第15話 また繰り返す
始業式が終わると、俺たちは誰からともなく緑の扉をくぐって、広場へ戻った。
広場は、夕暮れだった。
焚き火のまわりに、七人で座った。トールはいなかった。背の低い椅子が一脚、空いたままになっていた。
マックスが肉を焼いた。誰も、焼き加減に文句を言わなかった。誰も、ほとんど食べなかった。クゥーは膝の上にラケットを載せて、ガットの目を、指で一つずつなぞっていた。
「……今度は、上手くやればいいさ」
沈黙に耐えきれなくなって、俺は言った。
「同じ一年を、もう一回やるだけだろ。どこで何が起きるか、全部分かってるんだ。攻略本を持って、二周目をやるようなもんだ」
誰も、返事をしなかった。
クゥーが、ラケットを抱えて立ち上がった。そのまま、何も言わずに小屋へ戻っていった。
その夜、俺はなかなか眠れなかった。
目を閉じると、あの目が浮かんだ。知らない人を見る目。……どちらさま、ですか?
二周目のゲームなら、何度もやった。二周目のキャラクターは、一周目のことを覚えていない。当たり前のことだ。そのことで胸が痛んだことなんて、一度もなかった。
眠れないまま小屋を出ると、焚き火のそばに、クレイがいた。
膝の上に、自由帳を広げている。鉛筆を持っているのに、何も描いていなかった。開いているのは、いちばん新しいページだった。
「……描かないのか」
「描けないんだ」
クレイは、ページを焚き火にかざした。
紙の真ん中が、薄くなっていた。何度も消しゴムをかけた跡のように、繊維が毛羽立って、向こうの炎が透けて見える。美術室で見た、あの画用紙と同じだった。
「巻き戻しを使うたびに、こうなるんだ。どのページも」
クレイは、薄くなったところを、指先でそっと撫でた。
「ここに、描いてあったんだよ。……小春ちゃんとクゥーちゃんの、雪だるま。湊くんの詩。マックスの、あの背中」
「……描き直せばいいだろ。今度は、上手く」
俺が言うと、クレイは少しだけ笑った。いつもの笑顔とは、どこか違った。
「君は、やり直せばいいって言ったね。あのとき」
「言ったけど」
「ぼくも、ずっとそう思ってた。やり直せばいい、って。……でも、やり直すたびに、紙は薄くなるんだ。いつか、破れる」
クレイは自由帳を閉じて、胸に抱えた。
「おやすみ、ソーマ」
それ以上は、何も言わなかった。
◇
翌朝。広場で過ごす、二十一日目の朝だった。
小屋の机には、いつものように朝食が置かれていた。白いご飯、わかめと豆腐の味噌汁、焼き魚。まだ湯気が立っていた。俺は、それを半分だけ食べた。
焚き火のところへ行くと、もう六人がそろっていた。誰も何も言わないのに、全員が、緑の扉のほうを見ていた。
「……のぞくだけ、のぞいてみようか」
クレイが言った。
緑の扉を、細く開けた。
扉の向こうは、銀杏並木の坂の上に通じている。すぐ目の前が、校門だった。
向こうの世界は、五月の終わりだった。
巻き戻してから、二か月近くが過ぎている。広場の一晩は、緑の世界の五十日だ。坂道の銀杏は、すっかり青々と茂っていた。私服の生徒たちが、朝の坂を上ってくる。
そして、校門に。
白い布に、墨で太く、四つの文字。
――文武両道。
「……なんで」
コレーティアが、かすれた声で言った。
「体育祭、まだずっと先だよ。前は、九月だったのに」
横断幕は、まるでずっと前からそこにあったような顔で、朝の風にはためいていた。
校門の脇には、生徒会の貼り紙もあった。
『新制服、決定しました! お披露目は、六月の全校集会にて』
「決まったのかよ、制服」
フルーリアが、目を丸くした。
「前は、一年かかっても決まらなかったじゃん」
「私たちが、いないあいだにね」
雪葉が、淡々と言った。
クゥーは、貼り紙を見つめたまま、動かなかった。
「前より、早い」
クレイが、ぽつりと言った。
「巻き戻しても、空気は消えないんだね。……むしろ、濃くなってる」
「当然よ」
雪葉が、眼鏡を押し上げた。
「トールの話が正しいなら、あの世界は、私たちの中にある学校を受け継いでいる。巻き戻す前の晩、私たちは焚き火を囲んで、何をしていた?」
誰も、答えなかった。答えは分かっていた。
七人で、自分の学校のことを思い出そうとしていた。
「思い出せば思い出すほど、濃くなる。……そういうことでしょう」
雪葉は、扉を閉めた。
◇
「もう、消そうぜ」
最初に言ったのは、フルーリアだった。
「あの学校、町ごと。うちらが創ったんだから、うちらで消せばいい。何回やり直したって、どうせまた、あの横断幕が掛かるんだろ? だったら、最初からなかったことにしたほうが、すっきりするっしょ」
「賛成」
雪葉が、すぐに言った。
「損切りよ。これ以上つぎこんでも、同じ結果になるだけ。見込みのない投資は、早く切ったほうがいい」
「待って」
クレイが、珍しく声を強めた。
「反対だよ。あそこには、六百人の生徒がいる。先生も、町の人も。小春ちゃんも、湊くんも。ぼくたちが創ったからって、ぼくたちの都合で消していいことには、ならない」
「……消さないで」
クゥーが言った。小さな声だった。けれど、はっきりしていた。
「お願い。消さないで」
フルーリアが、頭をかいた。
「じゃあ、どうすんだよ。また巻き戻す?」
クゥーの肩が、びくりと震えた。
マックスは、何も言わなかった。焚き火のそばにしゃがんで、タワシで広場の石を磨いていた。ごし、ごし、と、同じ石ばかりを。
「……湊は、あそこにおる」
ぽつりと、それだけ言った。
「我のことは、もう覚えておらぬがな」
「み、みんな、ちょっと落ち着こ?」
コレーティアが、両手を振った。いつもの笑顔を作ろうとして、上手くいっていなかった。
「ね、全員一致で決めよ? みんなが賛成できる方法、きっとあるから。消すんじゃなくて、巻き戻すんでもなくて、えっと……」
その先が、出てこなかった。
「ソーマは?」
フルーリアが、こっちを見た。
「あんたは、どうしたいんだよ」
俺は、焚き火を見ていた。
消すのも、巻き戻すのも、面倒だった。どっちを選んでも、誰かが嫌な顔をする。それなら、答えは一つだ。
「放っておけばいい」
俺は言った。
「消さなくていい。巻き戻さなくていい。あそこはあそこで、勝手に回っていくだろ。世界は、ほかにもある。扉は、まだ四つ残ってるんだ。次の世界を創ればいい」
クレイが、ゆっくりとこっちを向いた。
いつもの笑顔ではなかった。
「君はまた、捨てるのかい」
静かな声だった。
「……捨てるんじゃねえよ。放っておくだけだ」
「同じことだよ」
クレイは、目をそらさなかった。
「最初の世界で、城と街ができたとき、君は言ったよね。これ、もうクリアだろって。……あのときと、何が違うんだい」
言い返せなかった。
何も違わなかった。
「消すにしても、巻き戻すにしても」
雪葉が、冷たく言った。
「全員一致のルールがある。巻き戻すなら、そもそも七人の手がいる。……このままじゃ、何も決まらないわね」
誰も、何も言わなかった。
全員一致のルールができてから、初めて、全員一致にならなかった。
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
その音を合図にしたように、クゥーが立ち上がった。
ラケットを胸に抱えて、走り出した。止める間もなかった。緑の扉を開け、その向こうへ飛びこんでいく。
扉が、ばたんと閉まった。




