第10話 横断幕
その夜のうちに、俺たちは緑の扉へ戻った。
広場で昼寝をして、夕食を食べているあいだに、向こうの夏休みは、ほとんど終わっていた。
二学期が始まると、学校は少しずつにぎやかになっていった。
コレーティアは、本当に五つの部を掛け持ちしていた。月曜は吹奏楽部、火曜は料理研究会、水曜は手芸部、木曜はバレー部、金曜は合唱部。土曜はどこかの練習試合か演奏会で、日曜はどこかの買い出しに付き合っている。
「お前、いつ寝てるんだ」
「寝てるよ〜。授業中に、ちょっとだけ」
笑いながら、コレーティアは目の下を指でこすった。四月に受け取った五枚の入部届は、五つの「来週もよろしくね」に変わっていた。一つも、断れないまま。
クレイは、美術室の窓際で、毎日絵を描いていた。
描くのは、たいてい城だった。竜の飛ぶ空。騎士の並ぶ城門。どれも見事で、顧問の先生も、最初のうちは感心していた。
二学期最初の課題は、「今の学校を描こう」だった。
クレイの画用紙には、ちゃんと校舎が描かれていた。ただし、屋上から塔が三本生えていて、そのてっぺんに竜が巣を作っていた。
「うーん。クレイくん、これは『今』かな?」
先生に言われて、クレイは笑いながら消しゴムを手に取った。塔を消す。竜を消す。描き直して、また消す。放課後になっても、画用紙はほとんど白いままだった。真ん中のあたりだけ、こすられすぎて紙が薄くなり、窓にかざすと、向こうが透けて見えた。
「今を描こうとするとね、手が止まるんだ」
薄くなった紙を光に透かしながら、クレイは言った。
「描いたそばから、直したくなる。昔から、そうなんだよ」
フルーリアは陸上部で、あっという間にリレーのアンカーになった。走るときだけは、何にも変身しようとしなかった。
雪葉は、どこにも入らなかった。放課後になると、校門の脇の自販機の前にいた。缶を一本買って、飲み終わると帰る。それだけだった。
俺も、どこにも入っていない。放課後は、たいてい図書館にいた。本を読むわけではない。マックスに詩集の並べ替えを手伝わされるか、窓から体育館裏を眺めるか、そのどちらかだった。
クゥーと小春のテニスは、二学期になっても続いていた。ラケットは、二本に増えていた。クゥーが、小春のためにもう一本創ったのだ。球は、たまに相手まで届くようになっていた。
制服検討委員会は、まだ、ブレザーにするかセーラーにするかで揉めていた。
◇
九月の終わりに、体育祭があった。
その朝、校門をくぐろうとして、俺は足を止めた。
横断幕が掛かっていた。
白い布に、墨で太く、四つの文字。
――文武両道。
「……誰だ、これ創ったの」
振り返ると、ほかの六人も、同じように横断幕を見上げていた。
「わたしじゃないよ」
「ぼくでもないね」
「うちも知らねえ」
「我も、知らぬ」
クゥーは、首を横に振った。雪葉は、何も言わなかった。
通りかかった生徒会の副会長をつかまえて、聞いてみた。
「ああ、あれですか。去年からありますよ」
副会長は、当たり前のように言った。
「毎年、体育祭の日には掛けるんです。うちの学校の伝統ですから」
会釈をして、副会長はグラウンドへ走っていった。
去年。
この学校ができたのは、今年の春だ。去年なんて、どこにもない。俺たちが、この手で創ったのだから。
誰も、何も言わなかった。
雪葉は、横断幕を見上げたまま動かなかった。その手の中で、缶が小さく、ぺこりとへこんだ。
体育祭そのものは、それなりに楽しかった。
クラス対抗リレーで、俺は欠員の代わりに走らされた。レベル無限の勇者が本気を出すわけにもいかないので、かなり手を抜いた。それでも、三人抜いた。ゴールすると、クラスの連中がわっと寄ってきて、背中をばしばし叩かれた。
悪い気はしなかった。けれど、テントに戻るころには、もう何も残っていなかった。勝った。終わった。それだけだ。
部活対抗リレーでは、フルーリアがアンカーで二人抜いて、陸上部を一位にした。ゴールテープを切った瞬間、ツインテールが旗みたいになびいて、応援席から歓声があがった。
文化部の部は、プログラムの昼休みの時間に押しこまれていた。
グラウンドの隅では、弁当を広げた生徒たちが笑っていて、誰もトラックを見ていない。コレーティアは、バレー部で運動部の部を走ったあと、今度は文化部のたすきを四本かけて走り、どの部の順位にもならなかった。
「おかしいね」
隣でプログラムを見ていたクレイが、小さく言った。
「運動部と文化部は、対等。クゥーちゃんの校則には、そう書いてあったはずなのに」
クゥーは、何も言わなかった。
保護者席のいちばん端に、小さな男の子が座っていた。見覚えのない顔だった。けれど、両手で抱えている果物には、見覚えがあった。俺と目が合うと、男の子は小さく手を振った。
トールだった。クゥーの変身の力まで、しっかり受け継いでいるらしい。
トールは、グラウンドを見ていた。運動部のテントと、文化部のテントの、あいだを。
笑ってはいなかった。




