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(1)憂うつな雨


 雨が降り続いている。奈美は窓越しの雨音を聞きながら机に向かっていたが、勉強に集中できないまま、あれこれ考えをめぐらせていた。

 高校三年生の奈美は、入学当初から入部していた軟式テニス部を五月いっぱいで引退し、六月からは来春の大学受験に向けて本格的に勉強を開始した。

 今年の梅雨は特に雨が多い。久しく太陽を見ていない気がする。奈美はそう思った。

(大館を出て、東京の大学へ行きたい)

 奈美にとって、それが最大の関心事であった。

 奈美は四人家族の長女である。父は工場勤務、母はパート勤務、それに四歳下で中学二年生の妹と、生まれてからずっと大館で暮らしてきた。

 奈美は小学生の頃から、特に塾通いしたり、放課後、家で勉強したりするわけでもないのに、テストの成績が良かった。両親からも親族からも、できる子として見られて育った。

 以前からお盆や正月に父方の親戚一同が本家に集まり、にぎやかに過ごすのが恒例で、奈美はいとこたちと会えるのが楽しみであった。だが、あるとき、ふと気づいた。

(親戚のおじさんたちもおばさんたちも、大学へ行った人が一人もいない)

 奈美の両親は二人とも高卒であり、母方のおじ、おばも大学卒の学歴をもつ人は皆無である。

 いとこたちも、総じて学校の勉強は得意そうではなく、高校へ進学したいとこたちは、みな大学進学とは縁が薄い高校に通い、卒業後、大学へ行かず、専門学校へ行くか、就職している。

 奈美は中学生になっても成績優秀で、学年でも上位クラスをつねに維持した。塾へは通わず、家で予習復習する程度の勉強量であった。

「奈美、塾さ通うが?」

 あるとき、父の修二にそう言われたが、奈美は断った。これまでも自分のペースで勉強してきたため、塾通いは煩わしかったこと、それに、奈美の成績なら地元の公立の進学校へ十分合格できるレベルであり、塾通いしてトップクラスの成績を目指す必要はない、と考えたからである。

 妹の久美は、人懐っこい性格で、学校でもクラスの人気者に収まっている。みずから三枚目キャラを演じてはいるが、かわいい顔をしているので、男子にモテる。だが、成績はそこそこで、取り立てて良いわけではない。

「奈美ぢゃんは頭がえぇがら、大学さ行ぐんだよね?」

「親戚一同の誇りだ」

 親戚の集まりでは、いつの間にか奈美は一目置かれる存在になっていた。

 大学へ行くことが果たして親戚の誇りなのだろうか。奈美は、大卒の学歴がない両親や親戚に対し気持ちの面で距離を置くようになった。

 高校は、地元の進学校に進んだ。ごく順当に、特に受験勉強の苦しさを経験せずに合格した。その高校へ進学したのは親戚の中で奈美が初めてであり、おじ、おばたちから、快挙として称賛された。

「さすがは奈美ぢゃん。おいがだどは頭の出来が違うな」

「親戚の誇りだ」

 奈美は、本当はもっとレベルが高い高校へ進学したかったのだが、家から通える範囲にはほかにそういう高校はなく、選択の余地がなかった。秋田県では、進学校は秋田市にほぼ集中して存在しているが、大館から秋田市内へ行くには電車で二時間近くかかるため、毎日の通学には無理がある。

 そんな事情も、奈美が大館を出たいと思う理由の一つであった。

 大学進学となれば、両親からは秋田大学か弘前大学へ行けと言われるであろうと奈美は思っていた。

 秋田大学は県内の国立大学であり、自宅から通うには遠いため、秋田市内に下宿する必要があるものの、週末に帰って来られる距離であること、また弘前大学は、大館から電車で一時間程度で行けるため、自宅通学が可能である。だから、両親はこの二校を推奨するだろう、と奈美は考えていた。

 奈美は、東京にある私立大学の薬学部へ行きたいと考えていた。薬学部に六年間通い、卒業後、薬剤師になりたいと思っている。

 薬剤師は女性が多い職業であり、比較的賃金が良いこと、それに資格さえあれば、結婚や出産、育児のために仕事から一時離れたとしても、一段落してからまた薬剤師として復帰することが可能であること、さらに日本全国、どこででも仕事ができることが大きなメリットであると奈美は考えていた。

 薬剤師になるためには、六年制の薬学部を卒業する必要がある。

 奈美は、問題点は二つあると考えている。

 一つは、薬学部の学費が高いこと。総じて文系学部よりも理系学部の方が学費が高めであり、中でも私立の薬学部は高い部類に入る。六年間で約千二百万円もの学費がかかるが、普通のサラリーマン家庭である我が家でそれだけの学費を負担できるかどうか不安がある。しかも、六年間も大学へ行かせてもらえるかどうか。

 もう一つは、果たして東京の大学へ行かせてもらえるかどうか、ということ。東北地方にも薬学部が何校かあり、わざわざ東京の薬学部へ行く必要はないのではないか、と言われる可能性がある。東京には様々なレベルの薬学部があり、選択肢が多いと説明したとしても、両親が納得するかどうか分からない。

 奈美が東京へ行きたい理由は、独特な価値観でちんまりとしたコミュニティを形成し、閉塞感を感じる地元、親元から脱したいことに加え、東京へのあこがれの思いがあった。

 秋田の大館にいても、テレビやネットの情報は圧倒的に東京のものが多い。渋谷や原宿には若者があふれ、銀座や青山には上品なショップが建ち並び、新宿や池袋の繁華街の活気や、自由が丘や吉祥寺の落ち着いた雰囲気は魅力的だ。オタクの聖地と言われる秋葉原にも興味がある。正確には千葉県にあるが、東京ディズニーランドへも行きたい。

 東京は夢の宝庫だ、と奈美は思っている。地元のズーズー弁とは違い、洗練された共通語が話されている。奈美は、そんな東京に身を置き、生活してみたいと強く望んでいた。そうすれば、自分に染み付いた閉塞的な地元の体臭もきれいに洗い落とせるのではないか、と期待していた。

 だが、そんなことを正直に言ったら、両親は怒るに違いない。本音はひた隠しにしつつ、いかにして東京の大学へ行くことを認めてもらうか。

 それが、奈美の悩みであった。

 雨が激しくなってきた。いっこうにやみそうにない。奈美は机の上に頬杖をついて、窓の外をぼんやり眺め続けている。


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