第八話 ノリ対ノリ
二回戦の相手は北央高校で、整列の時点で声が大きかった。コートの向こう側でアップをしている六人の中に、ハチと同じ種類の体を見つけた。三番。ミドルの位置に立っている百八十五くらいの細長い体が、スパイク練習のたびに吠えるような声を出していて、一本打つごとに自分のプレーに頷いている。
ベンチで腰を下ろしたまま、メモ少年がノートを膝に開いた。
「北央の三番、県ベスト8の試合で十二点です。ファーストテンポ——トスが上がる前に跳んで打ち切るタイプっす。レフト側に打つ比率が六割」
監督が腕を組んだまま頷いて、直が短く引き取った。
「三番は速い。正面で張り合わずに拾って切り返す。ブロックはワンタッチ狙いで」
メモ少年がノートを閉じて、ベンチの端に置いた。七番が光る。ユニフォームの白が照明を跳ね返している。あいつがS1で立つ。メモ帳を置いた両手が膝の上で拳になっていた。
ハチがネット越しに三番の背番号を見ていた。怯えはない。つま先がずっと上がったまま、じっとしていられない体がベンチの前で小さく揺れ続けている。
「あれっすか」
ハチがボールを片手で回しながら、小声とは言えない声量で聞いた。頷く。ハチの口角が唇の端だけで上がった。
北央の三番がちょうどAクイックを打ち終えたところで、セッターの手を離れた瞬間にはもうインパクトが終わっていた。相手コートの三メートルライン内側にボールが突き刺さっている。打点が高い。腕も長く、ハチとほぼ同じタイプの速攻ミドルだった。
足元が速い。コートに立つ前から、試合の中にいる足音を立てていた。俺はベンチに座ったまま、その足音を聞いている。
試合が始まった。タカがレフト、直が前衛のセッター位置、ハチがライト寄りに入った。メモ少年が後衛で堀内さんとアニキに守られるように立っている。
北央のサーブを片桐が弾いて、ボールが直のもとへ低く飛ぶ。直の指がボールに触れた瞬間、ハチはもう踏み切っている。Aクイック。鋭い打球音が鳴って、ボールが相手コートの真ん中を叩いた。
「っしゃあ!」
ハチの声が壁に跳ね返る。拳が上がる。直のもとに走ってハイタッチした。直が短く「もう一本行ける」とハチに言って、すぐセッター位置に戻る。全開だった。一本目から。
「いいぞハチ!」
ベンチから声を飛ばした。ハチが振り向いて、にかっと笑う。
次のラリーは北央の攻撃で、レシーブが返った相手コートから三番がネット際に走り込んできた。ハチのブロックが一拍遅れて、Aクイックの打球が指の横を抜けて床を弾く。
三番が着地して吠える。声の圧がハチに似ていて、振り上げた腕の角度まで同じだった。
「速い……」
ハチが呟いた。でも口角は上がっている。足が床を二度叩く。苛立ちではなく、次のラリーを呼ぶ足音だった。
サイドアウトを取る。直がBクイックを出して、ハチがネット中央から横にずれながら走り打ちした。ブロックの指先をかすめた打球が斜めに床を叩く。次のラリーで三番がAクイックで返してきた。
ハチが決める。三番が返す。点差が動かない。二人の速攻がネットを挟んで往復する間、コートの温度がその一帯だけ上がっていた。
ラリーの合間にハチがベンチを振り返って、息を切らしたまま笑った。
「楽しいっす! あいつ速いっすけど、俺のほうがノってます」
「お前のノリに根拠はあんのか」
「根拠とかじゃないっす。体が言ってるんで」
呆れかけて、やめた。ハチの足がもう次の助走を踏みかけている。理屈は要らない。
コートの中でメモ少年がカバーに走っていた。ハチのクイックが弾かれた球を追いかけて、胸から滑り込んでいる。拾えなかった。でも走っていた。
乗っている時のハチは着地から次の助走まで呼吸を一つ挟む余裕がある。
十五対十四でタイムアウトのホイッスルが鳴る。ハチは汗を拭かなかった。タオルを受け取った手がそのまま止まっていて、コートの向こう側から目を離さない。
メモ少年がベンチに戻ってきて、隣に腰を下ろした。息が荒い。額の汗をユニフォームの裾で拭いている。攻撃では貢献できない。それでも両足がまだコートに向いていた。
直がハチの横に立って、短く言った。
「ハチ。Bを増やす。向こうのセンターが中に張ってるから、横にずらせば枚数が減る」
「……Aじゃ駄目っすか。あいつ、Aで勝負してきてるんで」
「だから横にずらす。正面からやり合う必要はない」
「五十嵐先輩、でも——」
「ハチ」
口を挟んだ。
「直の配球で打て。お前の速さは横に動いても消えない」
ハチは唇を引き結んで、それから頷いた。目がまだネットの向こうに残っている。配球の話は聞いている、けれど体はもうコートに戻りたがっていた。
ベンチの端で右手を握った。ハチが止められている。昨日の練習で合わせた時間差が頭に浮かぶ。俺が入れば、ブロッカーはハチだけ見ていられなくなる。出してくれ、と思った。
ハチのクイックは速い。速いが、パターンがAとBの二種類しかなくて、どちらもネット際から真っ直ぐ入る助走だから踏み切りの位置がほとんど変わらない。読むブロッカーなら、助走の一歩目を見ればどちらに来るか判る。時間差があれば崩せる。直、出してくれ。
タイムアウトが終わって、ハチがコートに走り戻る。足音はまだ大きい。
一つ回って、ハチがセンターに入る。堀内さんがレフト側に立った。
十七対十六。ハチのBクイックがブロックに当たった。間に合う。北央のセンターブロッカーがハチの助走の一歩目を見てから動いているのに、横移動が間に合っていた。
ハチの腕が振られる前にブロックの壁がそこにあった。ボールがハチの足元に落ちる。
直がネット越しに北央のベンチを見ていた。目が細い。相手の監督が何か指示を出したのか、ブロッカーの付き方が変わっている。スパイカーの動きに合わせて跳ぶコミットブロックではなく、トスを見てから移動するリードブロックに切り替えたらしい。それでもハチの入る位置を読んでいるから間に合っている。
ハチが次のラリーでブロックに跳んだ。指先がネットの白帯に触れた。タッチネット。審判の腕が上がって笛が鳴る。ハチの足が着地した場所で止まった。片桐が「ドンマイ!」と声を出したが、ハチの歯が唇の内側を噛んでいた。
次のラリーでハチがAクイックに入る。北央のセンターがリードで見てからの移動だがハチの入る位置を読んでいるから間に合っている。
ハチが打った打球がブロックの腹に当たって真下に落ちた。シャットアウト。ハチの足が着地した場所で止まって、一秒動かない。片桐が後衛から「切り替え!」と声を飛ばした。
「ハチ!」
ベンチから呼んだ。ハチが振り向く。
「読まれてる。でもお前の速攻がなきゃ始まらない。走り続けろ」
ハチの目が一瞬だけ揺れて、それから頷いた。
十九対二十一。三番が三連続で得点する間にハチのクイックが二本止められている。向こうのブロッカーがハチの助走の入り方を完全に覚えていた。
ハチの声が消えた。
トスが上がる。ハチがクイックに入って打ったが、ブロックに触れてワンタッチを取られた。声が出ない。
その次も直がBクイックを出してハチが打つ。ストレートを狙った。北央のセンターがそこにいた。ブロックの上端を叩いたボールがこちら側に返ってきて、誰も触れないまま床に落ちる。
ハチの靴底が硬い音を立てて止まった。足踏みも声も消えている。両手が体の横に垂れて、指を固めようとした手が途中で止まっている。ノリで跳ぶ一年がノリを失ったまま立っていた。動かない。
「ハチ、下がっとれ。俺が打つ」
タカがレフトから声を飛ばす。片桐が「次!」と短く重ねたが、ハチの足は動かない。
タカがレフトから力任せに打ち抜いた。「まだや!」と着地して叫ぶ。何とかサイドアウトを取ったが、次のラリーで北央が切り返して得点。二十対二十四になる。
北央のサーブが入って、そのラリーも落とす。二十対二十五。第一セットを取られた。
コートチェンジの間、ハチはベンチに座ったまま膝に両手を置いて動かない。タオルが首にかかっているが使わない。汗が一筋、こめかみから顎の先まで伝っていて、体育館の照明を受けたまま落ちずにいた。
隣には座らなかった。立ったまま、コートの向こう側を見ている。三番がチームメイトと拳を合わせていた。ハチと同じ種類の声量で、勝っている側の空気をそのまま纏っている。——まだ一セットだ。
ベンチの端でメモ少年がスコアブックにペンを走らせていた。コートから戻ったばかりなのに、もうデータに切り替えている。汗が紙に落ちそうだ。腕で拭った。
直がベンチの端で監督と短く話した。戻ってくる。ハチの前で足を止めた。
「ハチ」
タオルの下から出た目が充血している。泣いたのではなく、ブロックに止められた時の衝撃がまだ瞳の奥に残っている目だった。
「二セット目、配球は散らす。お前には出すから、走り続けろ」
ハチの唇が動いたが声は出ない。代わりに顎が一度だけ下りて、頷きにしては小さいが拒否ではない動きだった。
直はハチから目を外して、俺の前に来た。
「王様」
背中越しに、左手を出した。指が三本立っている。
昨日の練習で使ったサインだ。ハチの囮にセミを合わせる——時間差。
「一セット目はわざと出さなかった。ハチの速攻だけ見せて、相手の目をセンターに集めた。二セット目、使う」
右腕が熱くなった。昨日、五本打って三本合わせた軌道。ハチの影が落ちるタイミング。踏み切りの一歩目。体がすべて覚えている。
「合わせる」
第二セットのホイッスルが鳴った。




