第十八話 読まれる
メイン会場の体育館は、今までの試合会場とは天井の高さが違った。
照明の数が多くて、床が白く光っている。観客席にパイプ椅子が三列並んでいて、半分以上が埋まっていた。知らない大人の声と、どこかの学校のベンチからの声援と、笛の音が壁に跳ね返って混ざり合い、体育館全体がひとつの低い唸りみたいな音に包まれている。
観客席の端にクラスメイトが数人いた。マフラーを巻いた見覚えのある影も混ざっている。
整列して礼をする。対面のチームの列を見ると、一人だけ目が合った。向こうのエース。4番。俺より低くて、体格も薄い。目が合ったまま向こうが先に視線を外したが、表情はまったく動かなかった。
「行くぞ」
キャプテンの声で円陣を組む。六人の手が重なる。声が上がって、散る。
笛が鳴って、相手のサーブで始まった。序盤は動いた。直が速い配球で相手のブロックの間を抜いて、ハチが跳んで叩く。ブロックの指をかすめて落ちた。
「よっしゃあ!」
ハチが拳を突き上げて、直と手を合わせる。タカのレフトも通った。助走三歩で打ち切って、相手のブロック一枚の横を抜いていく打球音が体育館に響いた。
流れはこちらにある。
向こうの4番がボールを受け取った。レフトに開く。味方のセッターに一度だけ目を向ける。
トスが来るまでの間に、4番の目が動いた。ブロッカーではなく、こちらのコートを見ている。何を見ているのかは分からない。ほんの少しだけ顎を引いて、助走に入った。
レフトからの攻撃。キャプテンとハチの二枚がついている。抜けない角度のはずだった。ボールが二枚の間をすり抜けて、アニキが前腕を出したが指先の上を通過してコートに落ちる。
音が小さい。叩きつけるのではなく、ブロッカーの指の隙間を通す打ち方だった。力で押すのではなく、場所を選んでいる。
次のラリーでも同じだった。ブロックが二枚ついているのに、右の腕の下を狙ってきた。ブロッカーの手が下がるほんの少しの隙間、わずか数センチのコースにボールを通してくる。アニキが床すれすれで前腕を出して、指先がボールの底に触れたが弾き上げきれない。コートに吸い込まれるみたいに落ちた。
「切り替え!」
アニキの声がコートに響く。向こうの4番の背中を見た。コートを歩いてネット際に戻っていくが、声を上げない。仲間と手を軽く合わせるだけで、すぐにブロックの位置についていた。
目の動き方が違う。打つ前も打った後も、ボールではなくこちらのコートを見ているように見えた。
中盤まで競った。相手がサーブミスで一本落として、こちらも堀内さんのコース打ちが決まり、点差は二点のまま進んでいる。
前衛に回る。
最初の攻撃で、直がトスを上げる前にライト側に走った。ハチにクイックが出て、ブロッカーが寄って、直のトスがハチの前に浮く。ブロックが二枚ついている。ハチのクイックに二枚。
おかしい。俺がライトにいて、囮で走ったのに、ブロッカーの視界には入っていたはずなのに二枚ともハチについている。俺の方を一瞬も見ていない。
ハチが打ち切ったが、ブロックの指にかかってボールがネットの上で跳ね、こちらのコートに落ちた。
「ドンマイ!」
ハチの声にアニキが小さく頷いて、位置に戻る。
次のラリーで、直がセットアップの姿勢に入った。
囮で跳んだ。タイミングを合わせて、ライト側で踏み切って、空中で腕を上げる。
ブロッカーが動かなかった。
二枚とも、レフト側を向いている。タカのところにブロックが寄っていて、俺が跳んでいるのに誰も反応しない。空中にいた。腕を上げたまま、何も起きない空間にいた。何も変わらない。跳んだことがコートの上の何も動かさないまま、体が落ちてくる。
タカがブロック二枚の上から打って、ボールが相手コートに落ちる。ハチが「ナイスキー!」と声を上げてタカと手を合わせた。
入った。入ったけれど、俺は何もしていない。
次の攻撃で、タイミングをずらした。ハチが先に跳んでブロッカーがハチに一枚つく。遅れて踏み切る。ライト側で打つ。
ブロッカーが待っていた。
遅れて跳んだはずなのに、向こうのブロッカーがもう正面にいる。踏み切る前から腰を落として、コースを塞いでいた。手首を返す余裕がなかった。ブロックに当たって真下に落ちる。
「ドンマイ!」
ハチの声が飛ぶ。アニキが小さく頷いて、直がこちらを見た。目が何か考えているが、声は出さなかった。
次はブロードに走った。助走を横に取って、ネットに沿うように左から右へ走りながら直のトスが流れてくるのを待つ。左足で踏み切った。
ブロッカーがついてきていた。助走を始めた瞬間に横に動き始めていて、走り始めの角度で方向を読んでいる。左足で踏み切った時には、もうブロッカーがコースの先にいた。
正面に打つしかなかった。ブロックに当たり真下に落ちる。
向こうのベンチから短い声が上がった。相手のブロッカーが軽く手を合わせて定位置に戻り、向こうの4番がベンチに目を向けて小さく顎を引いた。声は出さない。指示も出さない。それでもブロッカーの動きが正確だった。
全部読まれている。
「次!」
アニキの声がコートに響く。ハチが口を開いたが、出てきた声は小さかった。
「……はい」
いつもの元気がない。タカが何も言わずに顎を引く。ハイタッチの手を出して、半歩遅れて集まった。
アニキが拾った。
相手のスパイクが飛んできて、アニキの前腕がボールの下に入った。低い姿勢のまま床すれすれで返して、ボールが直の頭上に上がる。直がハチにクイックを出して、ブロック一枚をハチが打つ。相手がレシーブで返した。ラリーが続く。
向こうが返してきたボールを堀内さんが後衛から拾う。腕が伸びてボールが浮いて、直がライトに上げた。打つ。ブロック二枚。ワンタッチを取ったが、相手がフォローして返してくる。
また拾った。アニキが胸から床に滑り込んで、すぐに構え直していた。何度も何度も床に飛び込んで何度も拾うけれど、攻撃が決まらないからラリーが終わらない。
七本目のラリーで、堀内さんのスパイクがラインの外に落ちた。長いラリーの末に笛が鳴る。
「まだいける!」
アニキの声は荒い息の間から出ていた。前腕を軽く振って位置に戻る。
こちらの得点が止まっていた。ハチのクイックに二枚つく。タカのレフトにも二枚がそろって、堀内さんのコース打ちは一枚で拾われる。俺の囮が効いていないからブロックが正しい方向に二枚揃って、直が何を出しても一歩先を読まれていた。
サーブレシーブの前、アニキが声を張った。
「来い!」
サーブが来て、タカのレシーブが直の頭上に返る。レフト。直がタカに出して、タカがブロック二枚の間から打ち切る。ボールがブロッカーの手に当たってネットの上で一瞬止まり、こちら側に落ちた。
タイムアウトの笛。
ベンチに戻ると、監督が腕を組んだまま何も言わない。
直がノートを広げた。インクで汚れたページの端に指が触れる。何度も書き直した跡が重なっていて、線の上に線が引かれている。答えがない。指が紙の上を走ったが、どこにも止まらなかった。
「前衛は枚数がきつい」
低い声。直がページから目を上げずに言った。
「向こうの4番が配球読んでる。何出してもブロック二枚揃えてくる」
誰も返さない。直の指がノートの端を弾いて、紙が小さく鳴った。
「後半変える。変えるから——」
「お前だけの仕事ちゃうやろ」
タカが立ち上がりながら言った。直のノートには目を向けない。
「六人おるんやから」
タイムアウトが終わる笛が鳴って、コートに戻る。
1セット目の終盤、相手の連続得点が続いた。
タカのジャンプサーブがネットにかかって、ハチが「ドンマイ」と声を上げたが語尾が消えていた。タカは黙って位置に戻る。
向こうの4番が二本続けて決めた。二本とも、ブロックの隙間を通すスパイクで、打球音が小さくてボールだけが正確にコートの端に落ちていく。力で割るのではなく、開いている場所に置くような打ち方だった。
笛が鳴った。セットカウント、0-1。
コートチェンジの間、ネット越しに向こうのベンチを見た。4番が座って水を飲んでいて、タオルで顔を拭いてから隣の選手に何か短く話している。汗をかいていない。呼吸も乱れていない。こちらが何十本もラリーを繰り返している間に、向こうは効率よく得点を重ねていた。
アニキがタオルで汗を拭いている。ユニフォームの胸元が床の汚れで黒ずんでいた。アニキは何も言わずにタオルを畳んで、ベンチの端に置いた。
直がノートを閉じる。開いていた時間は短くて、ページの角にインクの染みが残っている。閉じた顔は、答えが出た顔ではなかった。
自分の右腕を見た。囮に跳んだ回数は覚えていない。何度も跳んだ。でも相手のブロッカーの目がこちらに向く気配がなかった。
跳んでも、走っても、タイミングをずらしても、前衛からの攻撃は読まれていた。キャプテンが立ち上がって、着地の一歩目がわずかに遅いのが視界の端に入った。
2セット目が始まる。打つ手がなかった。




