第11話 来たよ
翌朝、目を覚まして最初にしたことは、天井を見ることだった。
二番目は、窓の外を見ること。
ちょうど朝日が昇り始めたところで、町の上にきれいな景色が広がっていた。
しばらく外を眺めてから、俺はベッドに戻った。
母さん、今日は町に用事があるんだろうか。
つまり、母さんに用事がなければ、俺が町へ行く方法もない。
……。
五分後、俺は一階へ下りていた。
母さんは台所にいた。
ミリアがテーブルの上で何かを準備していて、父さんは少し眠そうな目でテーブルを眺めている。
母さんは俺を見ると笑った。
「おはよう」
「おはよう、母さん」
俺は席についた。
みんながテーブルにつくと、そのまま朝食が始まった。
パンを一切れちぎる。
食べる。
もう一つ。
父さんがこっちを見ていた。
俺も父さんを見る。
「何?」
「お前、パンを食べるためだけに下りてきたのか?」
母さんが俺の皿にチーズを少し置いた。
「今日はいい天気になりそうね」
「うん」
もう少し待った。
ほんの少しだけ勇気を出そうとする。
そして、ようやく口を開いた。
「今日、何か用事ある?」
父さんの口元がわずかに上がった。
母さんは何事もないような顔で答える。
「いくつかあるかもしれないわね」
「町で?」
父さんが咳払いのような音を出した。
俺はそっちを見る。
「どうしたの?」
「いやいや、俺は元気だぞ」
母さんが聞いてきた。
「どうして?」
「ちょっと気になっただけ」
父さんはもう隠す気もなくニヤニヤしていた。
「どうやら、誰かさんは友達に会いたいらしいな」
「まだ友達じゃないから」
「じゃあ、会いたいってことは認めるんだな」
父さんはニヤニヤし続けている。
「いや、そんなこと言ってない」
「俺にはそう聞こえたけどな」
「もしかしたら、あの荷車に何かあったかもしれないし」
「ずいぶん責任感があるじゃないか。その責任感を訓練にも向けてほしいもんだな」
「訓練は疲れるけど、これは疲れない」
口を開いた。
そして閉じた。
「はいはい、そうですか」
母さんが言った。
「お昼頃なら町に行けるかもしれないわよ」
俺はフォークを置いた。
「わかった」
父さんがこっちを見る。
「ずいぶん冷静だな」
「黙って」
昼頃、俺たちは町に着いた。
昨日ほど混んではいなかったが、通りにはそれなりに人がいた。
母さんには本当にいくつか用事があった。
今回は何も聞かなかった。
だって、俺がどこへ行きたいのかは自分でもわかっていたからだ。
もちろん、それを顔に出さないようにはしていた。
最初の店を出たところで、右を見た。
それから左。
母さんが言う。
「木工所はあっちよ」
俺は止まった。
「知ってる」
「何も言ってないけど?」
「言ったよ」
「方向を教えただけよ」
「なんで?」
「迷わないように」
そう言いながら、母さんは笑っていた。
気に入らない。
道を渡ると、小さな木工所が見えた。
そして、その前にテアがいた。
昨日の木の荷車も一緒だ。
俺を見るなり、テアは立ち上がった。
「遅い!」
俺はその場で立ち止まった。
「来るって言ってないけど」
テアは数秒考えた。
そして、
「でも来たじゃん」
と言った。
……。
正しい。
この子と話すのは疲れる。
母さんが言った。
「私は近くのお店に行ってくるから、ここから離れちゃ駄目よ」
「わかった」
テアも答える。
「わかった!」
母さんは離れていく前に、もう一度俺を見た。
笑っていた。
まただ。
いつか絶対に話し合おう。
テアはすぐに荷車を俺の前へ押し出した。
「見て」
俺はしゃがんで確認した。
昨日つけた紐はまだそのままだった。
車輪も外れていない。
「まだちゃんとついてる」
「見ればわかるよ」
「昨日ルークがやったやつ、うまくいった」
「うまくいくってわかってた」
「今日はもっと速くする」
顔を上げる。
「どうやって?」
「わかんない。なんとかする」
「昨日、危うく道に飛び出しかけたんだけど」
「だから今日はもっとよくするの」
「その理屈、どうなってるの?」
テアは答えなかった。
荷車をひっくり返す。
そして、下についている車輪を指差した。
「これを大きくする」
しばらく車輪を見る。
それからテアを見る。
「なんで?」
「速くなるから」
「車輪を大きくしただけで勝手に速くなるわけじゃないよ」
「なる」
「ならない」
「なる」
「ならない」
テアは腕を組んだ。
「お父さんに聞く」
「聞けば」
テアは店のほうを向いた。
「お父さーん!」
中から声が返ってきた。
「今度は何を壊した?」
テアの顔が変わった。
「何も壊してない!」
「それはもっと怖いな」
数秒後、店の中から一人の男が出てきた。
年齢は三十歳前後に見えた。
短く切った濃い色の髪。
着ている古いシャツには木くずがたくさんついている。
でも最初に目に入ったのは、左腕だった。
肘の少し下で途切れている。
無意識に視線がそこへ向かった。
すぐに目をそらした。
気づかれたかどうかはわからない。
もし気づいていたとしても、男は何も言わなかった。
テアが荷車を持ち上げる。
「車輪を大きくしたら、もっと速くなるよね?」
男は荷車を見る。
次に俺を見る。
それからまたテアを見る。
「ならない」
テアの顔が曇った。
俺はうなずいた。
「ありがとうございます」
テアが俺を見る。
「ルークには聞いてない」
男が笑った。
「君がルーカスだな?」
俺は眉を上げた。
「なんで知ってるんですか?」
テアがすぐ答えた。
「昨日話したから」
男は持っていた布で右手を拭くと、その手を差し出した。
「俺はダレン」
俺もその手を握った。
「ルーカスです」
「車輪を直してくれたのは君らしいな」
「そんなに難しくなかったです」
テアが割り込んできた。
「私も手伝った」
俺とダレンは同時にテアを見た。
「何?」
ダレンが笑う。
「ああ。きっと大活躍だったんだろうな」
テアはそれで満足したらしい。
俺は店の中へ目を向けた。
壁にはいろいろな道具がかけられていた。
木材、作りかけの椅子、小さな箱、それから修理を待っているいくつかの品。
ダレンが俺の視線に気づいた。
「気になるか?」
「少し」
「昔はこんなに片づいてなかったんだけどな」
テアが言った。
「お父さん、片手で何でもできるよ」
一瞬、なんて返せばいいのかわからなかった。
でもダレンは何でもないことのように答えた。
「何でもは無理だ」
テアは少し考える。
「髪、結べないもんね」
「それは両手があっても無理だったと思うぞ」
テアは反論しなかった。
俺も思わず笑った。
ダレンが小さな荷車を持ち上げる。
右手でひっくり返し、下を確認した。
「悪くないな」
テアがすぐ言う。
「私が作ったの」
ダレンが答える。
「俺はちょっと手伝っただけだ」
俺はテアを見る。
「つまり、お父さんが作ったんだね」
「またそれ言う!」
ダレンが少し笑った。
テアは荷車を俺たちから取り返した。
「行こ」
「どこに?」
「もっと速くする」
「さっきお父さんにも無理って言われたよね」
「別の方法にする」
本当に頑固だ。
ダレンが後ろから声をかけてきた。
「店の前からあんまり離れるなよ!」
テアが手を上げる。
「わかった!」
それから俺に振り返った。
「来て」
俺はその後をついていった。
十分ほど経った頃には、荷車を速くするどころか、上にもっと物を載せることになっていた。
正確には、テアがそう決めた。
俺は抵抗するのを諦めただけだ。
今回は荷物も少し豪華になっていた。
石が三つ。
枝が二本。
葉っぱが一枚。
そして半分に割れたクルミの殻。
「これ何?」
俺は聞いた。
「お皿」
「初めてまともなものが出てきて驚いた」
「ルークのは?」
俺は手に持っていた細い木の棒を見せた。
「剣」
テアが見る。
「ただの棒じゃん」
「そっちだってクルミじゃん」
「お皿だよ」
「じゃあ、これは剣」
少し考えてから、テアはうなずいた。
「わかった」
ルールはかなり柔軟だった。
俺たちは順番に荷車を押し合っていた。
しばらくすると、テアが立ち上がった。
「競争しよ」
「何で?」
「走るの」
「なんで?」
「私のほうが速いから」
「どこからそんな自信が出てくるの?」
テアは、俺がこの世で一番馬鹿な質問をしたみたいな顔をした。
「私のほうが年上だから」
……。
ものすごく理にかなっているみたいに言った。
道の脇にある二本の木を指差す。
「ここからあそこまで」
「俺、競争したくない」
「怖いの?」
「違う」
「じゃあやろう」
テアはもう、スタート地点と決めたらしい石の横に立っていた。
俺はため息をついた。
そして、その隣へ行く。
「一回だけ」
「三回」
「一回」
「二回」
「一回」
「じゃあ二回」
「違う」
「始めるよ!」
「まだ決まってな――」
テアが走り出した。
「ずるい!」
俺も追いかける。
四歳の体で走るのがどれだけ大変か、改めて思い出した。
テアのほうが速かった。
俺より先に木へ着くと、両手を上げる。
「勝った!」
俺は息を整えながら言った。
「先に……走っただろ」
「でも勝った」
「それは数えない」
「数える」
「数えない」
「私、五歳だもん」
俺はテアを見る。
「それと速さに何の関係があるの?」
「ルークより年上だから」
「一歳だけ」
「うん」
テアは笑った。
今度は、俺がからかっていると気づいたのかもしれない。
いや。
気づいてないかもしれない。
わからなかった。
ダレンは店の前から俺たちを見ていた。
一度、目が合った。
ダレンは軽くうなずき、笑った。
俺はもう一度、彼の左腕を見る。
テアもその視線に気づいたらしい。
「お父さん、昔は冒険者だったんだよ」
俺はテアを見る。
「そうなの?」
「うん」
その声には、自分が五歳だと言ったときと同じくらいの誇らしさがあった。
「すっごく強かったんだよ」
店の中からダレンの声が飛んできた。
「今も強いぞ!」
テアは一秒も迷わず返した。
「お母さんは違うって言ってる!」
短い沈黙。
ダレンが言った。
「母さんは、自分の夫がどれだけ強いのかわかってないんだ!」
笑いそうになるのを必死にこらえた。
テアが俺を見る。
「何?」
「何でもない」
それからもしばらく遊んだ。
そしてテアは、昨日俺が使った魔法を思い出した。
当然、忘れているわけがなかった。
「魔法やって」
「嫌だ」
「昨日やったじゃん」
「昨日は荷車が轢かれそうだったから」
「今日は轢かれそうじゃないよ」
「だからやる必要がないんだよ」
テアは少し考えた。
「じゃあ、何か飛ばして」
「嫌だ」
「小さいのでいいから」
「嫌」
「すごく小さいやつ」
「テア」
「半分だけ?」
俺は彼女を見る。
また同じことを言った。
「まだ半分だけ魔法を使う方法は知らないよ」
「覚えて」
「テアが見たいから?」
「うん」
何の迷いもなく答えるところが、ある意味すごかった。
俺は周りを見回した。
地面に小さな枯れ葉が落ちている。
「一回だけ」
テアの顔が一瞬で明るくなった。
俺は葉っぱに向かって手を伸ばした。
「《囁く風》!」
軽い風が吹いた。
枯れ葉が地面から浮かび、空中で何度か回ってから、再び地面へ落ちる。
テアは口を開けたまま見つめていた。
俺にとっては、もう簡単な魔法だった。
でもテアの顔を見ると、それを忘れてしまう。
「もう一回」
「嫌」
「でも――」
テアが少し呆れたような顔で俺を見た。
「私、大きくなったら冒険者になる」
「魔法使えるの?」
「使えない。私は剣を使う」
「剣、使えるの?」
テアは肩をすくめた。
「お父さんが教えてくれてる!」
……。
「俺だって剣使えるよ」
「どうやって?」
「俺も父さんに教えてもらってる」
「私のほうが上手」
「なんでわかるの?」
「私のお父さんのほうが、ルークのお父さんより剣が上手だから」
お父さんが剣を上手に使えるからって、テアまで上手ってことになるのか?
それに、絶対俺のほうが上手いと思う。
母さんが戻ってきた頃には、太陽も少し低くなっていた。
俺たちは地面に座り、木の荷車の上に新しい荷物を載せていた。
母さんを見ると、テアが立ち上がった。
「明日も来る?」
俺が答える前に、また母さんを見ると思った。
でも、テアは見なかった。
まっすぐ俺を見ていた。
一瞬、黙る。
昨日同じことを聞かれたとき、俺は「母さん次第」と答えた。
でも今回は、なぜかわからないけど、答えがすぐに出てきた。
「来るよ」
テアはうなずいた。
「わかった」
それだけだった。
大げさに喜ぶわけでもない。
特別うれしそうな顔をするわけでもない。
荷車を抱えると、そのまま店へ向かって走っていった。
「お父さん! 明日のために手伝って!」
ダレンが顔を上げる。
「なんで?」
もうテアの声は聞こえなかった。
走って遠くまで行ってしまっていた。
俺は母さんのところへ歩いていった。
合流すると、母さんが聞く。
「準備できた?」
「うん」
俺たちは一緒に家へ向かって歩き始めた。
通りの端まで来たところで、俺は振り返って木工所を見た。
テアの姿はもう見えなかった。
そのまま歩き続ける。
しばらくして、気づいた。
昨日は、明日また町へ来られるかどうかを母さんに聞いた。
でも今日は、自分から、
「来るよ」
と言った。
しかも、言う前に母さんの顔すら見ていなかった。
……。
まあいいか。
明日考えよう。




