第21話 フルーリア
灰色の扉を次に開けたのは、翌日の夜だった。
広場の一日半。向こうでは、四千年と少しが過ぎているはずだった。
コレーティアが、鍵を回した。
扉の向こうは、夜だった。
白紙だった地面は、どこにもなかった。石畳の広い道が、まっすぐに延びている。道の両側には、石を積み上げた家々が並び、窓という窓に、灯りがともっていた。
道の突き当たりに、巨大な神殿があった。
白い石の柱が、何十本も夜空に向かって立っている。その正面に、七つの石像が並んでいた。
いちばん大きな像には、翼が生えていた。片手に、タワシらしきものを持っている。ツインテールの少女の像の足元には、戦車のような獣が伏せていた。眼鏡をかけた像は、手に丸い器を掲げていた。長い髪の像は、手鏡を。胸にナイフを差した像。ラケットを抱いた像。
そして、真ん中の像は、コップを持っていた。
「……俺たちだ」
声に出していた。
「神々だ!」
誰かが叫んだ。
振り向くと、道の上に、人々が集まりはじめていた。粗い麻の服を着た男たち。子どもを抱いた女たち。松明を掲げた老人。誰もが、俺たちを見て、目を見開いていた。
「神々が、お戻りになった!」
人々が、いっせいにひざまずいた。石畳に額をつけて、祈りの言葉を唱えはじめる。
聞いたことのない言葉だった。なのに、なぜか意味が分かった。最初の日に俺たちがしゃべっていた言葉が、四千年分の変化の底に、まだ沈んでいるらしかった。
神殿の奥から、一人の少女が歩み出てきた。
白い衣に、銀の髪飾り。年は、俺たちとそう変わらない。両腕に、分厚い書物を抱えていた。
「わたくしは、この神殿の巫女、アーシェと申します」
少女は、俺たちの前で深く頭を下げた。
「四千年のあいだ、わたくしたちは、神々のお言葉を守ってまいりました」
書物を、そっと開いた。
「聖典『七柱記』。神々が最初の人々に授けてくださった、お言葉の記録でございます」
アーシェの澄んだ声が、夜の神殿の前に響いた。
「神マックスは言われた。『火と、道具だけだ』」
マックスの耳が、ぴくりと動いた。
「神フルーリアは言われた。『こいつら、火と石だけで、ほんとに文明なんか作れんの?』」
「……うちの台詞じゃん」
「神・雪葉は言われた。『腕が八本あれば、道具を同時に八つ使えるでしょう』。――それゆえ、人ははじめ八本の腕を授かるはずであったが、神々がこれを憐れみ、二本に改められた、と伝えられております」
雪葉が、無言で眼鏡を押し上げた。耳が赤かった。
「神コレーティアは言われた。『仲良くしてね〜』」
「え、え、それも入ってるの……?」
「そして」
アーシェは、書物の最初のページに、手を置いた。
そこだけ、文字が金色で書かれていた。
「神ソーマは言われた。『それ、無理ゲーだろ』」
俺は、目を閉じた。
「わたくしたちは、この『ムリゲー』というお言葉を、神々の与えたもうた試練と解しております。火と石のみで世界を築け、という試練。わたくしたちの祖先は、この試練に四千年をかけて挑んでまいりました」
アーシェの顔は、誇らしげだった。
横で、フルーリアが肩を震わせていた。笑いをこらえているのだ。クレイは、なぜか笑っていなかった。
「神ソーマ」
アーシェが、俺の前に進み出た。
人々の祈りの声が、少しだけ静かになった。
「ひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「……なんだ」
「この世界は、よい世界です。けれど、つらいこともございます。飢えの年も、争いの年もありました。人は、ときどき、世界が嫌になるのです」
アーシェは、俺の目をまっすぐに見た。
「世界が嫌になったら、どうすればよいのですか」
なんてことはない質問だと思った。
俺は、笑って答えた。
「嫌になったら、リセットすりゃいい」
いつもの軽口だった。何十回も転生してきた人間の、当たり前の答え。ゲームなら電源を切る。世界なら、次の世界へ行く。
アーシェは、その言葉を、口の中で繰り返した。
「……りせっと」
それから、深く頭を下げた。書物の余白に、何かを書きつけていた。
隣で、クレイが俺を見ていた。何か言いたそうな顔だった。けれど、何も言わなかった。
帰り際、神殿の階段の上から、アーシェが呼びかけてきた。
「神々は、また来てくださいますか?」
俺は、振り返らずに手を振った。
放っておいても、育つんだろ。四千年で、ここまで来たんだ。俺たちが来なくたって、こいつらは勝手にやっていける。
灰色の扉を出ると、コレーティアが鍵をかけた。がちゃり、と重い音がした。
◇
「ソーマ、あんた、どうせ暇だろ」
翌朝、朝食を食べ終えた俺の前に、フルーリアが仁王立ちしていた。
「うちの世界、手伝え」
灰色の世界は、七人で住むための世界だ。けれど、百万倍の速さで育つ世界に、俺たちがいちいち手を出すことはない。それで、残りの扉は、それぞれが自分のために使うことになった。
クレイは、紫の扉で自由帳の世界を創ると言い、コレーティアに手伝いを頼んだ。コレーティアは「うん、いいよ〜」と即答した。断ったところを、俺は一度も見たことがない。マックスとクゥーは、緑の扉へ戻っていった。二度目の一年に、付き添うために。
雪葉は、「私は、パス」とだけ言って、缶ジュースを開けた。
残ったのが、俺だった。
「手伝うって、何をだよ。演習場か?」
「違う」
フルーリアは、橙色の扉を親指で指した。
「敵のいない世界。……うちさ、一回くらい、やってみたかったんだよ。撃つ相手も、守る相手もいない世界ってやつを」
彼女の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「……俺も、ちょっと見てみたい気はするな」
「だろ?」
フルーリアは、にっと笑った。
橙色の扉の向こうは、広場の千倍の速さで時間が流れる。広場の一時間が、向こうの四十日だ。
最初のうちは、上手くいっていた。
白紙の上に、草原を広げた。山から川を一本引いた。川沿いに、橙色の屋根の家を並べた。フルーリアの提案で、空はいつも夕焼けの色にした。「橙の扉なんだから、橙っしょ」というのが理由だった。
草原には、誰も敵を置かなかった。魔物も、盗賊も、いない。山の向こうには、攻めてくる国もない。
「……暇だな」
三週間ほど経ったころ、草原に寝転がって、俺は言った。
「だな」
隣で寝転がっていたフルーリアが言った。
橙色の空を、雲がゆっくり流れていく。川の音がしている。何も起きない。何も起きないまま、日が暮れていく。
「……見張り台くらいは、あってもいいっしょ」
フルーリアが言った。
「敵がいなくてもさ。遠くが見えるところがあると、落ち着くじゃん」
反対する理由はなかった。
村の外れに、見張り台が一つ建った。次の日には、見張り台のまわりに柵ができた。俺が創った。柵があるなら、門もいる。門があるなら、門番の詰所もいる。詰所があるなら、兵舎もいる。
一つ創ると、次に創るものが、自然に頭に浮かんだ。城を創ったときと同じだった。気持ちがいいくらい、手が動いた。
気づいたときには、二か月が過ぎていた。
山の上に、城が建っていた。
黒い石を積み上げた城壁。棘のように尖った塔が七本。城門には、牙を剥いた竜の彫刻。山の麓には、鉄の兵士が何百体も、整列して並んでいた。フルーリアが「門番が足りない」と言って、少しずつ増やしたものだ。
城のいちばん奥の広間には、玉座があった。黒曜石を削って作った、背もたれの高い玉座。肘掛けには、骸骨の彫刻が施されている。俺が創った。何十回も見たことのある形だったから、迷いはなかった。
広間の入り口で、二人とも足を止めた。
「……おい」
「……うん」
「これ、魔王城じゃねえか」
フルーリアは、しばらく玉座を見つめていた。それから、力のない声で笑った。
「敵のいない世界を創るはずがさ。敵の家、建てちまったね」
俺も、笑った。笑うしかなかった。
魔王は、まだ創っていない。でも、あとは玉座に誰かを座らせれば、完成だった。そうしたら、俺は剣を抜いて、あの階段を駆け上がれる。何をすればいいか、分かる。
フルーリアが、玉座に歩み寄った。そして、どさりと座った。
「……座り心地、最悪」
「骸骨だからな」
フルーリアは、肘掛けの骸骨を、指でこつこつ叩いた。それから、玉座の上で膝を抱えた。




