13. 解体命令
破られた頁の謎を抱えたまま、契約整備の日々が数日続いた。
答えの出ないことを考えるときは、手を動かすに限る。十三番の関節はこのところ艶々と機嫌がよく、俺の頭の中とは対照的である。契約の整備日、彼女は母の手帳を作業台の隅に置くようになった。二冊の手帳が並ぶと、作業台が少しだけ、祭壇めいて見える。
十日の朝、白髭が命令書を持って来た。
沈痛、という顔の見本のような顔である。差し出された紙には監理卿の印璽があり、簡潔にこうある。封印機体一機、解体。担当、修繕科。発注の日付は、視察の三日後である。工廠でカルデンの名を見た監理卿が、何を思ってこの紙に印璽を落としたのか。考えると、肚の奥が重くなる。
命令書は科に回覧され、古株たちが順に黙り込む。壊す紙が来た日の職人の顔というのは、皆、通夜の顔である。
「……皮肉なもんだ」
白髭が、低く言う。
「直す科に、壊す紙が来る。断れん紙だ。だがな、【耳】よ。解体にも順序がある。検分と記録が先というのも、規程だ」
昼過ぎ、彼女が工廠へ駆け込んで来た。
学院の制服のまま、髪が少し乱れ、馬車も待たせず走って来たのだろう、息が上がっている。命令書を読む彼女の手が、白くなるほど紙を握った。読み終えても、顔を上げない。上げられなかったのだと思う。
「……父は、壊すのですね。母の機体を。母ごと」
声の最後が、割れた。
冬の湖の色から、堰を切ったように涙が落ちる。指名式で嘲笑に囲まれても一ミリも引かなかった背筋が、いま、命令書一枚の前で震えていた。人前で泣くまい泣くまいと生きてきた人の、泣き方である。俺は何もできず、ただ油布を差し出した。涙を拭く布としては、世界で一番粗い布である。彼女はそれを両手で受け取り、顔を押し当てて、しばらく声を殺していた。絹の手巾でないことが、この場ではたぶん、正しかったのだと思う。
周りの古株たちが、そっと目を逸らして持ち場へ散っていく。下町も宮廷も、職人は優しさの出し方が同じである。
解錠には、監理局の立会人が来た。
錠の番号と封蝋の紋を、命令書の写しと読み合わせてから、三つの錠が順に落とされ、最後に封蝋が割られる。開けるための手続きというより、十五年の眠りを起こすための儀式である。
十五年ぶりに扉が開き、外の空気が流れ込むと、白銀の鋼騎士の装甲に、みるみる露が結んだ。眠っていた鋼が、外気の温度に初めて触れて、泣いているように見える。埃と、古い油と、微かに甘い香の匂い。誰かがこの機体に、香を焚き込めて封じたのだ。葬いの香である。壊すつもりで封じた者の、仕事ではない。
俺は聴診棒を当て、脈を聴き、骨格を検めていった。
炉は健やか。導脈は澱んでいるが、通っている。骨格に歪みなし。胸郭の蝶番は固着しておらず、油を差せば生き返る。炉室の魔晶石は、驚くほど澄んだ色をしていた。誰かが、いい石を惜しみなく積んだ機体である。腱の類いは総取り替えだが、それは十七年目なら当たり前の話だ。検めるほどに、指の先から確信が積み上がっていく。開けて、負荷を掛けて、確かめた上で言う。言っていいのは、今だ。
「――直せます」
彼女が、濡れた目のまま俺を見た。
「直させてください。解体の前に検分と記録、それが規程です。検分の結果、修復が可能という記録を、俺は正式に書きます」
彼女の唇が動いて、声にならない何かを言いかけ、やめた。深追いはしない。いまは、機体の話をするときである。
白髭が腕を組み、天井を仰ぎ、それから吐き出すように言う。
「……ゆっくり検めろ、耳。うんとゆっくりだ」
規程が盾になり、温情が時を稼ぐ。あとは、その時のうちに、何を見つけるかである。検分の道具は、店から一式持ち込んだ。祖父の聴診棒も、だ。この機体の脈を最初に聴いた道具に、もう一度聴かせてやりたかったのである。
検分は、右脚からである。
十五年前に破断したという継手は、折れたそのままの姿で残っている。破断面に灯りを寄せて、角度を変えた瞬間――俺の手が、止まった。
なんだ、これは。
断面に、見えてはいけない縞が、見えている。
◇
手帳の余白より 夏中月十日
人前で泣いたのは、母の葬儀より後では初めてです。しかも工廠のまん中で、あの人の前で。恥ずかしさで消えたいのに、心のどこかが、見られた相手があの人で良かったと思ってしまいました。この感情に名前があることを、わたくしはたぶん、もう知っています。知っていて、まだ名を呼びません。呼んでしまえば、母の機体のことも、爺やのことも、全部がわたくしの我儘に見えてしまいそうだから。「直せます」の四文字を、今夜は枕元に置いて眠ります。




