(2)奈美の家族
「奈美、ごはんよ」
階下から母の佳代子に呼ばれ、二階の自室でぼんやりしていた奈美は我に返った。
(父っちゃがいるんだった)
今日は土曜日。平日なら、父の修二と夕食が一緒になることはないが、土、日は工場が休みであるため、修二が家にいる。奈美は憂うつになった。
修二は、工業高校卒業後、大館市内にある食品工場へ就職した。その食品工場の本社は東京にあるが、修二は工場採用の地域社員として、入社以来三十年以上、同じ工場に勤務していた。
現在は製造装置や機器の導入、整備を行う技術係の係長として、工場の技術部門の顔と言える存在である。
大館以外の土地で暮らした経験はなく、地元でコツコツと真面目に努力してきた結果、工場の技術係長の地位を得た。修二にとっては、自分の生きざまがそのまま人生訓であった。
地元を大事にし、家族を大事にする。傍目には申し分のない父親である。
(たばこ臭いし、オヤジ臭がする)
高校生になった頃から、奈美は修二を生理的に避けるようになった。臭いだけのせいなのかどうか、奈美自身にも分からない。修二に話しかけられても、気のない返事をして適当に濁すのが日常になった。
「奈美」
佳代子に再び呼ばれたので、奈美は部屋を出て、階段を降りた。
四人掛けのダイニングテーブルには修二と久美が定位置に着席していた。佳代子は台所で味噌汁をよそっている。
佳代子は高校卒業後、修二と同じ食品工場へ就職した。そこで修二と出会い、結婚した。やがて奈美をお腹に宿すと工場を退職した。
佳代子も修二同様、ずっと大館で暮らしてきた。子育てが一段落すると、スーパーマーケットのパートに出た。以来、今日までレジ打ちの仕事をしている。パッチワークが趣味で、リビングのソファやフローリングの敷物、それに家族の枕カバーにも佳代子の作品が使われている。
食卓の座席は決まっていた。修二と佳代子が並んで座り、修二の正面に奈美が座る。久美は佳代子の正面である。
(久美と席を替えられたらいいのに)
正面に修二が座っているだけで、奈美は食が進まない。
テーブルには一人分ずつ、豚のしょうが焼きと野菜サラダ、ごはん、豆腐の味噌汁が並べられている。
佳代子が席に着き、みんなでいただきますをして夕食が始まる。
「勉強けっぱってるみだいね。午後はずっと部屋にごもってだものね」
佳代子がそう言ったので、奈美は、うん、と返事した。本当は勉強にあまり集中できていなかったけど、と思いながら。
「行ぎでゃ大学は決まったが?」
修二が聞いてきた。
「……まだ、考え中」
「近場がえぇぞ」
奈美はそれには答えずに、箸を動かす。近場なんてとんでもない、と思いながら。
「弘大だば、家から通えるがら、一番えぇな」
最悪だ、と奈美は思った。自宅から通える弘前大学はすでに奈美の選択肢の中には存在しない。
奈美は返事をせずに、味噌汁を流し込んだ。
「秋大だば、家から通うのはさっと大変だんて、下宿になるな。まあ、行ぎ来しやすぇがらそれでもえな」
奈美が自室でぼんやり想定していた通りのことを修二はしゃべっている。秋田大学も、奈美の選択肢の中からすでに消えている。
「秋田市にはめったに行ぐごどがねぁがら、たまに行ってみるのもわりぐねぁな」
奈美は一瞬、固まった。修二は、奈美の下宿先まで訪ねて来るつもりなのだ。
(やっぱり、近場は駄目だ)
修二が容易に訪ねて来られない遠い場所、東京へ行くのがベストだ、と奈美はますます思いを強くした。
「奈美が大学で家を離れるごどになったら、寂しくなるね」
佳代子が言った。
確かに、そういう側面はあるかもしれない、と奈美は思った。これまでずっと家族と一緒に暮らしてきたため、それが当たり前だと思ってきたが、いざ実家から遠く離れた土地で一人暮らしした場合、寂しかったり、心細かったりすることはあるだろう。
だが、それは地元から離れる以上、避けて通れないことであり、乗り越えなければならない。ひるんでいては前に進めない、と奈美は気持ちを引き締めた。
もう、大学の話は続けたくない。奈美は話題を変えた。
「久美、男子から告白されたって言ってだげど、その後どうなった?」
「断った」
「なして?」
「だって、不細工だし」
「久美は面食いだしね」
「そんたわげでねぇげど」
久美は否定したが、実際、久美は面食いである。久美はキラキラ男子が好みであり、イケメンであることが彼氏の必須条件である。
「へえー、そんたごどがあったの?」
佳代子が言った。
「久美は男の子にもでそうだもんな」
修二が言った。何か、気持ち悪い、と奈美は思った。
「奈美はそんたごどよりも、今は勉強だしな」
(ほっとけ)
好物のしょうが焼きがどうもおいしく感じられない。




