灰の李玄
小太りの店主は神経質な感じに扉の方を一瞥し、声を顰めた。
「さあ、誰からだろうね。見たことのねえ無頼だ。少なくとも、府城で育った人間じゃねえな……」
夏は硝子の杯を天窗に透かした。
「実は知り合いが持っていた杯でね。こうも見事な代物は滅多にないから、少し気になった」
「この街の古董舗じゃあ、良くあることだ。ある日突然無頼がやってきて、出所不明の美術品を売りに来る。しかも決まって西国の代物だ」
夏は眉根を寄せた。
「あんた随分と可愛らしいが、旅人か?」
「うん。丝路を通ってきた」
「そうか。じゃあ、気が付かねえか?」
「何が?」
「もしかしたら鉄器の類に隠れて目立たないかも知れねえが──、この街にはやたらと西国の美術品が多い。だけども、西の人間が多いってわけでもねえ。いたとしても游民まがいの胡虜で、とても目利きが出来るようには思えねえ」
意図的に古董舗を見て回っていたわけではないので、西国の品が多いことについては、肯定しかねた。でも、確かに、西から来たであろう人間は少ない。目立つのは農民である。
「こうして西国の品が流れるようになったのは、ここ2年ってとこだな」
店主は話しながら、香炉に乳香を追加した。細く白い煙が、すうっと真っ直ぐに立つ。
「ここだけの話だがな、知府は金の髪の女を集めているんだとか」
夏はひたと店主の顔を見た。
「西国の女を集めて何がしたいのかは想像もつかんが……、とにかく、流れてくる西国の品々は、金の髪の女たちが持っていたものじゃないか、って話だ」
店主は扉の方を気にする。
「こんな話をすると刺客が来るだなんて冗談を言う奴もいる。世の中にゃ知らなくていい事も存在するんだそうだ。確かに、『好奇心』ってやつぁ、たまに人を殺す」
夏も扉の外を見た。人が、馬車が、通りを行き交う。雑踏、街の喧騒。春風が吹いて、乾いた土煙が流れる。
「へへへっ。あんまりにもお嬢ちゃんが可憐なもんで、つい話しすぎちまった。まあ、今聞いたことは忘れな。俺も今話したことを忘れるとするさ──」
夜が来て、夏と李玄は宿を取った。街の中心から遠く離れた場所を選んだ。決して裕福ではない人間が住む、やぶれ長屋の並ぶ一角の、見窄らしい小客店だった。
古い客店だった。大堂の片隅に帳場があって、二階が客室らしいが床が腐っているらしく、一階の通舗に通された。そこの床も腐っていた。
客は夏と李玄の2人だけだった。
(知府が金の髪の女を集めている……)
真夜中の大堂、しじまの中で夏は考える。
(そういう癖のある男なのだろうか。でも、持参金がわりの宝物をすぐに手放したのは、何故だろう。持っていたって損はないはずだ)
李玄は椅子に座り、ふらふらと左右に揺れていた。何かを考えているのだろうか、或いは何も考えていないのか、いずれにせよ目を閉じて、首を垂れている。
(そして、刺客が来ると言う噂……)
猫は夏の膝の上で丸くなる。だが、目は閉じていなかった。耳は横を向き、神経を尖らせていて、呼吸も速い。夏同様、古董舗の主人の話が気になっている。
(本当に伊蓮妮は、知府の妾になったのか──)
──大堂の格子窓から垂れる月の光が遮られた。夏がそれに気がついた刹那、格子窓からきらりと光る何かが、ひゅんと風を切って迫った。
夏はカッと目を見開き、闇の中から出来る限りの光を取り込んで、人差し指と中指でそれを掴んでみせた。
(飛刀か)
つまりは投擲に特化した小刀。暗器である。
夏は腕をピンと伸ばし、大きく振るって飛刀を投げ返した。それは格子窓に吸い込まれるようにして外の闇に消える。遅れて、あっ、という小さな断末魔がして、月の光が大堂を再び照らした。
「殺してしまった」
何でもないように言った。
「刺客らしい。念のために、ある程度身動きの出来る場所で待っていて正解だった」
玄関口、それから勝手口の扉が、ぎいと音を立てて開いた。何者かが大堂の中に入って来る。青白い月光に浮かぶ人影、一人、二人、徐々に増えて七人、八人──。
刺客の身なりは農民風だった。或いは無頼風だとも言えた。慣れた感じで刀を抜く者もいれば、慣れない感じで刀を抜かずに警戒している者もいる。練度は区々。
猫は落ち着いた様子で、夏の膝から降りた。
「小狸。ここで開明獣になれば客店が壊れる」
言われて、欠伸をする。最初から興味はない。退屈な相手だと考えた。
「へへへっ……、悪いな嬢ちゃん。アンタに恨みはねぇが、俺たちも仕事なんでな……」
刺客の1人が不敵に笑う。
「化けて出るなよっ!」
荒々しく床を踏み込んで、ぐんと迫った。安物の刀を振り翳し、夏の胸を目掛けて力一杯振り下ろす──が、夏は極めて小さな動きでそれを避けると、流れるような動きで単刀を抜き、腹を撫でる感じに横一閃。
1秒、2秒と経って、刺客は武器を落とした。次いで自分の腹を力強くググっと押さえると、力が入らなくなったのか、息をふうーっと吐いて膝を降り、干からびるかのように手足を縮めて倒れ込んだ。
まず流水音がして、黒い血溜まりが広がってゆく。やがて鉄の臭いが立ち込めた。
倒れ込んだ男が月明かりに照らされて、刺客たちが後ずさる。中には腰を抜かして尻餅をつく者もいた。
誰一人として仕掛けようとしないので、
「テメェら! 全員で掛かれば、こんな女、大したことはねぇ! 金が欲しけりゃ仕事しろっ!」
まとめ役らしい男が発破をかけて、刺客たちは刀を強く握った。今度は一斉に襲うつもりらしい。
「李玄。──どのくらいの間、元の姿に戻れる?」
そして刺客の一人が椅子を持ち上げ、夏に向けて投げつけた時、李玄は腰に下げた瓢箪の栓を抜いた。
瓢箪から灰と熱気が間欠泉が如く吹き出して、激しく渦を巻く。投げられた椅子は灰の風に弾き返されて、格子窓を破壊した。
「なっ、なんだっ!?」
刺客たちは目を見開いて、呆然と赤い灰が踊るのを見た。彼らは無頼であるから、律令術や仙術といった、妖術の類を見るのは初めてであった。
気まぐれな渦は椅子も机も薙ぎ倒し、ちかちかとした雷すら纏い始める。風の中心、心臓とも言える部分に、何か、黒い、塊のようなものを作っていった。どうも灰はそこに集約されていくようで、塊は徐々に大きくなり、手足を作る。
灰の一切が無くなって、やがて吹き荒ぶ風だけとなった時、風の中心に立っていたのは老人ではなく、髻で髪を束ねた青年であった。
半裸だった。筋骨の逞しい男で、肌は薄く張って、血管や筋が針金のように浮いている。身長は6尺あまり(約2m)、大堂にいる誰よりも背高。実に華やかな顔つきの美丈夫であった。
「どのくらい元の姿でいられるかって言うと……、うーん、ざっと2晩ってとこかねぇ……」
青年は体についた灰を払った。次いでばきばきと首を鳴らす。軽く咳き込むと、口からぽんぽんと灰の雲が出た。
「やれやれ。貴女を山魈の群れから助けた時に雨に濡れちまって、ちょいと調子が悪い。いわゆる風邪気味ってやつだ」
老人の体は間借りしている仮の姿、瓢箪から出でし灰は死して燃やされた真の肉体。その名を李玄、またの名を李鉄拐。──幾千年という時の中で、回が『国士無双』と認ずるに至った八仙の内の1人である。
「で? 本気で夏夏と呼んでいいんで?」
「うん」
「好好好、俺は堅っ苦しいのが苦手だから、それは助かる」
言って李玄は、その場で鉄杖を演舞が如く振り回した。杖先がひゅんひゅんと風を切って鳴く。
「さあ、かかってきな。夏夏には指一本触らせないぜ」
刺客たちは床に倒れ伏す老人と、構えを取る屈強な青年の姿を交互に見て、ぱくぱくと口を開け閉め。足が棒になって動けない。当惑している。突然に人が現れたのだから!
「……っ!」
そして刺客の一人ががくり倒れた。突然だった。額がひしゃげて、そこから湧水のように血が出ている。李玄が落ちていた青石の床の破片を鉄杖で弾いたらしい。
「おいおい、どうした。来ねぇのか? 参ったな。このままじゃあ全員、突っ立ったまま死んじまうぞ。まあ、俺の人生じゃないから別に良いんだけど」
飄々と言って、もう一度床の破片を弾く。また一人、刺客が倒れた。鼻が陥没している。残る刺客は五人。
まとめ役の男が焦ったように声を上げる。
「テメェら、怯んでんじゃねえ! それでも男かよっ!! 一揉みにやっちまえっ!!」
刺客たちは一斉に襲いかかった。緊張で強張っているのだろうか、総じてぎこちない動きで、かつ単調な動きだった。
李玄は鉄杖を手足のように操って刺客の喉仏を華麗に潰し、夏は稲妻の剣捌きで刺客の肋を斬り上げた。さっと血飛沫が飛び、断末魔が響く。ものの数秒で立っている刺客はいなくなり、生きているのは尻餅をついていた男一人となった。
「ひ、ひいっ! ひいっ!!」
青ざめながら後退り。床に濡れた跡がある。漏らしたらしい。
「さあ、やるのか坊主」
「ひいいっ! ひいっ!」
男は恐怖で喋れなくなったようだった。
「よーし。良いことを教えてやる。『利』と『害』って分かるか?」
「ひいっ!」
「『利』には必ず『害』が引っ付いてくる。つまりデカい銭を追うとなれば、それなりの危険も犯さなきゃならんわけだ。一方で小銭を狙うだけなら、毎日こつこつ額に汗して働きゃそれでいい。そこまでは分かるな?」
男は必死に、何度も、首肯した。
「さあ、ここで考えてみろ。お前さんという人間の出来を鑑みて、どっちを追い求めるのが妥当か──。ここでいっちょ立ち上がって勇ましく戦って大金を狙うか、或いは逃げ帰って挑夫なり匠人なりで真面目に働くか──」
「は、働きます! 働きます!」
「好好好。退け!」
男はこけつまろびつ、客店を後にした。
夏は単刀の血を払って鞘に収めた。そして背後を振り返る。
「刺客をよんだのは君?」
帳場の裏、住居部屋の扉から騒動を見ていた掌櫃が、魂でも抜けたかのように佇んでいた。
「え、あ、いや。呼んではない! 呼んではなくて。ただ、今から起こることは、他言無用で……、と、そ、その男に言われたんだ!」
しどろもどろに言って、床に倒れるまとめ役の男を指差す。
「お、俺は関係ない! 関係ないぞ! 勘違いするなよっ!」
「どれだけ貰った?」
「五十文……」
大体、一食分。
「じゃあ掃除代に充てといてくれ」




