第二章 助けての声 2
ガタンと大きな衝撃と共に籠の動きが止まったのは、私が囚われてから相当の時間が経ってからだった。
……いけませんね。うっかり寝てしまっていました。こんな状況でも仮眠が取れるんですから、私もなかなかに図太い神経をしているみたいね。
どうやら、私が捕まった籠はどこかの街の裏市場に下されたらしい。物騒な物音が聞こえてくる。長居するのは得策とはいえないだろう。
私は首元からかけている犬笛を急いで取り出した。
……これが奪われないで、本当によかった。
犬笛を唇へ当てると、自分の口元が乾燥しているのがわかった。上品な行動とはいえないけれど、私は一度だけ唇を舐めて潤いを与える。生死のかかったこの状況で、姫の品格なんて戯言を気にしている場合ではない。
思い切り息を吸い、そして。
フィィィィィ──!
人の耳には聞こえない音が、空気を切り裂いていく。
……お願い、どうか、聞こえていて!
祈るように持った犬笛を、もう一度吹き上げようと大きく息を吸った時だ。
「おい! お前何者だ!」訛った口調の荒々しい声が上がった。が、その刹那「うごぉ……!」と、男の声は呻き声に変わっていく。
どさりどさりと、何かが倒れるような音がしたと思ったら、辺りは一気に静かになった。
何があったのだろうか。
私の願う状況が巻き起こっているのであればいいけれど。
もしも、そうでないとしたら──?
ま、まだ死にたくない──! と、私の心臓が一際大きく波を打った。
その時、籠の中の暗闇に一筋の光線が描かれた。籠の扉が開けられたのだ。
「姫さん、迎えにきやしたぜ?」
安心させてくれる低い声。逆光でもわかる彼の逞しい体。ほっと胸を撫で下ろした瞬間に、いまさら私の手足がガタガタと震え出した。
図太い神経なんて──とんでもない。私は、これほどまでに恐怖していたのだと、ようやく心が追いついた。声を出そう口を開いたけれど、我慢ができなくなった涙の方が先に、私の頬をつたっていく。
泣くつもりなんてなかったのに。
開口一番よりも先に感情を詠ってしまった涙が恥ずかしくて、私は思わず可愛げのない言葉を吐き出した。
「お……遅いわよぉ……!」
「いやぁ、姫さんが『助けてぇ』って泣きついてくれるのを待ってたんけど。なかなか呼ばねぇから、もどかしかったぜ。さっさと俺を呼べばいいのに! そんなになるまで待ってるなんて、阿呆だなぁ」
そう言いながら籠の中に私に、呆れたような微笑みを向けるのは、六道銀之助。私に仕えるもう一人の用心棒でもあり、彼はかなり腕の立つ忍者である。とこやみの銀狼といえば、界隈では知らない者はいない──と、言っているのは銀之助だけなので、本当のところはどうなのか、私は知らないのだけれど。
銀之助は、私にとってお兄さんのような存在だ。何があっても絶対に私を守ってくれる──そう、信頼を寄せている従者の一人だ。
「銀之助ぇぇぇぇ!」
「はいはい。姫さん、怖かったな! 鈴華と花梨華も心配してんぜ? 早く、宿に帰りやしょう?」
「うん……でも……」
私は言い淀むように言葉をゴニョゴニョと丸めながら、「はい──」と両手を銀之助に向かって伸ばした。
「ん? なんですかい、それは?」
銀之助のことだ。私の置かれている立場も、今の私の状況も本当は気がついているはずなのに、あえて私に言わせるために間を取っている。
ニヤけ顔が隠せていないわよ、銀之助!
「んもう。ごめんなさい。抱っこしてください。銀之助の顔を見たら安心してしまって、腰が抜けちゃったの」
「っは! そりゃ〜いいや! 姫さんの情けねぇ顔を見るのは、俺の趣味みたいなもんですからね! ヒッヒ!」
銀之助は嬉しそうに膝を叩くと、私の脇に手を添えて、すんなりと私の体を持ち上げた。抱き上げられ、銀之助の腕の中に抱き包まれる。忍術着で体型は隠れてしまっているけれど、銀之助のバキバキに鍛えられた筋肉を感じると、私は少しだけ恥ずかしくなった。
「ははぁ〜ん? 姫さん、俺の屈強で色っぽい身体にすっかり当てられてますね? 頬が赤いですよ?」
「んもう! うるさいわね! 銀之助はお兄ちゃんみたいなものだもの! 銀之助の色気に私が惚けるわけがないでしょう!」
「そうですかねぇ? 俺のこの垂れ流しの色気に落ちねぇ女はいないですがね?」
「あら? それは間違っているわよ? 私、スーさん、カカさんは、銀之助には靡かないわ!」
すると、銀之助は意表をつかれたような顔をして、「はっはっは!」と笑い声を上げた。
「ちげぇねえ! 特に、鈴華と花梨華は二人の世界だ。俺の出る幕はねぇな!」
私たちの声を聞きつけたのだろうか。裏市場が騒がしくなってきた。
「さてと、姫さん。こんなところはさっさとおさらばしますぜ? こんな下賤な溜まり場は、姫さんには似合わねぇ」
そう言って、銀之助は私を抱き抱えたままで、民家の屋根へと飛び乗った。
月が登り始めた夜の始まり、とこやみの銀狼は溶けるように消えるのだった。




