第二章 助けての声 3
「姫様ぁぁぁ!」
宿屋に戻った瞬間に私を出迎えたのは、カカさんの豊満なカカさんだった。
むぎゅっと抱きしめられてしまった私の顔面には、はち切れんばかりにふっくらとしたカカさんの胸元が押し付けられている。
私は、カカさんの胸からプハッと息継ぎをしてから、
「ただいま、カカさん、スーさん。心配かけてごめんなさい」
と、声をかけた。
すると、カカさんは途端に膝を降り、スーさんと一緒になって私に頭を下げた。
「姫様、謝るのは、ぼくらの方です。ぼくと花梨華の力が至らないばっかりに──」
「えぇ。姫様、本当にもうわけございません。わたくしたちがもっとしっかりしていれば──」
二人は今にも切腹をしそうな勢いで、私に頭を下げている。
私は急いで、二人の前へと座り直し、そして二人の手を取った。
「いいえ、二人とも。もう謝らないで。それに私が悪いんだもの。綺麗な花があるからと、二人に言伝ずに離れてしまった、私の落ち度だわ。ごめんなさい。少しの間でも、きちんと二人に伝えてから花を愛でに行けばよかったのに……」
「えぇ、えぇ、そうですよ。姫さん。ありゃ〜、姫さんが悪いですぜ」
一体どこから話を聞いていたのか、宿の天井板をずらして、銀之助が口を挟む。
「あら、銀狼? そんなところにいらっしゃったのね?」
「銀狼、お前。見ているなら姫様をお守りしろ!」
と、カカさんとスーさんが同時に銀之助に声をかける。
「俺は、あくまでも忍者ですから。人目につくような任務は、二人の仕事でさぁ。それに、俺は姫さんが『助けてぇ〜』って笛を拭いてから、実務の仕事が始めるんで。それまでは、まぁ、時間外ってことで、気ままにさせてもらいまさぁ〜」
スーさんとカカさんにボヤされると悟ったのだろう。逃げ去る準備を始める銀之助は「んじゃ」と天井板を戻し始めている。
「待って、銀之助! 今日はありがとう。あとでちゃんとお礼をしたいから、明日、一緒に茶店にでも行きましょう?」
「奢りの飯は嫌いじゃないですよ!」
その言葉だけど残して、銀之助は音もなく消えていった。
「まったく、姫様は銀狼にもっとキツく言うべきです。あんな口ぶりを許してしまうなんて!」
スーさんは少しだけご立腹のようで、銀之助がいなくなると同時に嘆くように息を吐き捨てた。
「んもう。いいのよ、スーさん。だって、丁寧口調の銀之助って、なんだか、ちょっとおかしいもの。銀之助は、アレでいいのよ」
「姫様っては、本当に懐も深いですわね」
カカさんはうっとりと笑みを浮かべながら、私にお茶を淹れてくれた。
「今日は、みんな、疲れているし。ねぇ、姫様? 本日は、わたくし達も姫様と一緒の部屋で眠ってもいいかしら?」
「うん!」
それはきっと、カカさんの優しさ。だって、人攫いにあった後で、私は少しの時間も一人きりにはなりたくなかったから。
その日は、三人で川の字になって眠ることにした。
二人の息遣いすら聞こえる距離で、私は布団へと潜り込む。
姫として生きてきた私は、こんな風に誰かと一緒の部屋で寝ることなんて滅多に無いから。嬉しいような、くすぐったいような、恥ずかしいような気持ちのままで、布団の暖かさに包まれる。
ぽつりぽつりと、スーさんとカカさんが物語を語ってくれる。
まるで、本物のお父様とお母様のように。
二人の声が耳に心地よく。それが不安に掻き立てられていた胸の内に安らぎを連れ戻してくれたから、私は穏やかな気持ちで夢の世界へと旅立つことができた。
***
同日、ネオ大江戸城。
将軍、徳川瑳和希が影武者を呼んだのは、月が空高く昇ってからのことだった。
「お呼びでしょうか、瑳和希様」
「あぁ、仕事だ」
寝台に入っていた瑳和希は、おもむろに御簾を開ける。首を垂れたままの影武者は、自分よりは体格が貧相な気がしたが、それくらいであれば着物でどうにでもなるだろうと、瑳和希は判断した。
「しっかり務めよ」
「御意、我が君」
影武者は何人もいる。常に狙われる命だ。影武者は大いに越したことはない。
自分と見間違えられて殺されていく影武者を何人も見送っているうちに、瑳和希はその者に対してなんの感情も湧かなくなっていた。
そして、瑳和希は自らの衣を脱ぎ捨て影武者へと差し出した。隠れ用意させた平民の着物へ袖を通し、秘密裏に造らせた隠し扉を使って、瑳和希は夜の世界に姿を消した。彼の向かう先は、ただ一つ。
気になるものが、できた。
興味を引くものなんて、生まれて一度も現れたことがなかったのに。
だから、それを自分の眼で見たくなった。
「それだけだ……」
瑳和希は従者用の馬に跨ると、城を後にしたのだった。




