第20話 灰色の、その先
灰色の扉の前に、七人で立った。
広場で過ごす、二十二日目の朝だった。
あの夜から、クゥーは第三中の制服を着ている。脱げないのではなく、脱がないのだと、本人は言った。胸の校章は、朝の光を受けて、にぶく光っていた。
「鍵、かけられるようにしといてよ」
フルーリアが、扉を見上げたまま言った。
「トールのときみたいにさ。中で生まれたやつが、勝手に扉から出てきたらどうすんの。灰色は百万倍だろ。広場で一晩寝てるあいだに、向こうで何が起きるか分かんねえじゃん」
八時きっかりに呼ぶと、ロルは現れた。いつもの深衣で、マグカップを片手に。昨夜のパジャマ姿が嘘のようだった。
「鍵をかければ、絶対に破れないわ」
ロルは、灰色の扉の鍵穴を、指先でとんと叩いた。
「内側からも、外側からもね。女神の保証付きよ。ただし、かけ忘れたら知らないわ」
全員の目が、コレーティアに集まった。コレーティアは鍵束を握りしめて、真剣な顔で頷いた。
「今度は、ちゃんとかける。毎回、かける」
ロルはそれを見届けると、「それじゃ」と消えた。
コレーティアが、灰色の鍵を回した。
◇
扉の向こうは、白紙だった。
青の扉を初めて開けた日と、同じ白。上も下もない、何も描かれていない画用紙の上。けれど、あの日のように足がすくむことはなかった。七人とも、この白に、少しだけ慣れていた。
「最初から、知的生命体を置きましょう」
雪葉が言った。
「灰色は百万倍。広場の一日で、二千七百四十年が過ぎる。私たちが城や街を創ってあげる必要はないわ。住む人を置けば、あとは自分たちで創る」
「何人くらい?」
「百人。少なすぎると続かないし、多すぎると最初から揉める」
誰も反対しなかった。反対する理由がなかった。
百人の姿を、七人で思い描くことにした。一人ずつ顔を決めていくのではなく、「人」というものの形を、七人で一つだけ念じる。あとは、百通りに散らばるはずだった。
「せーの」
コレーティアの声で、七人は目を閉じた。
手のひらの下で、何かが脈打った。トールが生まれたときと、同じ感触だった。
目を開けた。
白い地面の上に、百の影が並んでいた。
丸い頭。大きな目。そして、うねうねと波打つ、八本の腕。
「……タコじゃねえか」
フルーリアが言った。
百匹のタコが、いっせいにこちらを見上げていた。いや、正確には、タコによく似た何かだ。八本の腕を器用にくねらせて、白い地面の上をぬるぬると動いている。
六人の目が、ゆっくりと一人に集まった。
雪葉は、眼鏡を押し上げて、そっぽを向いた。
「……腕が八本あれば、道具を同時に八つ使えるでしょう」
「お前か」
「合理的よ」
「合理的じゃねえよ!」
フルーリアが叫び、コレーティアが吹き出した。マックスは腹を抱えて笑い、その勢いで白い地面に尻もちをついた。クレイも肩を震わせていた。クゥーは口元を押さえて、目だけで笑っていた。
俺も、笑った。
そういえば、七人でこんなふうに笑うのは、ずいぶん久しぶりだった。緑の世界の屋上で校章の話をしてから、誰も笑っていなかった。
タコたちには、丁重に消えてもらった。二度目は、全員でもう一度、人の形を念じた。雪葉も、今度は大人しく念じた。……たぶん。
二度目の百人は、ちゃんと人の形をしていた。
◇
「何を、与えてやるかだな」
マックスが、腕を組んだ。
百人の人々は、白い地面の上に座って、まだぼんやりと周りを見回している。言葉も、まだない。
「火と、道具だけにしておこう」
マックスは言った。
「石を割って刃を作る方法と、火の起こし方。それだけでよい。……学校は、持ちこまぬ」
最後の一言だけ、声が低かった。
誰も、何も言わなかった。全員が、同じことを考えていたからだ。緑の世界の校門の横断幕。俺たちが創ろうとしなかったもの。それでも、湧いてきたもの。
「こいつら、火と石だけで、ほんとに文明なんか作れんの?」
フルーリアが、白い地面に石を並べながら言った。
「石器から始めて、自分たちで街を作って、王様とか決めて? ……それ、何千年かかんだよ」
「それ、無理ゲーだろ」
俺は言った。何も考えずに。
「火と石だけで文明とか、どんな縛りプレイだよ。俺なら三日でコントローラー投げるね」
「縛りプレイでも、灰色なら三日もかからないわよ」
雪葉が、淡々と言った。
「広場の三日は、こっちの八千年」
俺たちは、人々に火の起こし方を見せた。石の割り方を見せた。火打ち石を両手に持ったまま手間取るマックスを見て、雪葉がぼそりと言った。
「……だから、腕が八本あれば、道具を同時に八つ使えるでしょう」
「まだ言うか」
人々は、じっと俺たちの手元を見て、それから、見よう見まねで石を打ち合わせた。火花が散って、枯れ草に火がついた。人々が、声をあげた。それが、この世界で最初の言葉だったのかもしれない。
「仲良くしてね〜」
帰り際、コレーティアが、人々に手を振った。
灰色の扉を出ると、コレーティアは、すぐに鍵をかけた。がちゃり、と重い音がした。ノブを回しても、びくともしなかった。
「よし」
フルーリアが、ようやく肩の力を抜いた。
俺は、灰色の扉を見ていた。
鍵は、かかっている。中のものは、出てこられない。ロルの保証付きだ。心配することは、何もない。
なのに、何かが引っかかっていた。喉に刺さった小骨のように。
「……何か、見落としてる気がする」
「何を?」
クレイが聞いた。
「分かんねえ。気のせいかもな」
俺は、扉に背を向けた。




