10. 封印庫の白い機体
封印庫の噂は、古株たちの口から少しずつ拾い集めた。
十五年前から監理卿の封。中身を口にしないのが科の不文律。掃除の割り当てすら、あの廊下の突き当たりだけは免除される。詳しいことを知っているのは白髭の親方くらいだが、親方は「触るな」しか言わない。訊けば教えてくれそうな気配と、訊いたら最後という気配が、同じ廊下の空気に混ざっている。宮廷とは、そういう場所らしい。そして禁じられるほど、耳は扉の向こうの澄んだ眠り脈を拾ってしまうのだから、困ったものである。
契約初日の整備を終えた夕、彼女が言う。
「見て、いただきたいものがあります」
連れて行かれたのは、あの重い扉の前である。彼女は錠には触れず、扉の高い位置にある検分用の覗き窓を開ける。背伸びの要る高さを慣れた動きで覗き、それから黙って、俺に場所を譲った。
埃の膜の向こうに、白銀が見える。
複座の、三型基幹の機体である。細身の輪郭に薄青の差し色、面覗窓の縁には銀の縁取り。肩の装甲は流れるような曲面で鋳られ、継手の一つずつまで誂えの仕事だと、覗き窓越しにも分かった。十五年分の埃を被ってなお、闇の中でそこだけ淡く光を溜めているような立ち姿。特別誂えの鋼騎士。胸郭の縁には細い蔓草の飾り彫りまである。強度には一切寄与しない、ただ美しいためだけの仕事だ。これを組んだ職人の手と、これを誂えさせた人の顔を、俺は思わず想像する。
そして、耳を澄ますまでもない。澄んだ眠り脈が、扉越しに規則正しく刻まれている。
「石が――魔晶石が、入ったままです」
「ええ」
彼女は覗き窓の縁に手を置いたまま、静かに言った。
「抜かせなかったのだと、思います。……誰かが」
「この機体は」
「母のものです。〈ヴェスペリーネ〉。十五年前の観閲式で母が乗り、母と一緒に、ここへ封じられました」
彼女は懐から古い手帳を出し、一頁だけ開いて見せた。癖のある、伸びやかな字がある。『この子の機嫌は皆が訊く。脈を聴くのは爺やだけ』。……爺や。その言葉の先を、俺は訊かない。訊けば、彼女がまだ言えずにいる何かを、こじ開けてしまう気がしたのだ。
観閲式。十五年前。封印。
言葉にされない部分が、胸の中で埃のように舞う。彼女は俺の顔を見ずに、続けた。
「わたくし、母を覚えていないのです。四つでしたから。声も、匂いも、もう手帳の字の中にしかない。だから――」
彼女は一度、息を整える。
「秋の観閲式を、この機体で走ります。母の機体で、母の走った道を。……父は、禁じていますが」
禁じている。侯爵家の使者の銀貨と、練習走の門前の黒塗りの馬車が、頭の中で一本に繋がっていく。
「わたくしが複座に固執する理由も、後席の実務者を探した理由も、根はここにあります。あなたを謀ったようで、心苦しいのですが」
「謀られていません」
覗き窓の白銀から目を離さずに、俺は答える。
「三型の血筋で、石が入ったまま、十七年目の眠り脈がこれだけ澄んでいる。――扉越しに言えるのは、そこまでです。中身は、開けて負荷を掛けるまで分からない。それでも、開けて検めたい。検めて、手を入れたい。職人の欲です」
ただし、と俺は続けた。
「封を破ってはいけません。開けるなら正面から、開ける権利ごと取りに行く。それまで俺は、扉越しに脈を聴いています」
「……ええ。正面から、参ります」
正面から。言葉にすれば短い、その遠さを思う。監理卿の封を正面から開けさせる道筋など、いまの俺には見当もつかない。それでも、扉の前で嘘をつくよりはずっといい。
彼女がこちらを向く。冬の湖の色が、灯りの加減で少しだけ潤んで見える。
「あなたにだけ、話しました」
その一言の重さを、装甲の重さのように、確かに受け取る。錠と封蝋の前で、俺たちはしばらく、扉越しの眠り脈を二人で聴いていた。
翌日の科は、朝から掃除で騒がしい。白髭が怒鳴って回っている。
「視察が決まったぞ、夏中月の二日、監理卿サマの御成りだ! それまでに床の油を拭き上げろ!」
古株の一人が、俺にこっそり耳打ちする。
「監理卿サマはな、アイゼンガルテン侯爵。――お前さんの雇い主の、親父様よ」
◇
手帳の余白より 夏初月二十二日
話しました。十五年、家の中でさえ口にしなかったことを、油の匂いのする廊下で。あの人は謀られたと怒ってもよかったのに、返ってきた言葉は「検めたい。手を入れたい。職人の欲です」。お母様、わたくしはあの言葉に、どれほど救われたでしょう。同情でも、忠義でもなく、欲だと言ってくれた。あなたの手帳の頁を、また一つ思い出します。『いつかあの子が大きくなったら、この子に乗せてやりたい』。乗ります、お母様。ただ、まだ言えないことが一つだけ、残っています。




