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第三章 危険な香り 5





 瑳希と歩き回っていた花園中で、素敵な茶店を見つけた。お昼時だったということもあって、私たちはそこで昼食を食べることにしたのだ。


「お花が食べられるなんて、素敵ね!」


 私の笑顔に、瑳希は「野菜と変わんねぇじゃねぇの?」とロマンスの欠片もない発言で返す。


「んもう! そんなこと言わないで! ほら、いただきましょ!」


 私が注文したのは、新鮮な山の幸の野菜盛り。花の蜜で作られた特製のソースと、花弁が散りばめられており、食べてしまうのが勿体無いほどに美しい。

 瑳希は、串焼きを頼んだようだ。


 途中、銀之助がやってきて「毒味します」と私と瑳希の食事を一口ずつ確認していった。それを、瑳希は不満がるわけでもなく受け入れいた。

 普通、平民であれば『毒味だ』といって、自分が口にする前に食事を他人に触られることは嫌がりそうなものだけれど。強引な瑳希には意外なほど、彼は銀之助の毒味仕事に懸念を示さなかった。


「ふふふ。瑳希ってなんだか、面白いわね」


「なんだよ、その含みのある言い方は!」


「だって! 強引なのか、従順なのか、よくわからないんだもの!」


 笑いながらそう言えば、瑳希は「ほう」と興味深そうに私を見つめ返した。


「な? なぁに? 私、何か変なこと言ったかしら?」


「いや。ただ、確かにオレは強引でもあるが、従順でもあるな……って思っただけ」


「あら? 素直に認めるなんて思わなかった!」


「あぁ!? お前がオレを揶揄おうとするなんて、一万年早いっつーの!」


 私は高らかに笑い声だけをあげて、彼に返事を返す。

 こんなふうに、用心棒なしで(銀之助はどこかに隠れてこのやりとりを聞いているんだろうけれど)おでかけをして、こんな風に誰かと他愛ない話をしながらとる食事なんて初めてだわ! なんて、楽しいのかしら!


 すると、串焼きをペロリと平らげた瑳希が私を指差した。


「しかし……。よく、野菜だけの飯で足りるよな……」


「あら? 花びらのソースがほんのりと甘くて、美味しいわよ? 食べてみる?」


 そう言ったのは、冗談のつもりだった。

 男女で食事を共有するなんて、はしたないこと……、私にできるはずがない。


 それなのに。



 瑳希がグッと身を乗り出した。



「じゃ、一口、貰う」


 

 一瞬で近づいた彼の顔に、心臓がキュッと震えるほどに縮こまる。いきなり至近距離で囁かれた彼の声色が、さっきまでより低くなって。甘いような色の声に、私の鼓膜がフルフルと揺れる。

 思わず、私の体は硬直してしまった。

 瞬間。


 彼の唇が、私の頬に触れた。

 這うように、彼の唇が私の唇の右端へと進む。ペロリ、と私の口角を優しく舐めるように、彼の舌先が私に触れた。


 一気に頭に熱が昇る。顔が燃えるほどに熱くなると、そんな私を面白がるように瑳希が微笑みを向けている。


「確かに。ソースは甘かった。ご馳走さん」


 悪びれる様子もないその態度に、グングンと私の羞恥が登り詰める。


「ちょ! ちょっと! な──ななななな、何するの!」


「何って? 唇にはしなかっただろ?」


「だ! だけど──!」


 私は店中なのと忘れて、ガタリと椅子から立ち上がる。

 恥ずかしさと、居た堪れなさと、初めての感触で頭がパニックになりそうで。

 このままここにいたら、完全に瑳希のペースに飲まれてしまうわ。


 これ以上ここにいたら、皇凛わたし七姫わたしではなくなってしまう。


 私は逃げるように、踵を返す。

 しかし、瑳希はそれを許さなかった。


「情報料だ。言ったろ? これは、デートだ。出かけて終わりなんて、ンなお子様みたいなこと、するわけねぇだろ」


 瑳希は満足そうにニンマリと笑う。そんな風に楽しそうに、嬉しそうに、少年みたいな顔をされては、私のこの怒りと動揺はどこにぶつければいいのよ。


「お前の怒った顔、オレ、結構好きかも」


 そんなこと言って、瑳希は捲し立てるように私を揶揄う。

 そんな彼に私は怒りたいのに。どうして、怒れないの。

 体が甘く痺れてしまって、いつもみたいに上手く頭が回らない。

 ドキドキと鳴り止まない心臓に急かされるように、私は今すぐ走って逃げたいくらいなのに。

 どうしても、彼の手を振り解けないでいる。


 瑳希に掴まれた手のひらが熱くて、だけど心地よくて、私が逃げ渋っていると、

「ま。オレだけ楽しんだら、公平じゃねぇな。ほら、お前の知りたい情報だ。持ってけよ!」

 そう言って、瑳希は私の手の中に一枚の紙を忍ばせた。


「これ……は?」


「とある店までの行き方が書いてある。ここは、花の町だ。つまり、裏の顔がある」


「それって、この花京町のなかに()()があるってこと? だけど、観光地であれば花街くらいはあるでしょう……?」


「香油は、そこで使われてる」


「もしかして、『愛の香油』のこと? だけど、花魁であれば媚薬なんかの香油は使うでしょ?」


「花魁たちが使ってるのは、媚薬でも堕胎剤でもない」


「どういうこと……?」


「この街、正確にいえばオレがお前に渡したその遊郭では、花魁たちに殺人を依頼する客がいる。彼女たちは、酒と一緒に毒を持っているって、もっぱらの噂だ」


「そ……それって!?」


「あぁ、お前がきな臭いって思ってる香油屋、きっとこの事件に一枚噛んでるぜ」


 瑳希は長い人差し指で、私の唇をふにっと押した。


「これ以上の情報は、お前の唇一回分じゃ、足りないかな?」


 瑳希がニヤッと笑ったのは、完全に私を揶揄っているからだ。

 瑳希が自分の唇を舐めるように、舌なずりをさせながら、私を見つめた。

 それだけで、先ほどのキスの感覚を思い出せば、私の頬はこれでもないほどに熱くなる。


 瑳希はスッと私の手を離してくれた。

 解放された手のひらと、渡された有力な情報。


 混乱は、私の中を嵐のようにかき乱す。


 私は「瑳希のバカ!」と言葉を吐いて、彼に背中を向けて走り出した。


()! また会おうな!」


 瑳希はずるい。こんな時に、はじめて私の名前を呼ぶなんて。だけど、私はもう振り返ることはできなくて、一目散に宿屋へと向かう。



 欲しかった情報。

 想像よりも恐ろしいことが起こっている事実。


 だけど、今は、そんなことは考えられなかった。


 頬に触れた彼の唇の感触と、

 口角を舐められた彼の舌先。


 彼と話した一つ一つの会話のすべてが、頭の中でぐるぐると駆け巡っている。



「瑳希のばか……。私、接吻キス…………初めてだったのに──!」



 花京町が夕焼けに照らされる。


 世界が橙色で本当に良かった。これなら、真っ赤になった私の頬にも理由がつけられるもの。





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