第9話 第四の名前
父さんの木剣が、また俺の木剣にぶつかった。
腕が痺れる。
「肘が開きすぎてる」
「開いてない」
次の一撃が飛んできた。
俺の剣が横へ弾かれる。
「開いてる」
「父さんが強く打ちすぎなんじゃない?」
「お前が弱すぎるんじゃないか?」
俺は父さんを見た。
「俺、四歳なんだけど」
「負けるたびにそれを言うつもりか?」
「効くまで言う」
父さんが笑った。
木剣を肩に担ぐ。
「もう一回」
ため息をついて、俺は剣を構えた。
ここ数日で、少なくとも父さんの攻撃は少し見えるようになってきた。
前までは、父さんが剣を動かしたと思った瞬間にはもう地面に転がっていた。
今は数秒くらい長く耐えられる。
大進歩だ。
父さんが右から来た。
受ける。
次は左。
それも止めた。
三撃目が見えた瞬間、俺は後ろへ下がった。
剣先が鼻先をかすめる。
俺はニヤッとした。
「見た?」
「何を?」
「避けた」
「戦う目的は永遠に逃げ続けることじゃないぞ」
「俺、生きてる?」
父さんは少し考えた。
「今のところはな」
俺はもう一度剣を構えた。
しばらく気になっていたことを聞くなら、今がちょうどいいかもしれない。
「父さん」
「ん?」
「四人目の名前、何だったの?」
父さんの剣が空中で止まった。
ほんの一瞬だけ。
そして、また俺に向かってくる。
「まだ気にしてたのか?」
攻撃を受け止める。
「うん」
「なんで?」
「父さんがずっと逃げるから」
「今逃げてるのはお前だろ」
剣が振られる。
俺は後ろへ下がった。
「話を逸らさないで」
「足元を見ろ」
「名前は?」
また一撃。
「左足」
「父さん」
「ソリー」
危うく次の攻撃を忘れるところだった。
慌てて剣を上げる。
「ソリー?」
「ああ」
「それだけ?」
父さんが距離を取った。
「何を期待してたんだ?」
「知らない。何日も教えてくれなかったから、もっと謎めいた名前かと思ってた」
父さんが眉を上げる。
「名前のどこに謎があるんだ?」
「あるよ」
「なるほど」
絶対わかってない。
また攻撃してきた。
今度は二撃まで防げた。
「どんな人だったの?」
「ソリーが?」
「他にソリーがいるの?」
「いるかもしれないだろ」
木剣が俺の肩に軽く触れた。
「死んだ」
剣を下ろした。
「質問してる最中に攻撃するのはずるい」
「敵がお前の話が終わるまで待ってくれると思うのか?」
「敵と会話する予定はない」
「賢いな」
もう一度向かい合う。
「どんな人だった?」
今度は父さんが答えた。
「頑固だった」
「父さんみたいに?」
「俺よりひどかった」
「それはありえない」
父さんが俺の剣を軽く叩く。
「構え」
足の位置を直す。
「魔法が得意だった。特に制御がな」
「アレンくらい?」
父さんの表情が少し変わった。
「タイプが違った」
ゆっくりと剣を上げる。
「アレンは何か一つ覚えると、すぐにその先を知りたがった。なぜこうなるのか、他のやり方はないのか、限界はどこなのか……」
聞き覚えのある話だ。
ありすぎるくらいに。
「ソリーは?」
「覚えたことを完璧にできるようになるまでやめなかった」
「ガレスは?」
「何か壊れると俺たちを怒った」
「父さんは?」
父さんは一瞬も考えなかった。
「一行で一番の男前だった」
俺は剣を下ろした。
「なんでまともな答えが返ってくると思ったんだろ」
「まともな答えだろ」
「全然そう思わない」
父さんは笑った。
そしてまた構える。
「ほら」
木剣同士がぶつかった。
「じゃあ、本当は何してたの?」
「必要なことをしてた」
「それも答えになってない」
「基本的に前は俺とガレス。アレンとソリーは後ろから援護してた」
「魔法で?」
「だいたいはな」
また攻撃が来る。
受け止めた。
「じゃあ四人で旅しながら魔物を倒してたの?」
「魔物だけじゃない」
「他には?」
「商隊の護衛。行方不明者の捜索。街道の盗賊退治。古い遺跡にも何度か入った」
俺の目が少し開いた。
「宝は見つけた?」
父さんの剣が止まった。
「ああ」
「本当に?」
「銀貨三枚」
待つ。
「それで?」
「割れたカップ」
しばらく父さんを見つめた。
「それ、宝じゃないよ」
「当時の俺たちには宝だったんだ」
「すごく貧乏だったんだね」
「ありがとう」
父さんが攻撃してきた。
今度は笑いながら受け止める。
二撃目も止めた。
三撃目。
剣を上げる。
カンッ!
初めて三撃目まで防いだ。
父さんが止まる。
俺も止まった。
剣を見る。
「見た?」
父さんが少し笑った。
「見た」
「三回」
「数を数えられるようになったんだな」
「ガレスと過ごした成果だね」
父さんの顔が曇った。
「お前をあいつのところに連れていったのは失敗だった」
今度は俺が笑った。
少し息を整えてから、また聞いた。
「なんで今までソリーのこと話さなかったの?」
父さんが俺を見た。
「あまりいい別れ方をしなかったからな」
俺は肩をすくめた。
「気になっただけ」
「お前は何でも気にするな」
父さんが木剣の先で俺の足を少し横へ押した。
「構えが崩れてる」
「父さん」
ため息をつく。
「一時期、アレンとそういう関係だった」
「付き合ってたの?」
「ああ」
「へえ」
父さんが眉をひそめる。
「その『へえ』はなんだ?」
「別に」
「別にって顔じゃないぞ」
「話が面白くなってきた」
父さんが額を押さえた。
「なんで俺はこんな話をしてるんだ……」
「話さないと俺が黙らないから」
「そうだったな」
しばらく、俺たちは黙って稽古を続けた。
今度は俺も質問しなかった。
父さんも何も言わない。
木剣同士がぶつかる音だけが庭に響いた。
ふと、アレンのことが頭に浮かんだ。
二人の仲があそこまで悪くなったのは、アレンが死んだからなのか?
「アレンが死んだあと、みんな別れたの?」
父さんの剣がゆっくりになった。
「ああ」
今度は攻撃してこなかった。
俺も剣を少し下ろした。
「ソリーのせい?」
「違う」
少し黙る。
「全員のせいだ」
よくわからなかった。
父さんは地面を見ながら、木剣の先で土を軽く削った。
「ガレスは弟を失った。ソリーはアレンを好きだった。俺も友達を失った」
声は落ち着いていた。
でも、もう冗談を言う顔ではなかった。
「あの日は誰もまともに考えられてなかった」
「喧嘩したの?」
「した」
「何について?」
父さんの視線が少し俺から外れた。
「誰のせいだったのか、ってな」
俺は何も言わなかった。
「誰か一人を悪者にしなきゃいけないみたいになってた」
木剣を握る手に少し力が入る。
「ソリーもいろいろ言った。俺も言った」
もうこの話をしたくなさそうだった。
それでも、もう一つだけ聞きたい。
「父さんもひどいこと言った?」
俺を見る。
「言った」
あっさり認めるとは思わなかった。
「それから?」
「ソリーは去った」
「ガレスは?」
「冒険者を辞めた」
「父さんは?」
「俺はしばらく続けた」
「それから母さん」
父さんの表情が変わった。
今度の笑顔は明らかに違っていた。
「それから母さんだ」
「やっといい判断したんだね」
「たまにはな」
「本当にたまにだけど」
突然、木剣が飛んできた。
ぎりぎりで受け止める。
「話しながら気を抜くな」
「父さんが俺の気を散らしてるんだと思う」
「質問してるのはお前だろ」
正しい。
それがまた腹立つ。
俺たちはもう一度剣を構えた。
「そのあと、ソリーとは一度も話してないの?」
父さんの笑顔は消えなかった。
でも少しだけ小さくなった。
「一度だけ会った」
「いつ?」
父さんは少し黙った。
「アレンが死んでから数か月後だ」
そして木剣の先を下ろした。
ラルフ
見間違えることはなかった。
人混みの中で背中しか見えていなくても、歩き方だけでソリーだとわかった。
肩には鞄を提げていた。
店の前に立ち、店主と何か話している。
数か月が過ぎていた。
それでも彼女を見た瞬間、最初に浮かんだのはあの夜だった。
宿。
テーブルの上の灰。
そして、俺たちが互いにぶつけた言葉。
声をかけるべきか、数秒迷った。
結局、足が勝手に動いた。
「ソリー」
彼女が止まった。
ゆっくり振り返る。
俺を見た瞬間、驚きが顔に浮かんだ。
だが、それもすぐに消えた。
「ラルフ」
怒鳴られるより、その冷たい声のほうがきつかった。
「久しぶりだな」
「そこまででもないでしょ」
その通りだった。
何を言えばいいか考えた。
この数か月、頭の中で何度も繰り返した言葉が、いざ本人を前にすると全部違って聞こえた。
「あの夜のこと……悪かった」
ソリーの表情は変わらない。
「どの部分?」
口を開いた。
すぐには答えが出なかった。
多すぎたからだ。
「お前を叩くべきじゃなかった」
ソリーがわずかに頷いた。
「ええ。叩くべきじゃなかった」
「それと、俺が言ったことも……」
「私も、言うべきじゃないことを言った」
今度は俺が黙った。
ソリーは視線を逸らした。
「ガレスは?」
「生きてる」
「そういう意味で聞いたんじゃない」
言いたいことはわかっていた。
「冒険者を辞めた」
目を閉じ、短く息を吐く。
「そう」
「ソリー……」
こちらを見る。
「何?」
「俺を許せるか?」
長い間、返事はなかった。
一瞬だけ、その硬い表情が崩れたように見えた。
本当に一瞬だけ。
「無理」
予想していた答えだった。
それでも、実際に聞くのはきつかった。
「そうか」
立ち去ろうとしたとき、ソリーが口を開いた。
「あなたのこと、嫌いじゃないよ。ラルフ」
振り返る。
「そうは見えないけどな」
「嫌いになれたほうが楽だった」
その声が、初めて少しだけ柔らかくなった。
そしてまた視線を逸らす。
「あなたを見ると、あの夜を思い出す」
何も言えなかった。
「アレンのことも」
喉が詰まった。
「俺もだ」
沈黙が落ちた。
人々が俺たちの横を通り過ぎていく。
商人の呼び声。
通りを進む荷車。
そのすべての真ん中で、俺たちだけが立ち止まっていた。
やがてソリーが肩の鞄を直した。
「ここを出る」
「どこへ?」
「遠く」
「ずいぶん具体的だな」
一瞬、俺を見る。
昔のソリーなら、すぐに何か言い返してきただろう。
でも今回は、小さく笑っただけだった。
あまりに一瞬で、本当に笑ったのか自信がなくなるくらいに。
「元気でね、ラルフ」
「お前もな」
ソリーは俺の横を通り過ぎた。
数歩進んだところで呼び止める。
「ソリー」
彼女は止まった。
だが、振り返らなかった。
それ以上、何を言えばいいのかわからなかった。
俺は謝った。
彼女も聞いた。
でも、それだけですべてが元通りになるわけじゃない。
「……なんでもない」
ソリーはまた歩き始めた。
人混みに消えるまで、その背中を見ていた。
あの日以来、彼女とは会っていない。
ルーカス
父さんはしばらく黙っていた。
それから木剣の先を上げた。
「別の町で偶然会った。謝ったよ」
「それで?」
父さんは肩をすくめた。
「俺のことは嫌いじゃないって言われた」
「よかったじゃん」
「でも許してはくれなかった」
「じゃあ、そこまでよくないね」
父さんが小さく笑った。
「ああ」
しばらく顔を見た。
「謝り方が下手だったんじゃない?」
父さんが目を細める。
「まだ友達の一人も作ってないやつから人間関係の助言をもらえるなんて、本当に助かるよ。ありがとう」
「どういたしまして」
父さんは首を振った。
「謝っただけじゃ直らないこともあるんだよ、ルーク」
今度は何も言わなかった。
たぶん、その通りだ。
俺はまた剣を構えた。
「今はどこにいるの?」
「知らない」
疑うように見る。
「本当に?」
「本当だ」
「何も聞いてないの?」
父さんは少し考えた。
「何年も前、遠くへ行くって言ってた。それからは知らない」
「どこへ?」
「知らない」
「今は何してるの?」
「知らない」
眉をひそめた。
「ソリーのこと、ほとんど何も知らないんだね」
父さんが剣を上げる。
「何年も話してなきゃ、そうなる」
返す言葉がなかった。
俺は父さんの前に立った。
「準備できた?」
「できてない」
父さんがニヤッとする。
「よし」
向かってきた。
一撃目を受ける。
二撃目も。
三撃目は後ろへ下がった。
四撃目が見えた。
剣を上げる。
カンッ!
父さんの眉が少し上がった。
俺はニヤッとした。
「四回」
「質問しないほうが強いな」
「逆だと思う」
「どうしてそうなる?」
「ソリーのこと聞く前は三回で止まってた」
父さんは数秒、俺を見た。
それから笑った。
「じゃあ俺の人生を最初から全部話せば、そのうち俺に勝てるかもな」
俺はまた剣を構えた。
「じゃあ始めて」
「今のは言わなきゃよかった」
父さんがまた向かってきた。
今度は質問しなかった。
少なくとも、数秒の間は。




