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6. 査定路の真ん中で、査定を捨てる

 腰の音の正体は、朝のうちに突き止めた。


 輸送台車の揺れで、腰環の締結が緩んでいたのである。壊れたわけではない。機体を三歩歩かせ、聴診棒を当て、緩んだ箇所と原因を報せ書に書いてから、締め歌で締め直す。ひとつ仮締め、ふたつで半目、みっつ泣くまで、よっつで黙る。


「本番の朝に検めからとは、幸先が悪いでしょうか」


「逆です。今朝の十三番は、どこが緩んだか腰で教えてくれた。三十年選手は、黙って壊れたりしません」


 彼女は少し笑い、操縦手袋を外して腰帯に挟む。素手の主義は、今日も変わらないらしい。


 検めの報せ書は、審判部の受付に出した。受け取ったドナートは一瞥し、几帳面なことだ、とだけ言って検印を捺す。規程の国では、紙が職人の背中を守る。祖父が口を酸っぱくして言っていた流儀である。


 連成実技の本番は、時差の出走である。二十四機の鋼騎士(シュタールリッター)が数分おきに査定路へ放たれ、席次の順に走って、首席の組は最後に出る。俺たちのすぐ前は、十一番機――エミールの組の単座だ。伴走に回る彼は、出走の前にこちらへ小さく一礼していった。律儀な男である。


 観覧席は朝から膨れ上がっていた。廃棄の荷札を提げた十三番が引き出されると、笑いとも溜め息ともつかない音が流れる。その端で、場違いに威勢のいい一団が手を振っていた。梯子組である。親方まで来ている。休みの日くらい休め、と思うが、ありがたさで胸のあたりが温かいのだから世話がない。


 構うものか。聴くべき脈は、観覧席にはない。


「前席、フレデリカ・アイゼンガルテン」


「後席、ニクラス・カルデン」


「――両席、繋がりました」


 点火。火色が青から橙へ。圧、六分。関節、ひと回し。


「――鋼騎士(シュタールリッター)、起きます」


 旗が振られた。


 泥濘は、練習走の倍の深さに掘り返されている。構わず彼女は最短の線を通し、俺は着地音の湿り気だけを頼りに、半拍先へ圧を置いていく。俵束百二十キロ、肩に乗る。重心が前へ逃げる前に、胴の圧が立つ。階段は降りの一段ごとに膝へ受け。言葉は、もうほとんど要らない。


「速い」


 彼女がぽつりと言う。誇るでもなく、計器を読むように確かめる声だった。


 最後の課目、煙幕の火場へ入る。


 視界はない。もとより後席に窓はない。だが煙の中は、火消しの出動で通い慣れた世界である。音が近くなり、熱が湿り、伝声管の呼吸だけが澄んでいく。


 観覧席の歓声が、煙の壁に吸われて遠くなる。前席の呼吸、二拍。俺の呼吸、二拍。合っている。


 その耳に、場違いな音が刺さった。


 金属の、長い悲鳴。地面を打つ一トンの落下音。そして――人の悲鳴である。


「前方、先行の組です。転倒――誰か、挟まれています」


 伝声管の向こうで、息を呑む音がする。査定路を外れれば、この走りは終わりだ。嘲笑の中で立て続けた背筋も、廃棄機での完走も、そこで全部終わる。


 彼女の声は、一拍もかからなかった。


「行って」


「応じます」


 迷いのなさに、自分で驚く。躊躇なく全部の圧栓を開けた自分に、である。十三番はコースの縄を跨ぎ、煙の奥へ突っ込んだ。


 倒れていたのは、やはり十一番機だ。左踝から崩れ、横倒しの装甲の下に騎手の脚が挟まれている。伴走のエミールが煙の中で叫んでいた。


「意識はあります! ですが動かせない――踝が崩れていて、引きずれば脚ごと持っていかれる!」


「分かっています。エミールさん、挟まれの位置と向きを、声で。俺たちは肩を起こします」


 煙の中では、目より声だ。まず騎手に呼びかけ、名を訊き、息の数を数えさせる。恐慌の声は、それだけで一段静まる。火消しの手順そのままである。エミールの応急は規格通りに正確で、一つも間違っていなかった。足りなかったのは、機体を持ち上げる腕だけなのだ。


 素手で持ち上げてはいけない。火消しの曳き出しは、まず支えからである。火場の脇に積まれた資材の板を二枚引きずってきて、十一番の肩の下へ噛ませる。古式の複座には、背嚢の脇に曳索が備わっている。使われなくなって久しい装備が、今日は仕事をするのだ。索を十一番の腰環に回し、転がりを殺す側を前席に預ける。


「前席、索を張って。機体が転がる向きを、先に殺します。起こすのは、それから」


「――張りました」


 十三番の肩を入れ、胴に圧を束ね、一寸ずつ起こす。浮いた隙間へ、もう一枚の板が滑り込んで支点になる。装甲を泣かせず、戻さず、保つ。彼女の操縦は、こういうときほど丁寧になる。保たれた隙間からエミールが騎手を引き出し、煙の外へ担いでいった。


 安堵の息をつく間もなく、査定路の方から鐘の音が渡ってくる。


 規定時間、超過。失格の鐘である。


       ◇


 手帳の余白より 夏初月七日


 行って、と言いました。言ってから、失うものの数を数えたのです。順番が逆だと、教官なら叱るでしょう。けれど不思議なくらい、悔いがありません。縄を跨ぐ瞬間、後席の圧は一拍も揺れませんでした。あの人は、わたくしの声より半拍先に、もう行く支度をしていたのです。鐘の音を聞きながら考えていたのは査定のことではなく、煙の中で人を運ぶあの手際は、いったい何度火の中に入れば身につくのだろう、ということでした。


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