第8話 残された者たち
ラルフ
目を開けたとき、最初に感じたのは静けさだった。
数秒のあいだ、自分がどこにいるのか分からなかった。
頭がくらくらする。息をすることさえつらい。俺は地面に倒れたままで、全身が痛んでいた。
そして、思い出した。
勢いよく起き上がろうとする。
「アレン……」
声が喉につかえた。
顔を横に向ける。
数メートル先に、アレンがいた。
動かない。
「アレン!」
立ち上がろうとしたが、脚に力が入らなかった。膝から地面に崩れ落ちる。
もう一度立ち上がった。
二歩だけ進めた。
またよろめく。
最後には歩いているのか、這っているのかも分からないまま、どうにかアレンのそばまでたどり着いた。
「アレン」
返事はない。
その場に膝をつき、肩に手を置いた。
「おい……」
動かなかった。
胸元に目を落とす。
剣傷は、まだそこに残っていた。
それから顔を見る。
肌からは血の気が失われていた。
ついさっきまで叫び、走り、戦っていた人間が、突然すべてを止めてしまったようだった。
「アレン……」
首元に手を伸ばす。
何かがあると思っていた。
何を探していたのか、自分でも分からない。
わずかな動き。
呼吸。
何でもよかった。
何もなかった。
手を引っ込める。
「違う……」
もう一度見た。
二度目なら、何かが変わっているんじゃないかと思った。
「違う……違うだろ……」
顔を上げた。
「ガレス?」
視線を巡らせる。
数メートル先で、ガレスが岩に背を預けて座っていた。
俺たちを見ていた。
いや。
アレンだけを見ていた。
目には涙が溜まっていたが、泣いてはいなかった。
表情もなかった。
「ガレス」
反応しない。
「ガレス!」
それでもアレンから目を離さなかった。
その瞬間、俺の中で何かが切れた。
「くそっ!」
両手を地面についた。
歯を食いしばる。
同じ瞬間が、頭の中で何度も何度も繰り返されていた。
もっと速ければ。
もっと強ければ。
何かに気づけていれば。
何かできていれば。
何でもいい。
「くそっ……」
声が震えた。
誰に怒ればいいのか分からなかった。
あの男に。
自分に。
起きたこと全部に。
ただ、何もかもが憎かった。
そして何より、ほんの数分前まで隣にいた人間が、もう二度と何も言わないことが。
もう一度アレンを見る。
くだらない冗談を言ってくれるのを待った。
目を開けて、また面倒なことに巻き込まれたなと笑ってくれるのを。
何も起きなかった。
やがて、ガレスの声が聞こえた。
「ラルフ……」
彼を見る。
声はあまりにも小さく、かろうじて聞き取れる程度だった。
「……どうする?」
そのとき初めて、ガレスの顔に浮かんでいるものを本当の意味で見た気がした。
答えを求めているわけじゃなかった。
まるで俺なら、どうにかして全部元に戻せるとでも思っているような目だった。
でも、俺には何も与えられなかった。
しばらくのあいだ、俺たちはアレンのそばにいた。
やがて周囲を見回す。
ここに置いていくことはできない。
けれど、俺たち二人とも、宿まで彼を運べる状態ではなかった。
ゆっくり立ち上がる。
周囲に落ちている乾いた枝を集め始めた。
ガレスが顔を上げた。
俺が何をしようとしているのか分かった瞬間、唇がわずかに開いた。
「ラルフ……」
俺は手を止めなかった。
「ここには置いていけない」
ガレスはアレンを見た。
長いあいだ、何も言わなかった。
そして最後に目を閉じる。
「……分かってる」
それ以上は何も言わなかった。
どれくらい時間がかかったのか分からない。火は何度か弱まり、そのたびに俺が燃え続けるように手を加えた。
その間、ガレスはほとんど同じ場所から動かなかった。
それ以降、自分が何をしていたのかはあまり覚えていない。
ただ、ずっと手を動かしていたことだけは覚えている。
止まれば、考えてしまうから。
考えたくなかった。
長い時間が過ぎたあと、アレンから持ち帰れるものは灰だけになっていた。
見つけたきれいな布に、それを丁寧に包む。
布を結び、鞄の中へ入れた。
鞄の重さは、ほとんど変わっていなかった。
それなのに肩に掛けた瞬間、今まで持ったどんなものよりも重く感じた。
ようやくガレスが立ち上がった。
しばらくふらつきながら、どうにか体を支える。
「あと、どれくらいだ」
「三時間くらい」
ガレスは頷いた。
「行こう」
最初の一時間は、ほとんど何も話さなかった。
ガレスは何度かよろめいた。
最初に腕を掴んだときは、俺の手を振り払った。
二度目は、振り払わなかった。
道沿いにある小さな湖に着いたころには、太陽が少しずつ傾き始めていた。
「少し休もう」
ガレスは何も答えず、水辺に座った。
俺は顔を洗った。
冷たい水なら少しは楽になると思った。
ならなかった。
体についた汚れを落とし、できる範囲で傷の手当てもした。
ガレスは湖の向こう岸を見つめていた。
隣に座る。
「少し水を飲め」
「いらない」
「飲め」
今度は逆らわなかった。
水筒を受け取ったが、すぐには飲まない。
しばらく手に持ったままにしていた。
やがて、その視線が俺の肩にある鞄へ向いた。
「……あそこに置いてくるべきじゃなかった」
喉が詰まった。
「置いてきてない」
ガレスは鞄を見る。
「同じじゃない」
何も返せなかった。
しばらくして、ガレスは数口だけ水を飲んだ。
それから、また歩き始めた。
遠くに宿が見えたとき、ほっとするはずだと思った。
でも、何も感じなかった。
一歩進むたび、休める場所に近づいているのではなく、口にしたくない事実へ近づいている気がした。
扉を開ける。
中には何人か客がいた。
それでも、すぐにソリーの姿を見つけた。
テーブルの一つに座っている。
俺たちに気づいた瞬間、眉をひそめた。
そして勢いよく立ち上がった。
「二人とも、どうしたの!?」
こちらへ駆け寄ってくる。
「ラルフ?」
俺の腕を支えた。
「座って。ガレス、大丈夫?」
ガレスは答えなかった。
ソリーは彼の肩にも腕を回し、近くの椅子に座らせた。
「何かに襲われたの? どうしてこんな……」
俺も向かいの椅子に腰を落とした。
「ソリー……」
「待って」
鞄を開き始める。
「先に傷を見せて。アレンは? あの子も――」
そこで止まった。
視線が扉へ向く。
数秒、待っていた。
それから俺たちを振り返る。
「アレンは?」
ガレスは顔を上げなかった。
ソリーが俺を見る。
「ラルフ?」
喉がからからだった。
口を開く。
声が出ない。
もう一度試した。
「……行った」
ソリーが眉をひそめる。
「行ったって、どういう意味?」
答えられなかった。
「ラルフ。行ったって何?」
ガレスが目を閉じた。
俺は肩から鞄を下ろした。
「アレンは……死んだ」
ソリーは数秒、完全に動きを止めた。
それから首を横に振る。
「……嘘」
俺たちを見る。
唇に、一瞬だけ意味のない笑みが浮かんだ。
「冗談でしょ?」
誰も答えなかった。
その笑みがゆっくり消える。
「……冗談でしょ?」
「ソリー……」
「やめて」
ガレスへ向き直る。
「ガレス?」
返事はない。
「何か言ってよ」
ガレスはまだ床を見ていた。
「ガレス、こっち見て」
ゆっくり顔を上げる。
その顔を見た瞬間、ソリーは一歩後ろへ下がった。
目に涙が溜まっていく。
「いや……」
「ソリー……」
「いや」
声が大きくなった。
「三人で出ていったじゃない」
何も言えなかった。
「三人で!」
宿にいた何人かが、こちらを見るようになっていた。
でもソリーは気にも留めなかった。
「アレンはどこ?」
鞄をテーブルに置く。
中から、結んだ布を取り出した。
そのままテーブルの上に置く。
ソリーの視線がそこに釘付けになった。
「……それ、何?」
答えなかった。
少しして、顔から血の気が引いた。
分かったのだ。
「いや……」
「できることは全部やった」
ソリーが勢いよく顔を上げた。
「それを言わないで」
「ソリー――」
「できることは全部やったなんて言わないで!」
その声が宿の中に響いた。
ガレスの両手は、膝の上で固く握られていた。
ソリーが俺へ近づく。
「何があったの?」
深く息を吸った。
「男と出会った。アレンがそいつと向き合って……それから戦いになった」
ソリーは俺から目を離さなかった。
「俺たち三人で一緒に戦った。でも……」
その先が言えなかった。
ソリーがガレスを見る。
「あなたもそこにいたんでしょ」
ガレスは苦しそうに答えた。
「ああ」
「助けられなかったの?」
ガレスの顎に力が入った。
「……ああ」
ソリーの目から涙がこぼれ始めた。
テーブルの上の灰を見る。
それから、もう一度俺たちを見る。
「二人とも、そこにいたのよね」
沈黙。
「二人とも」
「ソリー、もうやめろ」
俺を見る。
「全部やったの?」
「ああ」
「本当に、全部?」
そう聞かれるだけで胸が痛んだ。
「ああ」
ソリーはゆっくり頷いた。
それから、テーブルの上の布を見る。
「……じゃあ、どうしてあなたたちはここにいるの?」
ガレスが息を呑んだ。
顔を伏せる。
戻ってきてからほとんど何の反応も見せていなかったその顔に、初めて何かが崩れたように見えた。
俺は立ち上がった。
「今、なんて言った?」
ソリーが俺を見る。
「三人で出ていった」
「やめろ」
「アレンは戻ってこなかった」
「ソリー」
「なのに、あなたたちは戻ってきた!」
「やめろ!」
「本当に全部やったなら、どうして――」
手が彼女の頬に当たった瞬間、部屋の音が一斉に消えた。
ソリーの顔が横を向く。
俺自身も、数秒その場から動けなかった。
ゆっくり手を下ろす。
「やめろ」
声が震えていた。
「俺たちが、あいつをあそこに置いてくることを選んだみたいに言うな」
ソリーが俺へ顔を戻した。
まだ涙が流れている。
「そんなこと言ってない」
「もっとひどいことを言った」
ガレスが椅子から立ち上がった。
「もういい、ラルフ」
彼を見る。
「ガレス――」
「もういい」
声には何も残っていないようだった。
ソリーが彼を見る。
ガレスは数秒、何も言わなかった。
それから、
「あいつは俺の弟だ」
ソリーの唇がわずかに開いた。
ガレスは続ける。
「守るって約束した」
初めて、その声が崩れた。
しばらくテーブルの上の灰を見つめる。
「俺がこんなふうに戻ってきたかったとでも思うのか?」
ソリーの顔から、ほんの一瞬だけ怒りが消えた。
ガレスはそれ以上何も言わなかった。
背を向け、扉へ歩いていく。
「ガレス……」
止まらない。
扉を開け、そのまま外へ出ていった。
ソリーは涙を拭った。
そして俺を見る。
「出ていって」
「ソリー……」
「出ていって、ラルフ」
何か言おうと口を開いた。
「出ていって」
今度の声にあったのは、怒りよりも疲れだった。
何も言わなかった。
ソリーの視線が再びテーブルへ落ちる。
長いあいだ、黙っていた。
そして、ほとんど囁くような声で言った。
「……あの人だけが帰ってくればよかったのに」
俺は動けなかった。
それまで彼女が口にしたどんな言葉よりも、その一言が重かった。
ソリー自身も、言ってしまった瞬間に後悔したように目を閉じた。
でも、もう取り消すことはできない。
「今は……二人とも顔も見たくない」
何か言いたかった。
謝りたかった。
怒りたかった。
俺たちだってアレンを失ったんだと伝えたかった。
何一つできなかった。
鞄を手に取る。
テーブルの上の灰を見る。
手は伸ばさなかった。
アレンをソリーのもとに残した。
扉へ向かう。
外へ出ようとしたそのとき、背後から声がした。
「ラルフ」
立ち止まった。
長いあいだ、その先は続かなかった。
やがて――
「本当に……何もできなかったの?」
扉に置いた手が止まった。
アレンを思い浮かべた。
ガレスを。
あの日、俺たちがやったこと全部を。
そして、できなかったこと全部を。
目を閉じる。
「俺たちは……弱すぎた」
扉を開け、外へ出た。
数メートル先で、ガレスが一人で立っていた。
俺を見なかった。
俺も何も言わなかった。
あの日、俺たちはアレンを失った。
その夜、ソリーも失った。
四人だった俺たちのうち、
残ったのは、二人だけだった。




