第16話 答えのない問い
机の上では、しばらくのあいだ手帳が開かれたままになっていた。
ラルフは指先で押さえていた行をもう一度見つめた。文字のいくつかは読める。だが、それを言葉としてつなげても、意味のある文章にならなかった。すぐ下に描かれた図も、理解の助けにはならない。
「アレンの字は昔からひどかったが……」
ガレスがうなずいた。
「ああ」
「これはさすがに度を越してるだろ」
「俺もそう思った」
ラルフは余白に押し込まれた小さな記号を調べた。いくつかには取り消し線が引かれ、残りはどこからどこまでが一つの記号なのか分からないほど詰め込まれている。
しばらく格闘した末、ラルフは手帳を閉じた。
「明日、最初から見直そう」
ガレスも異論はなかった。
「それがいい。今日はもう十分長い一日だった」
実際、そのとおりだった。ガレスは朝早くから旅をし、到着してからもほとんど休んでいない。ラルフにとっても、久しぶりの友人の訪問は予想以上に慌ただしい一日になっていた。
二人とも疲れていた。
理解できない記号をこれ以上見つめていても、何かが分かるとは思えない。
ガレスが手帳を鞄にしまうのを見ながら、ラルフは尋ねた。
「この辺りの頁は、前にも全部調べたのか?」
「何度かは」
「それでも分からなかった?」
「読める単語はいくつかある。だが、アレンが何を言おうとしているのかまでは分からない」
ラルフはうなずいた。
「なら明日は、ほかの書き込みと照らし合わせてみよう。何か見落としているかもしれない」
「そうだといいな」
ガレスは鞄を閉じ、立ち上がった。
「じゃあ、また朝に」
「おやすみ」
友人が客間へ引き上げると、ラルフも卓上のランプを消した。
階段を上がる途中、ルーカスの部屋の扉が少し開いているのに気づいた。
そっと中をのぞく。
息子はもう眠っていた。毛布の端が床に垂れかけ、ベッド脇の椅子にはガレスからもらった小さな革の肩掛け鞄が置かれている。
ラルフは音を立てずに部屋へ入った。
毛布を掛け直し、椅子の上でずれていた鞄を置き直す。肩紐は床につきそうなほど垂れ下がっていた。
ルーカスは鞄をもらってから、ほとんど手放そうとしなかった。寝る前には、去年ラルフが贈った方位磁針まで中に入れていた。
開いたままだった蓋を閉じようとすると、その方位磁針が少し顔をのぞかせていた。
ラルフは微笑んだ。
四歳の誕生日には方位磁針をあんなに喜んでいたのに、五歳になった今度はそれを入れる鞄をもらったのだ。
来年は何を欲しがるのか、考えるのも恐ろしい。
眠ったままのルーカスが、わずかに身じろぎした。
ラルフは息子の頭に手を置き、乱れた髪をそっと整えた。
「おやすみ、ルーク」
小さくささやき、部屋を出た。
* * *
翌朝、ラルフが階下へ降りると、ガレスはすでに朝食の席についていた。
そのすぐ隣にはルーカスもいる。
二人は何やら話しているようだった。正確には、ルーカスが話し、ガレスが聞いているというほうが近い。
ラルフは部屋に入るなり、息子の声を耳にした。
「でも、昨日話してくれるって言ったよね?」
ガレスがうなずく。
「約束は守るさ」
「いつ?」
「朝ご飯を食べながらでいいか?」
「うん!」
ラルフは食卓に近づきながら割って入った。
「せめて何を話すつもりなのか、先に教えてくれないか?」
ルーカスが振り向く。
「おはよう、父さん!」
「おはよう。それで、質問には答えてくれるのか?」
「ガレスが父さんの昔の冒険を話してくれるんだって」
「冒険の話だけだろうな?」
ガレスはかすかに笑った。
「今のところはな」
ラルフは椅子を引いて腰を下ろす。
「まったく安心できない答えだ」
食卓の反対側から、エリサが笑みを浮かべて彼を見た。
「ガレスが何を話すのか、そんなに心配?」
「別に」
「なら問題ないわね」
ラルフが妻を見ると、エリサは何事もなかったようにお茶を一口飲んだ。
ルーカスは待ちきれない様子だった。
「ガレス?」
「分かった、分かった。何の話にしようかな」
ガレスは数秒考え込み、それからラルフを見て笑った。
ラルフには、その笑顔に見覚えがあった。
「やめろ」
思わず即答した。
ルーカスは驚いた顔になる。
「まだ何も話してないよ!」
「話さなくても分かる」
「でも聞きたい!」
ガレスが笑った。
「心配するな、ルーカス。ずいぶん昔のことだ。さすがに今さら恥ずかしがることもないだろう」
「恥ずかしがってないぞ」とラルフ。
「それはよかった」
ガレスは少し身を乗り出した。
「お前の父さんが俺たちと冒険を始めたばかりの頃は、ずいぶん自信家でな」
ルーカスがうなずく。
「今もだよ」
エリサが吹き出した。
ラルフは息子を見つめた。
「誰にそんな口の利き方を教わった?」
「父さんたちだよ」
ガレスまで声を上げて笑う。
ラルフは首を横に振った。
まだ朝が始まったばかりだというのに。
ようやく笑いを収めたガレスは、話を続けた。
「あるとき、小さな宿屋に泊まったんだ。翌朝は早く出発する予定で、俺とアレンが馬の支度をしていたら、父さんが井戸から水を汲んでくると言いだした」
「水を汲むのの何が悪いの?」とルーカス。
「普通なら何も悪くない。ただ、父さんは縄の先の結び目を確かめなくてもいいと思ったらしい」
ラルフが口を挟んだ。
「確認したぞ」
ガレスは彼を見る。
「結果を見る限り、怪しいな」
「縄が古かったんだ」
「アレンもまったく同じことを言っていたぞ」
ルーカスの目が大きくなった。
「それでどうなったの?」
「父さんは桶を井戸へ下ろして、縄を引き上げ始めた」
ガレスはそこで少し間を置く。
「ところが、桶がついてこなかった」
ルーカスは驚いて父親を振り返った。
「桶を落としちゃったの?」
ラルフは肩をすくめた。
「そういうこともある」
「じゃあ、水はどうしたの?」
「別の桶を見つけたんだよ」とガレス。
「落ちた桶は拾わなかったの?」
「拾おうとはした」
ガレスの表情を見た瞬間、ラルフは話がまだ終わっていないと悟った。
「そこは省略していいだろ」
「どこを?」
「ガレス」
「井戸の底に桶が見えると言い張って、土魔法で引き上げようとしたところだよ」
エリサがカップを置いた。
「ラルフ?」
ラルフはため息をつく。
「……ああ、試した」
「成功したの?」
代わりにガレスが答えた。
「いや。井戸の底に土を余計に落としただけだった」
ルーカスは笑いをこらえようとしていた。
ラルフが見ると、必死に口を結んでいる。
「笑いたいなら笑っていいぞ」
その一言で、ルーカスはとうとう吹き出した。
エリサも一緒に笑い始める。
ちょうど焼きたてのパンを運んできたミリアも、話の終わりを聞いて小さく笑った。
ラルフは両手を広げた。
「俺はまだ十四歳だったんだぞ」
ガレスがうなずく。
「そうだな。それを知った宿屋の主人も少しは落ち着いた」
「宿屋の人、怒ったの?」とルーカス。
「ああ。井戸にあった唯一の桶をなくしたからな」
「それで?」
「新しい桶を買って渡した。以上だ」とラルフ。
ガレスはお茶を一口飲む。
「代金を払ったのはお前だったがな」
「お前たちが手伝わなかったからだろ」
「結び目を確かめろとは言ったぞ」
ルーカスがまた笑い出した。
ひとしきり笑ってから、父親へ向き直る。
「今はちゃんと結び目を作れるんだよね?」
ラルフは息子を見る。
「ルーク」
「聞いてるだけだよ」
「分かってる」
「本当に?」
ラルフは答える代わりに、皿からパンを一切れ取った。
ガレスはまるで助けにならない。
「ルーカス、鞄の紐を結ぶときは父さんに頼まないほうがいいぞ」
ラルフは彼に顔を向けた。
「もう一言しゃべったら、庭の井戸に行かせるからな」
「そっちの井戸にはまだ桶があるのか?」
今度こそエリサは笑いを抑えきれなかった。
ラルフは、残りの朝食を黙って食べるのが一番だと決めた。
少なくとも、ルーカスが別の話題を持ち出すまでは。
* * *
朝食を終えると、エリサはミリアと家の備品を確認し始めた。
ラルフとガレスは居間でくつろいでいる。
ルーカスは新しい肩掛け鞄をかけ、紐の長さを調節しようと奮闘していた。
「今日は町へ買い物に行くわ」とエリサ。「家に必要なものがいくつかあるの。ミリアの作ったリストも持っていくつもり」
ルーカスがすぐに顔を上げた。
「僕も行っていい?」
「もちろん。行きたいならね」
「ダレンの工房にも寄れる?」
エリサは微笑んだ。
「まずは買い物を済ませましょう。時間があれば寄れるわ」
「分かった!」
ルーカスは再び鞄へ意識を戻した。
ラルフは息子が留め具に手こずる様子を眺めていた。
「手伝おうか?」
「大丈夫」
もう少し頑張ってみたが、やがて鞄を父親へ差し出す。
「……ちょっとだけお願い」
ラルフは笑いながら留め具を直してやった。
ガレスも立ち上がっていた。
「今日も一緒に調べるか?」とラルフに尋ねる。
「ああ。手帳をもう一度見よう」
ルーカスが顔を上げた。
「何の手帳?」
ラルフは一瞬だけ言葉を選んだ。
「古い手帳だよ」
「魔法の?」
「少しはな」
ルーカスの目がすぐに輝いた。
「僕も見ていい?」
ラルフは首を振る。
「今は駄目だ」
「どうして?」
「まずは俺たちが調べる必要があるんだ」
ルーカスは不満そうだった。
「僕だって字は読めるよ」
「分かってる。でも、今のお前にはまだ向いていない内容なんだ」
息子は数秒父親を見つめてから、肩をすくめた。
「そっか」
こんなにあっさり引き下がるとは思っていなかったが、理由はすぐに分かった。
ルーカスはもう母親のほうを向いていた。
「今日、テアは工房にいるかな?」
「いるかもしれないわね」
「ブラムも来るかも」
「会えるといいわね」
「それでミラにも会えたら……」
手帳のことは頭から抜けたらしい。ラルフはひそかに安堵した。
エリサが支度のために階段を上がると、ルーカスも後を追った。
足音が遠ざかってから、ガレスがラルフを見た。
「ずいぶん簡単に諦めたな」
「町に行くほうが楽しみだったんだろう」
「運がいいな」
ラルフは笑った。
「ああ」
しばらくして、エリサとルーカスの支度が整った。
ミリアから買い物のリストを受け取り、二人は玄関へ向かう。
ルーカスは別れの挨拶をしながら、誇らしげに鞄を見せた。
「方位磁針も持ってきたよ!」
ガレスがうなずく。
「いいな。それなら迷子にならずに済む」
「町への道ならもう知ってるよ」
「それなら方位磁針は何に使うんだ?」
ルーカスは少し考えた。
「ほかの場所に行くことになったときのため」
ラルフは眉を上げる。
「いったいどこへ行くつもりだ?」
「分かんない」
「なら、今日は母さんから離れないでくれよ」
「はーい!」
エリサは笑ってルーカスの手を取った。
「夕方には戻るわ」
ラルフがうなずく。
「気をつけてな」
二人が歩き出しても、ラルフはしばらく玄関に立っていた。
ルーカスは何度も振り返って手を振り、やがて母親とともに道の曲がり角へ消えていった。
家の中からガレスの声がする。
「始めるか?」
ラルフは扉を閉めた。
「ああ」
* * *
小さな書斎に入ると、ガレスが机の上に手帳を置いた。
ラルフは椅子を二脚寄せ、白紙とインクを持ってきた。
ガレスは机の上に並んだものを見た。
「それは何に使う?」
「読めなかった箇所を書き出そうと思ってな」
「手帳の半分を写す羽目になるかもしれないぞ」
「なら紙をたくさん使うだけだ」
ガレスは小さく笑った。
表紙を開き、最初の頁へ戻る。
ラルフも椅子に腰を下ろした。
「最初から見直すんだったな」
「ああ」
ガレスが手帳を彼のほうへ向けた。
最初の頁には細かい字がびっしり並んでいた。薄くなった文字もあり、隅には日付が記されていたが、インクがにじんでいて最後まで読めない。
ラルフは冒頭の数行に目を通した。
風魔法についての記録だった。
アレンは同じ魔法を二度使ったものの、二度目は期待した結果にならなかったと書いている。
その下には考えられる理由が並んでいた。
『疲労』
『魔力量』
『集中力不足』
さらに、こんな短い書き込みがあった。
『次は休んでから試す』
ラルフは笑みを浮かべた。
「何でこんなことまで書いてるんだ?」
ガレスが肩をすくめる。
「思いついたことを忘れるのが嫌だったんだろう」
ラルフは頁をめくった。
今度は別の魔法についての観察が記されていた。同じ量の魔力を、異なる種類の土に使った際の結果を比べている。
書き込みの間には、小さな石の絵まで描かれていた。
ラルフはその一つを指差す。
「見ろよ、これ」
ガレスが顔を寄せた。
「どうした?」
「石の絵まで描いてるぞ」
「アレンなら普通だろう」
ラルフは首を振り、絵の下を読んだ。
『なぜ石は動かしにくい?』
数行先では自分なりの答えも考えていた。
『土の密度が関係しているのかもしれない』
そして、余白に一行だけ付け足されている。
『ラルフに聞く』
ラルフは眉を上げた。
「俺に?」
ガレスが笑った。
「そう書いてあるな」
「聞かれた覚えがないぞ」
「聞かれたのに答えなかったんじゃないか?」
ラルフはしばらく考えた。
アレンから土魔法について数え切れないほど質問された記憶はある。ただ、その中のどれがこの書き込みに当たるのかまでは思い出せなかった。
「……あり得るな」
ようやくそう認めると、ガレスが次の頁を開いた。
そこには魔法の話が一つもなかった。
旅支度のための持ち物リストだ。
縄、干し肉、着替え……。
ラルフは一行で目を止めた。
『ラルフに新しい靴を買うよう言う』
その文には取り消し線が引かれていた。
ラルフは声を立てて笑った。
「これは覚えてる」
ガレスが顔を上げる。
「何を?」
「俺の靴だ」
ラルフは椅子に背を預けた。
「あの頃は古い靴で何とかやっていたんだ。アレンに何度も新しいのを買えと言われたよ」
「靴底が剥がれかけてたからな」
「まだ完全には剥がれてなかった」
ガレスが呆れた目を向ける。
「じつに説得力のある言い訳だ」
ラルフは笑った。
「結局、新しいのを買ったけどな」
「知ってる。だからアレンも消したんだろう」
ラルフは再び手帳へ目を落とした。
最初のほうの記録は、思っていたよりずっとありふれていた。
複雑な魔力研究が並んでいるものと考えていたのに、出てくるのは旅の持ち物、簡単な魔法の実験、それからふと頭に浮かんだ疑問ばかりだ。
答えを見つけたものもある。
線を引いて消したものもある。
そのまま二度と触れなかったらしい問いもあった。
ガレスがラルフの様子を見ていた。
「意外だったか?」
「少しな」
「何でだ?」
「分からないが……もっと別のものを想像していた」
ガレスが微笑んだ。
「弟だって、いつも大発見を追いかけていたわけじゃないさ。ただ気になったことを書き留める日もあった」
ラルフはうなずいた。
それは知っていた。
なのに何年も経ってから手帳を手にすると、そんな当たり前のことを忘れてしまっていたらしい。
* * *
二人は昼近くまで頁を調べ続けた。
手帳には決まった順序がない。
同じ話題の書き込みが続くこともあれば、数頁にわたってまるで別の話になることもあった。
ある頁では、魔法を使ったときに消費した魔力量を計算している。
その次には旅先で遭遇した魔物の動きが記されていた。
さらに次の頁では、以前成功した魔法がなぜ失敗したのかを考えている。
途中で文章が途切れたまま、続きを書かなかったらしい箇所まであった。
ラルフは魔力制御についての書きかけの文章を読み終え、次の頁をめくった。
料理の作り方が載っていた。
思わず黙って見つめる。
「……ガレス」
「何だ?」
「何でここに料理の作り方があるんだ?」
ガレスがのぞき込み、笑った。
「アレンは料理を覚えようとしていたんだ」
ラルフは眉をひそめる。
「いつ?」
「覚えてないか? 何日か、見つけた料理の作り方を次々試してただろ」
ラルフは考え込んだ。
やがて顔をしかめる。
「……あのスープか?」
ガレスがうなずいた。
ラルフは手帳を少し遠ざけた。
「そこは読まなくていい」
「何でだ?」
「今でも味を思い出せる」
ガレスはこらえきれずに笑い出した。
ラルフはさっさと次の頁へ進む。
今度は少し長い研究の記録だった。
アレンは、同じ魔法に投入する魔力量を変えても、結果が予想どおりに変化するとは限らない理由を考えていた。
書き込みの最後には、一文に下線が引かれている。
『問題は魔力量だけではないのかもしれない』
ラルフはその行を何度か読み返した。
「どういう意味だ?」
ガレスが肩をすくめた。
「続きがあるか見よう」
だが、次の頁に説明はなかった。
代わりに、地域によって異なる魔法の詠唱について短い記録が並んでいる。
ラルフはため息をついた。
「また別の話になってる」
「アレンの手帳はそういうものだ」
「よく分かってきたよ」
ガレスは数頁戻した。
「ほら。こっちにも似たことを書いている」
ラルフが身を乗り出す。
確かに、別の頁にも魔力量についての問いがあった。
しかし、二つが本当に同じ研究に属するのかは分からない。
一方は失敗した魔法の記録。
もう一方は、同じ魔法でも使う人によって威力が異なる理由についての疑問だった。
ラルフは二つを見比べた。
「書いた時期が違うんだろうな」
「おそらく」
「でも、どれくらい間が空いたのか分からない」
「日付のある頁もあるぞ」
「ない頁もある」
ガレスが苦笑した。
「それもそうだな」
ラルフは少し考えてから、白紙を一枚手前に引き寄せた。
「同じ話題がどの頁にあるか、書き出したほうがよさそうだ」
「ようやく俺と同じことを始めたな」
ラルフが顔を上げる。
「最初からそう言ってくれればいいのに」
「言ったぞ」
「いつ?」
「昨夜、一人じゃ解けないと言ったときだ」
「それとこれとは別だろ」
ガレスは笑いながら、手帳を押し戻した。
ラルフは頁番号を書き留め始めた。
やがて、何度も繰り返し登場する疑問があることに気づいた。
アレンは、人によって魔力容量が違う理由を、あちこちで考えていた。
ある頁では、生まれつきの性質が違いを生むという説を紹介している。
別の頁では、訓練によって魔力容量が増えることと、その説がどう両立するのかを論じていた。
ラルフは最初の記録を読んだ。
『誰もが同じ量の魔力を使えるわけではない』
下にはいくつか短い観察が続く。
さらに後ろの頁には、別の疑問があった。
『魔力は体内で作られているのか?』
ラルフは今度こそ注意深く目を通した。
アレンは、いくつかの本に「生き物は体内で魔力を生み出す」と書かれていることを記録していた。しかし、その説がどう証明されたのかについては説明を見つけられなかったらしい。
最後には短い問いが残されていた。
『自分で作っているのなら、なぜ人によって量が違う?』
ラルフは顔を上げた。
「こんな話をしていた覚えはないな」
ガレスも頁に目を落とす。
「俺もだ」
ラルフは先を読んだ。
アレンは別の説についても考えていた。
ある研究者たちは、魔力はもともと周囲の環境に存在し、生き物はそれを利用しているだけだと主張していた。
その横にも、アレンの疑問が書き加えられていた。
『ならば、それはどこにある?』
ラルフは笑みを漏らした。
「本当に質問が尽きないやつだ」
ガレスも小さく笑う。
「昔からそうだったろ」
「ああ」
ラルフは頁の下へ視線を移した。
アレンは二つの説を比較していたが、結論は出していなかった。
さらに別の頁には、魔力は天から降りてくるという古い考えが紹介されていた。
その脇に記されていたのは、一語だけだ。
『根拠は?』
ガレスはそれを見て笑った。
「いかにもアレンだ」
ラルフがうなずく。
アレンは、古い本に書いてあるというだけで物事を信じたりしなかった。
一冊読み終えると、学んだ内容よりも著者の間違いについて長々と語ることさえあった。
ラルフは、ある旅の日を思い出した。
当時、アレンは何日も一冊の魔法書について話していた。
その著者は、特定の魔法は決まった訓練を受けた者にしか扱えないと主張していた。
だがアレンは、それでは説明になっていないと考えていたのだ。
あの日アレンに何を言われたか、ラルフは思い出そうとした。
思い出せなかった。
ただし、アレンが本を閉じながら口にした一言だけは覚えていた。
『できることと、その仕組みを理解していることは別だ』
ラルフがその記憶を話すと、ガレスはしばらく黙っていた。
やがて小さくうなずく。
「言いそうなことだな」
「覚えてないのか?」
「アレンの発言を全部覚えているとでも思うのか?」
ラルフは笑った。
「それもそうだ」
ガレスは別の頁を開いた。
「ただ、詠唱のことをしつこく聞いていたのは覚えてる」
ラルフが顔を向ける。
「例えば?」
「どうして決まった言葉を言わなければならないのか、ってな。地域によって魔法の呼び名が少し変わることにも、ずいぶん興味を持っていた」
ラルフはうなずいた。
「そうだ。思い出した」
ガレスは頁の数行を指した。
アレンは、詠唱を早口で唱えると何か変わるのか試していた。
別の実験では、言葉の一部を変えている。
結果は芳しくなかったようだ。
一つには『失敗』と記されていた。
もう一つの下には、こうある。
『魔力の制御を失った。言葉を変えたせいか?』
ラルフはその文を読み直した。
「言葉そのものが何をしているのか、確かめたかったんだな」
「そうらしい」
次の記録では、詠唱は魔力の制御を容易にしているのではないか、とアレンは考えていた。
しかし、その後にまた問いを残している。
『制御しやすくするだけなら、必須なのか?』
ラルフの手が止まった。
ガレスも同じ行を見つめている。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
やがてラルフは、手帳の後ろにあった記録を思い出した。
「ここから始まったのかもしれないな」
ガレスが振り向く。
「何がだ?」
「無詠唱魔法の研究だ」
ガレスは少し考えた。
「かもしれない」
ラルフは再び書き込みに目を落とした。
「言葉を使わずに魔法を放とうとしていたのは知っていた。でも、そもそも何でそんなことを始めたのか、考えていなかったな」
ガレスがうなずく。
「俺は新しい技術を作りたかったんだと思ってた」
「それもあったかもしれない」
ラルフは少し間を置く。
「ただ、この書き方を見ると、もっと別のことを確かめたかったようにも思える」
「詠唱がなぜ必要なのか、ということか?」
「ああ」
ガレスは手帳を引き寄せ、古い記録をもう一度読み直した。
「つまり、詠唱せずに魔法を使えれば、言葉が絶対に必要なわけじゃないと証明できる」
「少なくとも、その点は確かめられる」
ガレスは何頁かめくり、顔を上げた。
「弟が初めて成功したとき、どれだけ喜んでいたか覚えてるよ」
ラルフも微笑んだ。
何か月も失敗を重ねた末、アレンが初めて詠唱せずに魔法を成功させたときは、まるで子供のようにはしゃいでいた。
あの日は、ほかの話をほとんどしなかったほどだ。
ラルフはガレスを見た。
「あのときは、そこまで喜ぶ理由をちゃんと理解していなかった気がする」
ガレスが小さくうなずく。
「俺もだ」
二人はそれからもしばらく頁を調べた。
アレンが求めていたのは、単独の魔法の仕組みを知ることだけではないらしい。
一つの問いが次の問いを生み、得られた答えが新しい実験につながっていた。
だが、ばらばらに見える興味がいつ本格的な研究へと変わったのか、はっきりとは分からない。
当時のアレン自身にも、その変化は分かっていなかったのかもしれなかった。
* * *
ミリアが昼食の支度ができたと知らせに来たときも、ラルフはまだ手帳の記録を照らし合わせていた。
扉を叩く音に顔を上げる。
「どうぞ」
ミリアが扉を開いた。
「ラルフ様、お昼の用意ができました。お声がけするよう言われておりましたので」
ラルフは目の前の紙に視線を戻した。
まだ続けたい気持ちはあったが、朝からずっと机に向かっていたことに気づく。
「ああ、すぐ行く」
ガレスも椅子から立ち上がった。
「ちょうどいい。少し休もう」
ラルフはペンを置いた。
「まだ半分もまともに調べられてないぞ」
「一日で全部終わると思ってたのか?」
「ここまで面倒だとも思ってなかった」
ガレスがかすかに笑った。
「アレンのことは知ってるだろ」
それにはラルフも返す言葉がなかった。
まったく、そのとおりだったからだ。
昼食の席では、主にガレスの旅や町の近況について話した。ミリアは、エリサが家の買い物のために町へ出ており、夕方には戻るだろうと話した。
食事を終えると、ラルフとガレスは再び書斎へ戻った。
今度は机の上の紙を少し整理する。
ラルフは同じ話題だと思われる頁番号をまとめ、ガレスは気になる書き込みを読み返し始めた。
しばらくして、ラルフは手帳の後半に小さな図がいくつも描かれていることに気づいた。
冒頭にあった石や魔法の絵とは違う。
線同士をつないだだけのようなものもあれば、円や角ばった印、正体の分からない小さな形を組み合わせたものもあった。
ラルフはその一頁を開いた。
「ガレス、これは前にも見たか?」
ガレスが身を寄せる。
「ああ」
「何か分かるか?」
「はっきりとは」
ラルフは図のいくつかを指差した。
「魔法陣に似てるな」
「そう見えるものもある」
「ほかのは?」
ガレスが肩をすくめた。
「アレンは古い碑文にも興味を持っていただろ。どこかで見たものを写したのかもしれない」
ラルフは次の頁をめくった。
そこにも似た印が並んでいる。
だが、図の横に説明はなかった。
短い言葉がいくつかあるだけだ。
『線の順序』
『二番目の図』
『異なる』
ラルフは眉をひそめた。
「二番目って、どれのことだ?」
ガレスが頁へ顔を近づける。
「分からん」
「ここには三つあるぞ」
「それは見れば分かる」
ラルフはため息をついた。
アレン本人に隣に座ってもらわなければ、この手帳を理解するのは無理なのではないか。そんな考えがだんだん強くなっていた。
ガレスは別の頁を開いた。
今度は図の脇に、少しだけ多く言葉が書き込まれている。
ラルフが読もうとしたとき、一つの単語が目に留まった。
『洞窟』
手が止まる。
「ガレス」
「何だ?」
「ここを見てくれ」
ガレスはラルフが指差した行を読んだ。
「『洞窟』と書いてあるな」
「ああ」
ラルフは図を見直した。
すると、何年も前の出来事がふと頭によみがえった。
「アレンが洞窟で何時間も俺たちを待たせた日のこと、覚えてるか?」
ガレスがかすかに笑う。
「三時間だ」
「そう、それだ」
ラルフは頁の印を示した。
「あの日、アレンは壁に古い文字を見つけたんだよな」
「覚えてる」
「これがその碑文じゃないか?」
ガレスは図を注意深く調べた。
「可能性はある。だが断言はできないな」
ラルフはうなずいた。
あの日、洞窟の中でアレンが何をしていたか、彼はほとんど気に留めていなかった。
ガレスと二人で外に座り、残ったわずかな食料を分け合っていたのだ。
その間もアレンは古い文字から離れようとしなかった。
ようやく戻ってきたときは、やけに興奮していたのを覚えている。
見つけたものについて話し始めたことも。
ただ、肝心の内容は思い出せなかった。
ラルフは手帳に視線を戻した。
「壁の文字を写し取ったのかもしれない」
ガレスがうなずく。
「いかにもアレンのやりそうなことだ」
ラルフは頁をめくった。
次には再び魔力制御の計算が並んでいた。
その後は、いくつかの失敗した魔法の記録が続く。
洞窟についての説明は、それ以上見つからなかった。
ラルフは椅子に背を預ける。
「……ここで終わりか」
「別のところに続きがあるかもしれない」
ラルフは手帳の束を眺めた。
「アレンはどうやって自分の書いたものを探してたんだ?」
「探せないこともあった」
ラルフは笑った。
「だろうな」
ガレスはさらに何頁かめくった。
そして、手を止める。
「ラルフ、こっちを見ろ」
ラルフが顔を近づけた。
頁の大部分は、意味の分からない記号で埋まっている。
だが、ガレスが指している隅には小さな図があった。
ラルフはつい先ほど見たものを思い出した。
二つの形は完全には一致しない。
それでも、一部の線の配置がよく似ていた。
「……ちょっと待て」
ラルフは頁を戻し、先ほどの場所を探した。
少し手間取ったが、洞窟について書かれた頁を見つける。
二つの図を見比べた。
ガレスもじっと目を凝らした。
「確かに似てるな」
「ああ」
ラルフは最初の図の、小さく突き出た線を指した。
「ほら。この部分、こっちも同じ形にしてある」
ガレスがうなずく。
「ただ、もう一方には余分な印があるぞ」
「それは分かってる」
ラルフはさらに近づいて見た。
形が似ているからといって、同じ意味を持つとは限らない。
まったく別のものかもしれなかった。
それでも、手帳の離れた二か所に共通点を見つけたのは、これが初めてだった。
「この頁は前にも調べたんだよな?」
ガレスがうなずく。
「何度もな」
「どう考えていた?」
「後半のほかの文章と同じで、暗号になっているのかと思った」
ラルフは再び図を見つめた。
「もし違ったら?」
ガレスが顔を向ける。
「どういうことだ?」
ラルフは先ほどの頁を示した。
「アレンはここで洞窟の古い文字について書いてる。それと似た印が、別の頁にも出てくるだろ」
「ああ」
「全部を自分で作ったわけじゃないのかもしれない」
ガレスは考え込んだ。
「どこかから写した、と?」
「あり得る。確かに暗号にした部分もあるだろう。でも、単に古い碑文を書き写しただけの頁もあるのかもしれない」
ガレスは手帳の後ろの頁を調べ始めた。
文字の順序を入れ替えたように見える箇所もある。
一方、普通の言葉にはまったく見えない印ばかりが並ぶ箇所もあった。
ラルフは続けた。
「俺たちは、これら全部が同じ方法で書かれたものだと思い込んでいたのかもしれない」
ガレスはゆっくりうなずいた。
「その可能性はあるな」
少し黙ってから、付け加える。
「ただ、あいつがどこでその印を見つけたのか分からない」
「まだな」
ラルフは手帳の冒頭にあった記録を思い返した。
アレンは、調べている魔法の名前すら書かないことがあった。
ある疑問の答えが、何十頁も後になって出てくることもあった。
古い碑文についての覚え書きも、ほかの場所に散らばっているかもしれない。
あるいはただ写しただけで、説明をつける必要を感じなかったのかもしれなかった。
ラルフは紙を一枚取った。
二つの図を慎重に写し取り、それぞれの頁番号を横に書き添える。
ガレスがその手元を見ていた。
「それをどうする?」
ラルフはペンを置く。
「まず、同じ印がほかにもないか調べる」
「それから?」
「どこから写したものか分かれば、もう少し手掛かりが増えるかもしれない」
ガレスはうなずいた。
探し求めていた答えではない。
それでも、調べるべき新しい手掛かりは得られた。
* * *
夕方近くになる頃には、机の上は紙でいっぱいになっていた。
ラルフはさらにいくつかの図を比べたが、はっきりした結論には至らなかった。
似ているものもあった。
一見似ているだけのものもあった。
ガレスも指摘したように、線が一本違う場所にあるだけで、図全体の形は変わってしまう。
そもそも、これらの印が文字なのかどうかすら分からないのだ。
ラルフはペンを置いた。
「今日はここまでにするか」
ガレスが椅子に背を預ける。
「ああ、そうしよう」
二人はしばらく黙っていた。
やがてガレスが、机に散らばる紙を見つめた。
「長いあいだこの手帳を調べていたのに、気づかなかったことがまだあるんだな」
ラルフもうなずく。
「俺もだ」
ガレスは開いた手帳へ視線を落とした。
「自分が何を探しているのか、分かっているつもりだったのかもしれない」
ラルフが顔を向ける。
「どういう意味だ?」
「俺はアレンの無詠唱魔法の研究ばかり追っていた。最後の頃、あいつがどう変わっていったのか知りたかったんだ」
そこで言葉を切る。
「だからほかの記録も、そこにつながるものだと思って読んでいた」
ラルフは黙って聞いていた。
ガレスは続ける。
「でも、最初のほうを読み返してみると……」
言葉はそこで途切れた。
ラルフには、友人の言いたいことが分かった。
初めの頃、アレンの研究には決まった目的があったように見えない。
ある日は魔力の制御に疑問を持ち、またある日は古い魔法書の説明に納得できずにいた。
詠唱に興味を持つようになり、いつしか魔力がどこから来るのかまで考えていた。
問いは少しずつ変わっていった。
ただ、それらがいつ一つにつながり始めたのかは分からない。
ラルフは冒頭の頁を開いた。
「アレンは最初から、何か大きな目的のためにこれを書いていたわけじゃないと思う」
ガレスが彼を見た。
「どういうことだ?」
「初めは、ただ興味を持ったことを追いかけていただけだろう。疑問が浮かべば書き留めて、それから答えを探す」
ラルフはゆっくり頁をめくった。
「だが、答えが見つかるたびに、別のことが気になり始めたんだ」
ガレスは少し考え、うなずいた。
「そうだな」
「最後の頃に何を探していたのか知りたいなら、それまでの問いがどこへつながったのか見ていくしかないのかもしれない」
ガレスは手帳へ目を落とした。
「簡単じゃなさそうだ」
ラルフは笑った。
「それは今日一日でよく分かったよ」
ガレスもかすかに笑った。
やがて鞄を開け、手帳をしまった。
ラルフは机の紙をまとめ、比べた図と頁番号を書いた紙を別にしておく。
明日もこの続きから始められるだろう。
ちょうどそのとき、外から声が響いた。
「父さーん!」
ラルフは顔を上げる。
ルーカスだ。
続いて、エリサの声が聞こえた。
「ルーク、そんなに急がないの!」
ラルフは笑った。
「帰ってきたな」
ガレスは鞄を閉じた。
「ちょうどよかった」
二人が書斎を出ると、ルーカスはもう玄関の敷物の上にしゃがみ込んでいた。
目の前には、小さな木片がいくつか並んでいる。
ラルフは息子に近づいた。
「それは何だ?」
ルーカスが顔を上げる。
「ダレンがくれたんだ!」
「それで何を作るんだ?」
「何か作る!」
ラルフは続きを待った。
だが、ルーカスはそれ以上説明しない。
「まだ作るものを決めてないのか?」
「決めてるよ」
「それで?」
ルーカスは二つの木片を並べ、その上に三つ目をはめようとした。
だが滑って、床へ落ちてしまう。
ルーカスは眉を寄せた。
「まず、どうやって組み合わせるのか考えないと」
ラルフは笑った。
その後ろからエリサも入ってきた。
持っていた包みを机に置くと、息子のほうを見る。
「ダレンが端材をいくつかくれたの。テアと一緒に、それで何か作ろうとしていたみたい」
「できなかったのか?」とラルフ。
ルーカスは首を振る。
「テアは別のものを作ったんだ。僕はこれを作る」
「だから、何を作るのかまだ聞いてないぞ」
「秘密だから!」
ラルフはうなずいた。
「なるほどな」
ルーカスはまた木片に向き直った。
ガレスが近づいてくると、顔を上げる。
「ガレス!」
「何だい?」
「父さんと一日中何してたの?」
ガレスはちらりとラルフを見た。
「古い手帳を調べていたんだ」
ルーカスが顔をしかめる。
「一日中?」
「ほとんどな」
「つまらなそう」
ラルフは笑った。
「そういう日もあるさ」
ルーカスは木片を掲げる。
「僕は町でもっと楽しいことをしたよ!」
「そうなのか?」
「うん! テアに会ったし、ブラムもいたんだ!」
そこから、二人が木剣で練習していた話を勢いよく始めた。
ガレスがその話を聞いているあいだ、ラルフはエリサの持ってきた荷物をいくつか台所へ運んだ。
エリサがそばへ来る。
「今日はどうだった?」
ラルフは少し考えた。
「思っていたより時間がかかったな」
「何も見つからなかったの?」
「いくつか気づいたことはある。ただ、それが何を意味するのかはまだ分からない」
エリサはうなずいた。
「ガレスはあと何日か泊まるんでしょう?」
「ああ」
「なら、焦らなくてもいいじゃない」
ラルフは笑った。
「焦ってないよ」
エリサはその顔をじっと見た。
「あまりそうは見えないけれど」
「少しはせっかちかもしれないな」
「少し?」
ラルフは黙った。
エリサが小さく笑う。
「認めるだけ進歩ね」
荷物を台所に置いて居間へ戻ると、ルーカスはまだガレスに町での出来事を話していた。
木片も相変わらず組み合わせられずにいる。
ラルフは息子の隣に座った。
「手伝おうか?」
ルーカスはすぐに首を振る。
「自分でやる!」
「分かった」
しばらく二人で木片を眺めた。
ルーカスは何度も組み合わせ方を変えてみる。
うまくいかないたびに全部外し、最初からやり直した。
ラルフは今度は口を挟まなかった。
やがてルーカスが顔を上げた。
「父さん」
「何だ?」
「ダレンは、この木はちゃんとはまるって言ってたんだ」
「そうなのか?」
「うん。でも、できない」
ラルフは木片を一つ手に取った。
端を確かめてから、ほかの二つを見る。
「違うところから始めたらどうだ?」
ルーカスは真剣に聞いていた。
「どういうこと?」
ラルフは二つの木片を並べてみせた。
「まず、どれとどれが合うのか探してみよう」
ルーカスは少し考え、三つ目の木片を拾った。
「じゃあ、これは最後にしよう」
「試してみるか」
二人はしばらく一緒に試した。
最初は駄目だった。
二度目もうまくいかない。
だが三度目に、二つの木片がぴたりとかみ合った。
ルーカスの顔がぱっと明るくなる。
「できた!」
ラルフは微笑んだ。
「二つはな」
「三つ目もできるよ!」
「どうかな」
ルーカスはまた作業に戻った。
ラルフはそばの小さな木片を眺めながら、朝、机いっぱいに広げた紙のことをふと思い出した。
アレンの手帳にも、うまくつながりそうなものがいくつもあった。
ただ、どれが本当につながっているのか、まだ分からなかった。
ラルフはルーカスの手の中にある最後の一片を見た。
息子のほうが、自分たちより簡単に答えを見つけられるといいのだが。
少なくとも、あちらにあるのは三つだけだ。
「父さん!」
ラルフは物思いから引き戻された。
「どうした?」
ルーカスが組み合わさった二つを差し出す。
「これ、持っててくれる? 三つ目を入れるから」
ラルフは受け取った。
「ほら、持ったぞ」
ルーカスは慎重に身をかがめる。
少し苦戦したあと、最後の木片を正しい位置にはめ込んだ。
三つの木片は、手を離しても外れずにつながっていた。
ルーカスは嬉しそうに立ち上がった。
「やった!」
ラルフが笑う。
「やったな」
ガレスもそばへ来た。
「おや、何ができたんだ?」
ルーカスは誇らしげに完成したものを見せる。
「僕が自分で作ったんだ!」
ラルフが眉を上げた。
「俺も少し手伝ったような気がするけどな」
ルーカスは考えた。
そして、うなずく。
「ちょっとだけ」
ガレスが笑った。
ラルフは息子を見る。
「ちょっとだけ?」
「父さんは持ってただけだよ。作ったのは僕!」
ラルフはため息をついた。
「そうだな。そこは大事な違いだ」
ルーカスは笑いながら、完成した木片をまた眺め始めた。
ラルフは椅子に背を預けた。
アレンの手帳は明日になってもそこにある。
今は別の問題を片づけなければならない。
ルーカスは完成した小さな作品を、どうやって肩掛け鞄に収めるか考えていた。
どうやら、それにも手助けが必要になりそうだった。




