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王様にトスは来ない  作者: お寿司


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12/25

第十二話 司令塔

 スタメン表に俺の名前があった。途中出場じゃない。最初からコートに立つ。


 三回戦の相手は明和高校。整列して礼をした時、向こうのセッター——背番号一番が直を見ていた。直も見ていた。ネットの白い帯を挟んで、二人の視線が一瞬だけ止まる。一番の目は冷えていた。感情が表に出ない目。直の目にも何も浮かんでいなかった。


 ホイッスル。


 青嶺のサーブから試合が始まった。相手のレシーブが返って、五番のスパイクがストレートに飛んできた。アニキが腰を落とす。前腕にボールが当たる音が短く柔らかかった。弾かずに吸い込んで、ボールが直の頭上にまっすぐ返る。Aパスに近い精度。アニキのレシーブが返った瞬間、直のトスの選択肢が全部生きた。


 直が一瞬溜めて、トスを出す。レフトへ。タカがフリーで打ち込んだ。三番の腕が横に伸びた時にはもう遅い。通過。


「よっしゃ!」


 ハチの声がコートに弾けた。タカと手を合わせる音が、乾いて短い。


 次のラリーでCクイックの助走に入った。直の背後からネットに向かって踏み切り、腕を振り上げる。三番の足が一瞬だけ止まった。セッターの後ろから飛び込んでくる俺に引っかかって、体がこっちに傾く。その間にトスはハチへ。Bクイックが相手コートに突き刺さった。


「っしゃあ!」


 ハチが吠えて走ってきた。直と拳を合わせて、そのまま俺の前に手を出す。叩いた。掌が乾いた音を立てた。


「ナイスです藤原先輩!」


 メモ少年の声がベンチから飛んだ。


 囮が効いている時は体で分かる。俺が跳んだ瞬間、三番の足がほんの少しだけ遅れて動き出す。零コンマ何秒のずれ。それがハチの前からブロッカーを一枚減らして、タカの前からも一枚減らす。跳んだ分だけ仕事になっている。足が軽い。


 アニキのレシーブが直に選択肢を渡す。だから堀内さんが決められる。その鎖。


 堀内さんのフェイントがブロッカーの指先を越えてネット際に落ちた。八番——リベロが飛び込んだ。低い姿勢のまま腕を差し入れたが、追いかけた腕の先をボールが転がっていった。でも腕を止めない。間に合わなくても。それがこの八番のバレーだ。


「ナイス!」


 アニキが声を上げた。ハチが堀内さんに駆け寄る。堀内さんは軽く手を上げただけで、もう次のポジションに戻っていた。


 ハチのクイック。タカのストレート。堀内さんのブロックアウト。拾って繋いで抜く鎖が、止まらなかった。


 五番のスパイクがコートの奥を叩いた。アニキが横に飛んで腕を伸ばす。ぎりぎり。ボールは天井に向かって高く上がった。


「前!」


 アニキの声がコートに刺さった。直が走った。ネット際で落ちてくるボールの下に入って両手で受ける。高いトスしか出せない。レフトへ。タカが助走を踏み直して、高いトスに合わせて打った。ブロッカーの手を弾いて横に逸れていく。ブロックアウト。


 アニキがいなければ二本目は繋がっていない。ポジションに戻りながら声をかけた。


「アニキ、今の」


 アニキは膝の土を軽く払った。「次も来る」とだけ返す。言葉は短いのに、足元が少しだけ軽くなる。


 一番は何も指示を出さなかった。まだ。コートの中央に立って、静かに見ている。まだ。俺の目にはその沈黙が直と重なった。同じ場所に立って、同じものを見ている。二人の司令塔の間で、ネットの白い帯だけが揺れていた。


 青嶺が1セット目を取る。拍手がベンチから聞こえた。ハチがメモ少年とハイタッチして、タカが拳を握ったまま息を吐く。アニキが「もう一本」と低く言った。


 セット間。向こうの一番が低い声を出した。


「寄れ」


 短い一語がコートに刺さった。声量は大きくないのに、三番が頷いた。それだけ。それだけでいいのだと、一番の口元が言っていた。


 2セット目が始まった。


 最初のラリーで、直がレフトに上げた。タカが打つ。さっきまで一枚だったブロックが二枚揃っていた。三番が一番の指示通りにスライドして、もう一枚を連れてくる。壁。タカの打球が天井へ跳ね上がった。


「くそ」


 タカが短く吐いた。


「切り替え!」


 ハチの声がすぐ飛ぶ。


 次のラリーで囮として跳んだ。踏み切って、腕を振り上げる。三番の足が止まらない。こっちを見ていない。跳んだ瞬間にもう視線がサイドに流れている。見切られた。


 ハチのクイックにブロッカーの腕が間に合って、打球が青嶺のコートに跳ね返ってきた。アニキがカバーに入ったが、ボールはコートの外に転がった。失点。


 何かがずれている。1セット目と同じことをしているのに、結果が違う。


 読まれている。あのセッター、トスを出す前にもうブロッカーの足元を見ている。レシーブの返球が上がる前に配球先を決めている。タカに振るタイミング、ハチに出すリズム、俺を囮に使う場面——1セット目の十数本で掴まれた。いや、もっと早い。それが分かるのに、止められない。奥歯が軋む。


 一番の声がまた聞こえた。「右」。低く短い一語で、ブロッカーの足の位置がまた変わる。感情がない。仕事としてブロックを揃えている。


 ラリーの切れ目でハチがネット越しに向こうを見ている。


「あの一番、やばくないすか」

「分かってる」

「つーか五十嵐先輩のトスの方がキレてるんで、負けてないっす」

「……ありがと」


 直の口元がほんの一瞬だけ動いた。笑ったのかどうかは分からない。


 ネット越しに直が一番を見た。向こうも見ている。ネットの白い帯を挟んで、二人のセッターが互いを測っていた。一番の目は1セット目と何も変わっていない。冷えたまま。直の目にも何も浮かんでいない。同じ温度の目が向き合っていて、どちらも先に逸らさなかった。


 直が配球のリズムを変え始めた。テンポよく出していたトスに間を入れる。溜める。相手ブロッカーが先に跳んでタイミングがずれた横を、ハチのクイックが抜けた。


「ナイス!」


 ハチが拳を突き上げた。でも次のラリーでもう追いつかれた。一本だけ。直が溜めた分だけ、一番の声でブロッカーの読みの幅が広がっている。速い。遅いトスにも速いトスにも三番の足が間に合い始めた。追いつかれている。一番が指示を出すたびに、ブロッカーの足の位置が変わる。


 直が俺にトスを出した。力の入りきらない腕で打ったが、ストレート側に相手のブロッカーがもうコースに入っていて、ワンタッチを取られた。五番がそのチャンスボールを正確にクロスへ置いた。派手ではない。確実に決めてくるスパイクだった。得点後、五番は軽く息を吐いただけで、一番と目を合わせて頷いた。


 アニキが横に飛んで五番のスパイクを拾い上げた。ぎりぎり。ボールが高く上がって直の手に返る。直がタカへ出した。ブロックが二枚揃っていた。タカの打球がブロッカーの壁に止められて、まっすぐ床に落ちる。三番が「よし」と短く言った。感情のない、仕事のブロック。


「次も来る。構えとけ」


 アニキが前を向いたまま言う。頷いた。言葉は短い。でもこの人がコートにいる限り、ボールは繋がる。


 囮で跳んだ。打つ形を作って最高点で腕を止める。三番が見ていない。視線が最初からサイドに向いている。直が堀内さんへ出した。堀内さんがコースの隅を狙ったが、八番の腕が届いた。八番の足がコートの外まで滑って、膝をついたまま「オーケー」と声を出した。


 正面から組み立てても追いつかれる。パターンを崩せばブロックの対応が一瞬遅れるが、崩した先にも一番の声が追いついてきた。何か別のものが要る。


 次のラリー。相手のサーブが低い軌道でコートの奥に伸びてくる。アニキが拾い上げた。ボールが直の頭上に返った。直が両手を上げてトスの体勢に入る。


 直の指が強張っていた。ボールを受ける瞬間、指先がほんの少しだけ開ききっていなかった。焦りが手に出ている。ボールが指の中で嫌な回転をして、二度触った。


 笛が鳴った。ダブルコンタクト。


 歓声が一瞬だけ途切れて、コートが静かになった。直の手が止まっている。指先が宙で開いたまま、一秒だけ動かない。俺の目に直の指先が映った。あの指がこんなふうに止まるのを、初めて見た。


「ドンマイっす!」


 ハチが声を飛ばす。直は小さく頷いた。それだけで、もうポジションに戻っている。


 でも流れは戻らなかった。直のトスに合わせてタカが打つ。二枚のブロックに止められて、打球がまっすぐ床に落ちた。ハチのクイックもワンタッチを取られて、五番が確実に拾って繋ぐ。拾って繋いで抜く。さっきまで青嶺のものだった鎖が、向こうのコートで回っていた。


 ネット越しに一番を見た。一番は何も変わっていない。同じ場所に立って、同じ低い声で指示を出している。1セット目に黙って見ていた時間が、この修正に使われていた。


 最後のラリーは短かった。一番のツーアタックが、ブロッカーの手の横を抜けてコートに落ちた。セッターがトスに見せかけて打つ。直もやる技だ。同じ武器を、同じ精度で、同じ場所に。


 ホイッスルが鳴った。2セット目を落とした。


 ベンチに戻った。直がすぐにノートを開いて、膝の上でペンを走らせている。速い。俺がドリンクを取ってベンチの端に座った時にもまだ直の手は動いていた。ページの端に小さな数字が並んでいる。何を出して何が通って何が止められたか。


 直の顔には何も出ていない。いつもの顔で、いつもの速度でペンが動いている。ただ、ペンを握る指の力が少し強い。ノートのページが序盤と違う位置まで進んでいて、白いページがもう何枚も埋まっている。ページの端がインクで波打っていた。


 向こうのベンチが視界の端に入った。一番がチームメイトと何か話している。距離があって表情は読めない。水を飲んで、もう前を向いていた。彼らにとっても、この試合は通過点ではないのだと分かる。


 ドリンクのキャップを回した。冷たい。プラスチックの溝が指の腹に食い込んで、体育館の中なのにその冷たさが手に残った。


 直のペンの音だけが聞こえている。ページをめくる音がして、またペンが走り出す。沈んでいるのではない。もう次の一手を組んでいる。でもペンの強さが、それだけでは済まないと言っていた。


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