第25話 お待ちしておりました
二十六日目の夕食に、七人はばらばらに、遅れて戻ってきた。
橙の扉から、花火の火薬のにおいをさせたフルーリアが。紫の扉から、クレイとコレーティアが。緑の扉から、マックスとクゥーと俺が。雪葉は、もう岩の上にいた。
焚き火のそばの、背の低い椅子は、空いていた。
トールは、来ていた。ただし、焚き火のそばではなかった。
灰色の扉の前に立って、扉に、耳を当てていた。
「……トール?」
コレーティアが呼ぶと、トールはゆっくりと振り向いた。つぶらな瞳が、大きく見開かれていた。
「……声が、するんです」
小さな手が、灰色の扉に触れていた。
「扉は、破れません。ロルさんの言ったとおりです。でも、声は、届くんです。ずっと前から、少しずつ。……最初は、お祈りでした」
トールの声が、震えていた。
「神さま、来てください。神さま、どうして来てくれないのですか。……それが、だんだん、変わっていって」
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
「灰色の世界の人たちが、神さまを呪っています」
誰も、動けなかった。
「世界を、白紙に戻す機械を、作っています」
コレーティアの手が、震えていた。
灰色の扉の鍵穴に、鍵がなかなか入らない。二度、三度と外して、ようやく差しこんだ。がちゃり、と重い音がした。
「……開けるよ」
誰も、返事をしなかった。トールが、俺のズボンの裾をつかんでいた。
扉の向こうは、夜だった。
そして、まぶしかった。
最初に目に入ったのは、光の壁だった。ガラス張りの建物が、夜空を塗りつぶすように、何十本もそびえ立っている。窓という窓に、白い灯り。建物と建物のあいだを、高架の道路が何重にもうねり、車の光が、光の川のように流れていた。遠くで、電車の走る音がした。
足元は、古い石の階段だった。
振り返ると、あの神殿があった。白い石の柱は半分ほどが崩れ、崩れたところを、金属の梁が支えている。周りをぐるりと高層の建物に囲まれて、神殿は、箱庭の底に落とされた小石のように小さく見えた。
七つの石像は、まだそこに立っていた。顔の線はすり減っていたが、誰が誰なのかは、まだ分かった。まわりには柵が巡らされ、足元では、小さな灯りがいくつもともっていた。
「……何年、経ったんだ」
フルーリアが、かすれた声で言った。
「前に来たのが、二十三日目の夜」
雪葉が、懐中時計を開けた。指先が、わずかに震えていた。
「今が、二十六日目の夜。広場の三日弱。……八千年よ」
八千年。
数字は、頭に入ってこなかった。この夜景を前にして、八千という数字が、ひどく軽く感じられた。
神殿の前の広場に、巨大な映像が映し出されていた。建物の壁をまるごと使った画面だ。解説者らしい男が、原稿を読み上げている。
『――再誕派による白紙還元装置は、いよいよ最終段階に入ったとみられます。政府は引き続き、穏健派との対話を――』
画面が切り替わった。
広い通りを、人の波が埋めていた。黒い服を着た何万もの人々が、白い円を描いた旗を掲げて、行進している。円の中には、何も描かれていなかった。白紙だ。
彼らは、声をそろえて叫んでいた。
『嫌になったら、リセットすりゃいい!』
『嫌になったら、リセットすりゃいい!』
何万もの声が、俺の声で、俺の言葉を叫んでいた。
気づくと、膝が石の階段についていた。
◇
「……お帰りなさいませ」
後ろから、声がした。
神殿の柱の陰に、老人が一人立っていた。昔の巫女の衣によく似た、白い衣を着ている。手には、火のともった小さなランプ。その後ろで、小さな男の子が、老人の衣の裾をつかんでいた。
老人は、石像と俺たちの顔を、何度も見比べた。それから、ランプを地面に置いて、ゆっくりと、深く、頭を下げた。
「わたくしは、この神殿の灯守でございます。神々がお戻りになる夜に、道に迷われぬよう。毎晩、ここに灯をともしてまいりました」
「……毎晩?」
コレーティアが言った。
「はい。わたくしの父も、その父も。巫女アーシェさまの代から、八千年。一夜も、絶やしたことはございません」
老人の足元のランプが、小さく揺れていた。
後ろの男の子が、老人の裾を引っ張った。
「……おじいちゃん。神さまって、ほんとにいたの?」
男の子は、俺たちを見ていなかった。顔のすり減った石像を見上げていた。
「学校で、みんな言ってるよ。神さまなんて、最初からいないって。いたとしても、もう俺たちのことなんか、忘れてるって」
老人は、何も答えなかった。ただ、男の子の頭に、しわだらけの手を載せた。
それから男の子は、ようやく、俺たちのほうを見た。
「……おにいちゃんたち、だれ?」
男の子は、俺の顔と、真ん中の石像の顔を、見比べていた。
「あの像に、ちょっと似てる」
「……似てねえよ」
それしか、言えなかった。
俺は、立ち上がれなかった。
◇
灯守は、語った。
八千年前、神々が最後においでになった夜のこと。巫女アーシェが「また来てくださいますか」と尋ね、神々はお答えにならず、手を振ってお帰りになったこと。
人々は、待った。百年待ち、千年待った。神殿に灯をともし、『七柱記』を読み、神々の言葉の意味を考え続けた。火と道具だけ。仲良くしてね。無理ゲー。
「三千年目のころ、ひとつの教えが生まれました」
灯守の声は、静かだった。
「神ソーマの、最後のお言葉。『嫌になったら、リセットすりゃいい』。……世界が嫌になった者たちが、このお言葉にすがりました。そして、こう考えたのです」
灯守は、映像の中の白い円の旗を、そっと指さした。
「神々は、世界のはじまりにしかおいでにならない。最初の日と、四千年目の夜。どちらも、世界が若かったころ。……であれば、世界を白紙に戻せば、神々はまた、最初の日のようにおいでくださる。そう信じる者たちが、再誕派と呼ばれるようになりました」
誰も、息をしていなかった。
「今では、世の半分が、再誕派でございます。彼らは二十年をかけて、世界を白紙に戻す機械を作ってまいりました。……完成は、もう間もなくだと、言われております」
彼らは、世界を消したいのではなかった。
神さまに、会いたいのだ。
会いに来てくれない神さまに、会うために。八千年待って、それでも来ない神さまを、呼び出すために。彼らは、自分たちの世界を、最初からやり直そうとしている。
嫌になったら、リセットする。リセットしたら、また最初から。
俺が四十七回やってきたことだった。
「……こいつら、俺たちだ」
声が、勝手に漏れた。
トールが黄色の塔で言ったことを、思い出していた。みなさんの記憶の中で、みなさんはいつも逃げていました。嫌になったら、全部リセットして。――やり直せばいい、という感覚そのものも、この世界の人たちは、俺たちから受け継いでいたのだ。俺の軽口は、その当たり前に、名前をつけてやっただけだった。
「一日くらい放っておいてもって……」
二十五日目の夕食。放っておいても育つっしょ。ロケットくらい飛ばしてるかもね。俺たちは、笑っていた。
「……八千年だったのか」
最初の日に、ロルが言った。敵? 出ないわよ。あなたたちが創らない限りはね。
俺たちは、魔王を創らなかった。怪物も、悪の帝国も創らなかった。火と道具だけを渡して、手を振って帰った。それだけだ。
それだけで、十分だったのだ。
「敵は、俺たちが創らない限り出ない――」
喉で、言葉がつっかえた。
「……俺たちが、創っちまったんだ」
何か、見落としてる気がする。二十二日目の朝、鍵をかけた扉の前で、俺はそう言った。見落としていたのは、扉を破って何かが出てくる危険ではなかった。
自分たちの世界を、自分たちで消そうとする危険だった。
俺たちが何度もやってきたことを、この世界が、俺たちのかわりにやろうとしていた。




