↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生師たち ~転生し過ぎたら、女神様にブチ切れられた件~  作者: いおにあ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/32

第16話 クゥー


「クゥーちゃん!」


 コレーティアが叫んだ。けれど、扉のほうへは踏み出さなかった。


「……一人で行って、何ができるっていうのよ」


 雪葉が、懐中時計を取り出した。


 誰も、動かなかった。


 俺も、動かなかった。


 放っておけばいい。さっき、自分でそう言った。クゥーだって、子どもじゃない。気が済んだら、戻ってくるだろう。緑の世界は、広場より時間が速い。向こうで何日か過ごしたって、こっちでは、ほんの少しだ。


 焚き火を見つめた。


 ぱちり、と薪が爆ぜた。


 その音が、なぜか、皿の割れる音に聞こえた。


 ――魔王がいなくなったら、あたしのことも見えなくなったの?


 ミーニャンの声だった。


 猫耳を伏せて、両腕をだらりと下げて。投げる物がなくなった手で、何もつかめずにいた、あの声。


 俺は、答えなかった。答えないまま、トラックを呼んで、あの世界から逃げた。その前の四十六回も、たぶん同じだった。魔王を倒したら、そこにいる誰かが見えなくなる。見えなくなったら、次の世界へ行く。


 今、緑の扉の向こうへ、クゥーが一人で走っていった。


 俺はそれを、放っておこうとしている。


「……十五分」


 雪葉の声で、我に返った。


 懐中時計の蓋を開けたまま、雪葉は言った。


「クゥーが入ってから、十五分。向こうでは、丸一日よ」


 丸一日。


 俺が焚き火の前でぐずぐずしているあいだに、クゥーは、向こうで一日を過ごしている。一人で。


 気づくと、立ち上がっていた。


「……ちょっと、行ってくる」


 六人の目が、こっちを向いた。


 クレイが、何か言いかけて、口を閉じた。


 緑の扉のノブを握った。金色のノブは、ひんやりと冷たかった。


 自分から誰かを追いかけるのは、四十七回の転生で、初めてだった。


◇


 扉の向こうは、雨だった。


 梅雨の走りの、細い雨だった。銀杏の葉を伝って、しずくが坂道に落ちていく。校舎の時計は、朝の八時を少し回ったところを指していた。


 クゥーは、すぐに見つかった。


 校門の脇、雪葉の自販機の横に、しゃがみこんでいた。庇の下にいるのに、肩が濡れていた。ラケットを胸に抱えたまま、膝に顔をうずめている。


 登校してくる生徒たちが、ちらりと彼女を見て、通り過ぎていく。制服を着ているのは、彼女だけだった。


「……クゥー」


 声をかけると、クゥーはゆっくり顔を上げた。前髪の奥の目が、赤かった。


「ソーマくん」

「昨日から、ずっとここにいたのか」


 クゥーは、小さく頷いた。


「……入れなかった」


 校門のほうを見て、クゥーは言った。


「ここまで来たら、足が動かなくなった。一日、ずっと。……日本でも、そうだったの。毎朝、制服を着て、駅まで行って。そこから先に、行けなかった」


 校門の上で、横断幕が雨を吸って、重たげに垂れていた。


 何か言わなきゃいけない気がした。けれど、何を言えばいいのか分からなかった。魔王の倒し方なら、いくらでも知っている。落ちこんだ女の子に掛ける言葉は、一つも知らなかった。


 俺は、自販機のボタンを二回押した。ごとん、ごとん、と缶が落ちてきた。一本を、クゥーの手に押しつけた。


「……なんで、来たの」


 缶を両手で包んだまま、クゥーが聞いた。


「さあな」


 俺は、自分の缶のプルタブを引いた。


「気づいたら、来てた」


 本当は、分かっていた。でも、それを口に出すのは、まだ格好悪かった。


 クゥーは、しばらく缶を見つめていた。それから、一口だけ飲んで、立ち上がった。


「……行ってくる」

「どこに」

「小春ちゃんの、ところ」


 ラケットを握る手に、力がこもっていた。


「ソーマくんは、来ないで。……一人で、行きたいの」


 クゥーは、校門をくぐった。


 一歩目は、震えていた。二歩目も、震えていた。それでも、止まらなかった。


◇


 俺は、少し遅れて図書館に入った。


 来ないで、と言われた。だから、近くには行かなかった。書架の陰から、見ているだけだ。


 あの日と同じように、窓辺の読書席に、小春が座っていた。


 肩までの髪を二つに結んで、背中を丸めて、ノートに何かを描いている。テニスの絵だろう、と俺は思った。見なくても、分かった。


 クゥーが、その隣に立った。


「……それ、なに描いてるの」


 あの日と、同じ言葉だった。


 小春が、びくりと肩をすくめた。


「え、あ……ごめんなさい、ただの落書きで」


 それから、顔を上げて、クゥーを見た。少しだけ、目を丸くした。


「あ……始業式の日の」


 クゥーの肩が、揺れた。


 始業式の日。ラケットを抱えて立ちつくし、「どちらさま」と聞かれて、何も言えずに逃げ出した転校生。小春の中のクゥーは、それだけだ。


「あのときは、ごめんね」


 クゥーは言った。声は小さかったが、震えてはいなかった。


「急に、話しかけて。びっくりしたよね」

「あ、いえ……」

「あたし、クゥー。二年の、転校生」


 クゥーは、小春のノートをのぞきこんだ。


「ラケット。……上手」


 小春が、耳まで赤くなった。


「テニス、したいの?」

「……部活は、ちょっと。上手な人ばっかりだし」


 一言一句、あの日と同じだった。


 クゥーは、胸に抱えていたラケットを、そっと差し出した。


「部活じゃなくて、いい。……あたしも、下手だから」


 小春は、ラケットとクゥーの顔を、交互に見た。それから、不思議そうに首をかしげた。


「あの……前に、どこかで会いました?」


 書架の陰で、俺は息を止めた。


 クゥーは、少しだけ黙った。前髪の奥で、何かがこぼれそうになって、こらえたのが分かった。


「……ううん」


 クゥーは、首を横に振った。


「はじめまして」


 そして、小さく笑った。


「はじめまして、からで、いい」


 小春は、よく分からない顔をした。それでも、つられたように笑って、ラケットを受け取った。


 窓の外では、雨が上がりかけていた。


 書架の陰で、俺は詩集を一冊、棚から抜いては戻した。そうでもしないと、どんな顔をしていればいいのか分からなかった。


 リセットしたあとで、同じ相手のところへ、もう一度行く。


 そんなことを、俺は一度もしたことがなかった。リセットしたら、次の世界へ行く。新しい仲間と、新しい冒険を始める。前の世界の誰かのところへ戻って、「はじめまして」からやり直すなんて、考えたこともなかった。


 クゥーは、全部覚えている。一緒に打ったテニスも、二本目のラケットも、雪だるまも、えんじ色のマフラーも。相手は、何一つ覚えていない。それを分かったうえで、クゥーはもう一度、最初の一言を言いに行った。


 リセットじゃない。これは、続きだ。


 その日の放課後、体育館裏の空き地で、二人はテニスをした。ラケットは一本しかないので、交代で打つ。球は、ほとんど相手に届かない。


 帰り際、クゥーが俺のところへ来た。


「……見てたでしょ」

「見てねえよ」

「見てた」


 クゥーは、ラケットを抱え直した。


「今度は、ひとりにしない。……小春ちゃんも、あたしも」


 四つめの校則。何度も書き直した跡のある、あの一行だった。


 その夜、俺は校門の脇の自販機の前で、缶ジュースを一本飲んだ。


 緑の世界に来てから、まだ一日しか経っていない。広場に戻れば、ほんの十五分ほどのことだ。戻ろうと思えば、いつでも戻れた。


 戻らなかった。


 理由は、自分でもよく分からなかった。ただ、ここで戻ったら、何かがまた「クリア」になってしまう気がした。


 翌日、俺は一日じゅう、学校のあちこちを歩いた。転校生が一人でうろうろしていても、誰も気にしなかった。


 そして、気づいた。


 空気が、前より重い。


 昇降口の掲示板には、もう運動部の大会の結果ばかりが貼られていた。文化部の案内は、その下に小さく押しこまれていた。廊下ですれ違うジャージの一団は、まだ一学期だというのに、もう肩で風を切って歩いていた。


 昼休み、図書館の窓辺には、ひょろりと細い背中が一つだけあった。湊だった。向かいの席は、空いていた。


 体育館裏では、クゥーと小春が、一本のラケットを交代で振っていた。その様子を、渡り廊下の窓から、女子が三人、ひそひそと見下ろしていた。


 前の一年では、ひそひそ声が聞こえはじめたのは、十一月だった。


 今は、まだ六月にもなっていない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。