第14話 巻き戻し
美術室には、クレイが一人で残っていた。
七人がそろうまで、それほど時間はかからなかった。コレーティアは合唱部の練習を抜けてきて、フルーリアは陸上部のジャージのままで、マックスは、図書館から走ってきた。
クゥーは、クレイの前に立った。
「お願い」
声が、震えていた。
「やり直させて」
クレイの手が、机の上の自由帳の表紙で止まった。
「……どこまで?」
「四月。始業式の日。……あたしと、会う前に」
クゥーは、顔を上げなかった。
「あたしと友だちにならなければ、小春ちゃんは、あんなことされない。だから、会う前に戻して。お願い」
「待てよ」
フルーリアが、机を叩いた。
「やったやつら、見つけて、ぶっ飛ばせばいいじゃん。うちがやる。一人残らず」
「それじゃ、なくならない」
クゥーが、首を振った。
「一人いなくなっても、別の誰かが、やる。……知ってるもん」
フルーリアは、何か言いかけて、口をつぐんだ。
クレイが、自由帳を開いた。
表紙の角がすり切れて、ページの端が毛羽立っている。何度も何度も描いては消した跡が、どのページにも残っていた。
「七人全員の手が、いるんだ」
クレイは言った。
「巻き戻した時間のあいだに起きたことは、全部なくなる。生まれたものも、消える。覚えているのは、ぼくたち七人だけになる」
それから、少しだけ、ためらった。
「……消しゴムでこすりすぎると、紙が破れるんだ」
「どういう意味だよ」
フルーリアが聞いた。
クレイは答えなかった。自由帳の、薄くなったページを、指先でなぞっていた。やがて小さく首を振って、その上に、自分の手を置いた。
「……いや。なんでもないよ」
クゥーが、手を重ねた。
コレーティアが、その上に手を置いた。
「……クゥーちゃんが、そうしたいなら」
いつもの笑顔だった。いつもより、少しだけ、ぎこちなかった。
「四月の始業式まで、十か月半」
雪葉が、表情を変えずに言って、手を重ねた。
フルーリアは、舌打ちをして、乱暴に手を置いた。
マックスの手は、しばらく宙で止まっていた。
「……詩の会も、なかったことになるのだな」
誰にともなく、そう言った。
「……ごめんなさい」
クゥーが、うつむいたまま言った。
マックスは、長い息を吐いた。それから、大きな手を、そっと重ねた。
「……構わぬ」
最後は、俺だった。
六人の手の上に、自分の手を置いた。
「やり直せばいいだろ」
軽い気持ちだった。ゲームなら、何度でもやり直してきた。セーブデータを消して、最初から。転生だって、似たようなものだ。
全員一致で、決まった。
反対する者は、一人もいなかった。――誰も、「いやだ」と言えなかっただけかもしれない。
自由帳が、光った。
ページが、ひとりでにめくれはじめた。前へ、前へ。描かれた線が、消しゴムにこすられるように、端から薄れていく。
窓の外で、降っていた雪が、空へ昇っていった。
裸だった銀杏の枝に、黄色い葉が戻ってきた。黄色は緑に変わり、緑は、若葉の色に縮んでいく。体育館裏の雪だるまが、溶けるより先に消えた。校門の横断幕が、はためきながら薄れていった。
首に巻いていたマフラーが、ほどけるように消えるのを、クゥーは黙って見ていた。
上着のポケットの中で、薄い冊子が、紙の重さごと消えた。三回も読んだのに、ちゃんと覚えているのは、タワシの詩の最後の一行だけだった。
図書館の窓辺で、二つ並んでいた背中が、一つになった。
どこかで、ノートのページが白く戻っていく音がした。
◇
桜が咲いていた。
銀杏並木の坂道を、私服の生徒たちが上っていく。体育館には、パイプ椅子が整然と並んでいた。壇上で、校長先生が、あの日と一言一句同じ挨拶をしていた。
四月。始業式の朝だった。
教室に戻ると、窓際のいちばん後ろの席に、小春がいた。肩までの髪を二つに結んで、背中を丸めて、ノートに何かを描いている。
クゥーは、ラケットを胸に抱えて、その前に立った。
小春が、顔を上げた。
知らない人を見る目で、クゥーを見上げた。
「……どちらさま、ですか?」




