8. 第七位、カルデン
発表の朝、店の雨戸を開ける前から、表が騒がしかった。
「坊、見に行かんのか」
ヤンである。梯子組の若い衆まで揃って、俺の尻を叩きに来たらしい。行くさ、と答えた声が、我ながら少し掠れていた。記念受験の男が、発表の朝に喉を掠れさせている。様にならない話である。出がけに祖父の遺影へ手だけ合わせた。願掛けはしない主義だが、報告はする主義だ。
掲示板の前は、人垣だった。周りでは悲鳴と歓声が交互に上がっている。何年ぶんもの修練が、一枚の紙で裁かれる朝である。
人垣の後ろから、俺は名簿を下から読んだ。上から読む度胸がなかったのである。十位。九位。八位。知らない姓が続く。そして、七位。
ニクラス・カルデン。
見間違いかと思って、三度読む。三度とも、同じ字がそこにあった。宮廷の掲示に、カルデンの姓が載っている。十五年ぶりである。七位という数字も、妙に気に入った。首席なら話が出来すぎで、末席なら情けで拾われた形になる。七位は、腕の分だけの席という顔をしている。欄の脇には内訳の小さな字があった。筆記六十二、整備八十五、連成九十六。筆記の低さは字引きのように正直で、連成の数字は――俺と彼女と十三番の、三人ぶんの点である。
記念受験。そう言い張ってきた仮面が、音もなく外れていくのが分かる。掲示の字を指でなぞりたいのを我慢して、俺はただ長いこと、そこに立っていた。爺さん。載ったよ。あんたの姓が、あんたの居た場所に、もう一度。
喉の奥が熱い。泣くところではないだろうと、自分で自分に呆れながら、それでもしばらく、人垣の後ろから動けなかった。
首席の欄には、エミール・ギルドナーとある。人垣の外れで、本人と目が合う。
「首席、おめでとうございます」
「七位で、あの筆記の点。実技が何点だったのか、考えたくもありません」
彼は綴りを抱え直し、少しだけ声を落とす。
「配属は検収科を志望します。表を、作りに行きます」
「いい表を。三十年選手の疲れどころも、載るやつを」
「あなたは」
「修繕科を。三十年選手の主治医のほうが、性に合っています」
宮廷魔導技師は、王宮工廠に仕える鋼騎士の主治医である。合格者は十名、出仕は二十日。人垣を抜けた廊下で、俺はもう一人に呼び止められた。
「第七位どの」
振り向くと、冬の湖の色がある。今日の彼女は学院の制服姿で、操縦服のときより、なぜか少し遠い人に見えた。それでも声だけは、伝声管で聞くのと同じ距離で届く。彼女は背筋を伸ばしたまま、どこか、言葉を選ぶ間を置いている。
「わたくしの後席に、なりなさい。……勅任ではなく、指名です」
アイゼンガルテン家の専属機関士。週に三日の整備と訓練の後席、手当は月に銀貨三枚。条件は淀みなく並んだのに、語尾だけが、わずかに揺れている。
宮廷に呼ばれたのではない。この人の機体に、呼ばれたのだ。そう思った。
「お受けします」
筋だけで受けたのではない。胸の内で、勘定も弾いた。技師の俸給が月に銀貨十枚、専属の手当が三枚。店の昼の番はヤンに頼む算段もある。筋と勘定の両方が立つ話は、下町では上等の部類なのだ。
彼女の息が、ほどける。それから、思い出したような一言が付いてきた。
「……いずれ、あなたの耳を借りたい機体があります。今は、それだけ」
耳を借りたい機体。問い返す前に、彼女は一礼して人垣の向こうへ消えた。貴族というのは、引き際だけは鮮やかである。
残された廊下で、しばらくその言葉を転がす。腕でも、手でもなく、耳。この人は、俺の仕事のいちばん深いところを、最初から正しく呼んでいるのだ。
夜、店は梯子組に占拠される。
樽が開き、歌が出て、ヤンの女房が大鍋を提げて来て、若い衆が工具箱を椅子代わりに並べた。冷やかしの「宮廷技師サマ」が飛ぶたび、親方の拳が飛ぶ。店は手狭だが、祝いというのは狭いほど濃くなる。騒ぎの隅で、俺は掲示の写しを祖父の遺影の前に置いた。写しの角を、額に少しだけ触れさせる。子供じみた仕草だと分かっていて、やめられなかった。
遺影の横の釘は、まだ空いている。技師の章は、まだ戻らない。それでも爺さん、と胸の内で呼ぶ。掲示までは届いた。ここから先は、あんたの沈黙を聴きに行く番だ。
ヤンが無言で杯を寄越した。今日は、少しだけ呑んだ。
◇
手帳の余白より 夏初月十日
掲示の七位に、カルデンの姓がありました。お母様、十五年ぶりです。あの姓が宮廷に戻る日を、わたくしはずっと待っていました。指名の口上は幾晩も練習しましたのに、語尾が揺れたのを、あの人は聴き取ったでしょうか。脈を聴く人ですから、きっと聴こえています。恥ずかしいこと。それから、言えなかったことが一つ。耳を借りたい機体の名を、まだ言えませんでした。名を言えば、続きも全部、言わなくてはならなくなるから。




