7. 規程は十五年待つことができる
鐘の残響が消えないうちに、審判席の前は騒ぎになっていた。
「失格は失格だ。美談で査定は動かせん」
絹の手袋が声を張り、係官がおろおろと綴りをめくる。理屈は分かる。規定は規定で、鐘は鳴ったのだ。俺たちは泥と煤にまみれたまま、十三番を停めて立っていた。彼女は一言も弁明しない。あの背筋のまま、裁定を待っている。
騒ぎの輪の外では、梯子組が拳を固めて成り行きを睨んでいた。親方が飛び出しそうになるのを、若い衆が三人がかりで止めている。頼むから、止まっていてくれ。
鋼騎士の査定というのは、機体と人の両方を測るものだと、祖父が言っていた。今日測られているのが何なのか――審判席の老人が、綴りを開いて示す。
「特例第九条。課目中の人命救助による中断は、審判長の裁定により、中断時点からの再開と、救助に要した時間の控除を認める」
しん、と場が静まる。ドナート・クロネは綴りを閉じ、続ける。
「本条の適用を宣言する。第一組は中断地点より再開。救助の所要、四分五十秒を控除する」
「し、しかし審判長、前例が」
「前例はない。条文はある」
老人は絹の手袋を一瞥もしない。旗手に合図をしながら、独り言のように付け足す。
「条文というのはな、使われる日のために置いてあるのだ。十五年でも、二十年でも、待つ。――再開」
再開地点へ戻る短い間に、彼女が伝声管で言う。
「後席。査定は、追いつきますか」
「さあ。ですが十三番の脈は、まだ走り足りないと言っています」
「なら、聞きましょう」
俺たちは煙の切れ目に戻り、残りの火場を歩き切る。時計係の旗が下り、ゴールの白線を越えた。控除を差し引いた刻みがどこへ落ちるのかは、分からない。分からないまま、やるべきことは全部やった。
観覧席は、静かである。
嘲りの色が抜け、拍手とも言えない、数を数え直すような沈黙だけがある。その沈黙を、聞き慣れた胴間声が破った。
「よぉーし! よく帰った!」
親方である。梯子組が続き、手拍子が飛び火し、気がつけば観覧席の半分が鳴っていた。彼女が伝声管越しに、小さく息だけで笑う。
「炉を落とします。……お疲れさまでした、後席」
「お疲れさまでした、前席」
審判席では、ドナートが時計を睨みながら何かを書き付けている。控除の計算だろう。条文と時計。あの老人の武器は、その二つきりである。
機体を降りると、彼女が先に立っていて、泥だらけの操縦服のまま、こちらへ手を差し出している。
「いい後席でした」
侯爵令嬢が、公衆の面前で、下町の修理屋に握手を求めている。周りの息を呑む気配がした。俺は油の染みた手を布で拭ってから、その手を取る。素手の主義の手のひらは、桿だこの分だけ硬く、そして温かい。
午後、審判部に呼ばれ、十一番機の検分に立ち会った。検分には記録係も付き、摩耗の箇所は図に取られ、写しは規格の側にも回されるという。十一番の騎手は打ち身と擦り傷で済んだと、係官が告げに来た。場のあちこちで、詰めていた息のほどける音がする。
左踝の軸受を開けると、遊びの奥に摩耗の艶が鈍く光っている。仕込みではない。ただの経年、ただの持病である。規格点検表の項目には載っていない場所だ。今日の騎手と機付の落ち度ではない。だが、表そのものには穴があった、ということでもある。
エミールは検分の間、一言も口を挟まなかった。皆が離れてから、低く言う。
「……表は、これを知らなかった」
「なら、載せればいい」
軸受を戻しながら答える。
「三十年働いた機体がどこから疲れるか、今日の十一番が身をもって教えてくれた。表に載せて、次の誰かに渡す。それは、あんたの側の仕事です」
エミールは眼鏡の奥で二度瞬きをして、綴りを胸に抱え直す。
「あなたの名を、覚えました」
「俺はとっくに覚えていますよ、首席候補どの」
彼は少し迷ってから、綴りに挟んだ紙を一枚見せてきた。今日の摩耗箇所の写し取りである。余白に細かい字で、追補案、とあった。仕事の早い男は、嫌いではない。
発表は十日。査定路の泥は、まだ乾いていない。
◇
手帳の余白より 夏初月七日の夜
お母様の手帳に、こういう頁があります。『今日、隊列を離れて子供の凧を拾う。隊長には叱られ、ヨルゲンは笑っていた』。六つのわたくしには、ただの楽しい話でした。今日、煙の中へ縄を跨いだとき、この頁が体の中で開いたのです。ああ、母はこういう人で、こういうときに笑ってくれる人がそばにいたのだ、と。ゴールで握手を求めたのは、作法ではありません。ああするより他に、あの背中への言葉を知らなかっただけ。手のひらに残った油の匂いを、まだ落とせずにいます。




