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第三章 危険な香り 7



 決戦の夜がやってきた。


 いつものように美しい花魁姿のカカさんと座敷の前でそれを見守るのは銀之助。

 昨夜のカカさんの客であった木戸きどは、今頃、隣の座敷で何しらぬ顔をして酒でも飲んでいることだろう。今まさに、木戸の策略によって毒殺されそうになっている、今宵のカカさんの客は、この地方一帯を仕切る大地主の的場まとばという男であった。


 どうやら、木戸は的場を亡き者にし、この花の町の権利ごと掠め取ろうとしているようだ。


 的場は、がっついた印象の木戸とは反対で落ち着いた様子の中年だった。


「まさか。この花街にこんなに美しい花魁さんが入ったなんてねぇ。知らなかったよ」


 少し掠れた声で的場はゆっくり膝を動かし、カカさんとの距離を詰めようとしている。前言撤回だ。落ち着いた様子の中年ではなく、ただの、しとやかな狸爺たぬきジジイだ。


 わざとらしく、「おっと失礼」と的場は声を出しながら、コツンと自分の膝をカカさんの膝へと擦り付けた。


 私とスーさんはカカさんの座敷の屋根裏で息を殺して、行く末を見守っている。

 ……はずなのだが。私はゆっくりとスーさんへと視線を盗ませた。スーさんの眉間は見たことがないほどに溝を深くしている。これが潜入任務でなかったら、的場は既に亡き者になっていることだろう。

 しかし、さすがカカさんだ。そんなこと『どうとでもない』と言った様子で、的場との会話を続けていた。


 カカさんは的場に気が付かれぬように、話を操作しているようだった。

 この遊郭『宴遊郭』では、花魁を使って殺人事件が行われている。

 それはつまり、そんな事件が起こったことは、今までに一回や二回のことではないということだ。しかし、それに絶ゆるほどの、絶対的な『確証』がまだ得られていないのだから。


 カカさんは何気ない会話から、的場に香油屋の話を振っていった。


「なんだい? 花魁の姉さんは、香油が好きかい?」


「香りだけを纏って眠るのが、好きでありんすゆえ」


 その言葉の意味を悟り、的場の頬が一気に赤くなる。爺の赤顔ほど、気持ち悪いものはない。それでも、カカさんが微笑を崩さない。


「そうかい、そうかい。それはさぞかし、綺麗な衣を纏っているんだろうねぇ」


 的場はカカさんの身体を舐めるように見回しながらそう応えた。


「だけど、あちき。ただの香油は、もう飽きなんした。もっと、刺激的な香りを纏って、眠りにつきたい。そう思う夜がありなんし」


「へっへっへ。そうだよねぇ。それなら、良い香油屋を教えてあげようか?」


「なんでありんしょう?」


「花京町で一番大きな香油屋は知ってるかい?」


「あそこでありんすか? あちきはもう、飽きんした……」


「いんや。わかってねぇなぁ。あそこには裏の顔があるんさ。香油屋の主人にこう言ってみな。『花の香りは蝶のむくろ』ってな」


 的場は、声を殺すようにそう言った。そしてすかさず、こう付け足した。


「だけど、俺から教えられたってのは、禁句だ。これさえ言えば、あの香油屋で手に入らないものはないぞ?」


 的場はジリジリとカカさんに詰め寄っていく。蜘蛛の足のように指先とヒョロヒョロと動かして、カカさんの着物の袖先を触り始める。


「なんでも手に入ると?」


「あぁ、なんでもだ。香油、媚薬、堕胎剤、それに毒までもな」


「毒……でありんすか?」


「あぁ。身体を絶頂に導く快感の薬もよし。気に入らねぇ花魁を消すもよし。なんでも、だ。ほら、俺もよぅ。今日、持ってるんだぜ? 姉さんを天国にまで昇り詰めさせられる、快楽に溺れるための薬だ……。なぁ、一緒に飲んでみるかい? 金を積もう、いくら欲しい? 人の一人や二人、簡単に消せるほどの金をあんたにくれてやろう。さぁ、だから、快楽に溺れようじゃないか」


 実地は取れた。これ以上の戯れは無意味だろう。

 それに、隣に歯軋りを鳴らしているスーさんが、これ以上耐えられそうにない。


 私は犬笛を鳴らし、銀之助への合図を送る。それは銀之助に木戸を取り押さえさせるための信号でもあり、そして、私たちの突入を意味する。


「いくよ! スーさん!」

「待ちくたびれましたよ、姫様!」


 スーさんは私をお姫様抱っこして、そして──、天井板を蹴破って座敷の中へと舞い降りた。



「お、お前ら何者だぁ!?」


 突然の侵入者の腰を抜かしたのだろう。的場は右手だけをガタガタと揺らして、こちらを指差した。


「話はしっかり聞かせてもらいましたよ!!」


 私の言葉を待っていたと言わんばかりに、座敷の扉がパンッと開けられる。そこにはさっさと銀之助に拘束された木戸の姿があった。



「木戸、お前ぇ──!!!!ワシを図りおったかぁ!!!」

 


 血相を変える的場のこの顔が、この男の本性なのだろう。


「この花の町に似合わない悪事と悪習!! これ以上野放しにするわけにはいきません!」


「何を小娘がぁぁぁぁ! おぉい! 護衛だ! 護衛をよこせぇ!!!」


 騒ぎを聞きつけた遊郭の男衆が集まってくる。


「仕方ありんせんね。スーさん、カカさん、銀之助、懲らしめちゃってください!!!」


「「「御意」」」



 私の掛け声と共に始める交戦の応酬。スーさんとカカさんの優艶な体術と、音速の如く繰り出される銀之助の忍術。次々と倒れていく男衆を包囲しながら、三人は木戸と的場を拘束した。

 が、その瞬間、木戸が私に向かって小さな小瓶を投げつけた。


「姫様──危ないッ!」


 それが毒入りの小瓶だといち早く勘付いたカカさんが、扇を私に投げ渡す。私はそれを宙で受け取り、くるりと舞うように広げて、顔を追った。

 毒入り小瓶は扇で打ち返され、そして木戸の額へと叩きつけられる。


「う! うわぁぁぁあ! やめろ! 死にたく──死にたくな──!」


 叫ばず口を閉ざしていれば、それが彼の口に入ることはなかっただろう。

 が、毒は彼の額と頬を伝い、木戸の口内に侵入。時を待つ間もなく木戸は苦しみながら泡を吐くと、白目を剥き踠きだす。


「残念ながら。あなた自身が、それを毒だと証明してしまいましたね」


 そして、座敷の中が静まり返る。木戸の死に顔を見て凍りついた的場が、静かにこちらを見つめた。その瞳は絶望色に、霞んでいる。


「一体、何者なんだ。あんたたちは……」


 カカさんとスーさんが私の左右に立ち直る。


「このお方は貴方のような無粋な者が言葉を交わすことすら許されない」と、カカさんが的場に冷徹な視線を送り、

「この紋章を見てもなお、頭を下げぬのか!」と、スーさんが七姫の首飾りをかざす。


「そ! その印は──!」


 息を飲んだ的場はすぐさま首を垂れた。


「的場よ! そして、この街を取り巻く者たちよ! その悪行、七姫であるこの皇凛がしかと見破った! この花の大地に似合わぬ悪き数々、許すまじ! その行いは、将軍の耳にまで入るだろう!」



 こうして、カカさんの花魁潜入事件は幕を下ろした。

 これにて、一件落着!!!

 悪代官は成敗されたわ!



 やっぱり、花の町は美しく麗しく、安全でないとね!!!

 


***



 同日、ネオ大江戸城にて。


 将軍、徳川瑳和希の元に一本の知らせが走る。それは花の都の悪行とそれを『誰かが』解決したという知らせだった。


「我が君、かの町の領主はいかがなさいましょう?」


 側近の問いに瑳和希は即決でこう答える。


「慧花の姫に、任せよう」


「しかし、恐れながら我が君。かの姫君は行方不明では……」


「問題ない」


「では、そのように」



 側近が部屋を後にしようとした時、珍しい音が漏れ出したのが耳に入った。


「ふ──! はっはははは!」


 いつもは感情のないあの将軍が笑っている。それも、嘲笑いのそれではない、心から楽しそうな声で。


「我が君……何かよろしいことが?」


 側近が問う。


「なぁに。良く鳴く面白い鳥を見つけてな」



 彼はそのまま夜風を通すために開けられた窓から、月夜を眺めた。弦を弾いたように艶かしく低く呟いた彼には、世にも珍しい優しい笑みが浮かんでいたという。








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