小さな影が並んだ。クゥーだった。彼女の手にも、入部届はない。
「……ソーマくんは、入らないの?」
「決められねえんだよ」
舞台の上では、囲碁部の部長が、碁石の美しさについて熱弁している。
「なんていうかさ」
言葉を探しながら、俺は言った。
「受かったら終わりだと思ってたんだよな、学校って」
受験して、合格して。それで、ゲームクリアだった。そのあと三年も続く学校生活のことなんて、考えたこともなかった。
クゥーは、しばらく黙っていた。それから、前髪の奥で、小さく言った。
「……あたしは、受かってからが、本番だと思ってた」
顔を見ると、クゥーはもう、舞台のほうを向いていた。
◇
小春に最初に気づいたのは、クゥーだった。
放課後の図書館。マックスの建てた、あの図書館だ。窓辺の読書席に、いつも同じ女の子が座っている。肩までの髪を二つに結んで、背中を丸めて、ノートに何かを描いている。
同じクラスの、小春という子だった。どの部にも入っていない。休み時間は、いつも一人だった。
ある日、クゥーがその隣の席に座った。
俺は書架の陰から、それを見ていた。のぞき見のつもりはなかった。マックスに、詩集の並べ方を手伝わされていただけだ。
「……それ、なに描いてるの」
クゥーの声は、蚊の鳴くように小さかった。小春が、びくりと肩をすくめる。
「え、あ……ごめんなさい、あの、ただの落書きで」
「ラケット」
クゥーは、ノートをのぞきこんだまま言った。
「テニスの、ラケット。……上手」
小春のノートには、テニスコートの絵が描かれていた。ラケットを振る、小さな女の子の絵。
「テニス、したいの?」
「……部活は、ちょっと。上手な人ばっかりだし」
クゥーは、少し考えてから、鞄を開けた。取り出したのは、ずっと持ち歩いている、あのテニスラケットだった。【創造術】で、一番最初に創ったもの。
「部活じゃなくて、いい」
クゥーは言った。
「あたしも、下手だから」
その日の夕方、体育館裏の空き地で、二人はテニスをした。ネットはない。コートの線もない。ラケットは一本しかないので、交代で打つ。球は、ほとんど相手に届かない。
図書館の窓から、俺とマックスはそれを見ていた。
小春が空振りをして、尻もちをついた。クゥーが駆け寄って、手を差し出す。小春がその手をつかんで、二人して笑った。
クゥーが声をあげて笑うのを、俺は初めて聞いた。
夕日のなかで、紺色のブレザーの肩が揺れていた。そのとき、クゥーはたぶん、自分が制服を着ていることを忘れていた。
「……良いものだな」
隣で、マックスがつぶやいた。詩集を一冊、胸に抱えたまま。
◇
七月。一学期の終業式が終わると、俺たちは緑の扉をくぐって、広場へ帰った。
四か月近くを過ごしたはずなのに、広場の焚き火は、出ていったときと同じように燃えていた。こちらでは、まだ一日半も経っていないのだ。
昼寝をして目を覚ますと、夕方だった。
焚き火のそばに、先客がいた。
つるりとした頭に、つぶらな瞳。塔で見た羽根飾りの冠は、かぶっていない。かわりに両腕いっぱいに、見たこともない色の果物を抱えていた。
「おかえりなさい、みなさん」
トールだった。
「会いに来てくれないので、ぼくから来ました」
にこにこと、そう言った。責める響きは、ひとかけらもなかった。だから余計に、こたえた。
「……ごめんね」
最初に口を開いたのは、クレイだった。
「毎週来るって、言ったのにね」
「三十二日です」
トールが言った。責めるふうではなく、ただ、事実を読み上げるように。
「数えてました」
「広場では、三日」
雪葉が、焚き火を見たまま言った。
「黄色は十倍だから、トールにとっては、ひと月ね」
ひと月。
そして俺たちは、そのあいだに、緑の扉の向こうで四か月を過ごしていた。四か月のあいだ、トールのことを、一度も思い出さなかった。
扉の向こうでは、時間が速く流れる。最初の日にロルが説明して、雪葉が暗算して、全員がそれを聞いていた。ただ、それが待っている誰かにとっても、待たせている自分たちにとっても、まるで違う長さになるのだということを、誰も考えていなかった。
トールの果物は、甘くて、少しだけ酸っぱかった。
密林には、鳥が来るようになったらしい。塔の兵士は、もう創っていない。かわりに木を一本ずつ、名前をつけて育てている。話しながら、トールは何度も嬉しそうに体を揺らした。
「それから、ファースト・ワールドにも行ってきました」
「ファースト・ワールドに?」
「はい。みなさん、お忙しそうだったので、代わりに。パン屋さんの屋根が雨漏りしていたので、直しておきました。それと、子どもたちに、みなさんのお話をしました」
そこで、トールは少しだけ言いよどんだ。
「リタちゃんから、伝言を預かっています」
リタ。パン屋の娘。俺の服の裾をつかんだ、小さな手。
「『神さまは、もう来ないの?』って」
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
あしたも来る? おう、たぶんな。――あれから、ファースト・ワールドでは二日が過ぎている。あの子はたぶん、二回、あしたを待った。
「……落ち着いたら、行くよ」
俺は言った。
「そう伝えといてくれ」
「うん。落ち着いたら、みんなで行こうね」
コレーティアが続き、何人かが頷いた。トールは「はい」と笑って、果物をもう一つ、俺の手に載せた。
嘘をついたつもりはなかった。落ち着いたら、本当に行くつもりだった。
落ち着くのがいつなのかを、考えていなかっただけだ。




