第三章 危険な香り 2
宿屋を探した私たちは、部屋の中でお茶を啜っていた。
窓を開けると、気持ちの良い風が入ってくる。私は、窓辺に頬杖をついて外を眺めていた。ぼけっと考えてしまうのは、先ほどの香油屋の一件だ。
大袈裟に騒ぎ立てることではないのかもしれないけれど……。
それでも、不安を煽られるのは、私の前世の記憶のせいかもしれない。前世の私は、一度、香油で命を落としかけたことがあった。
悪役令嬢であったのだから、仕方のないことかもしれないが、私の悪評を聞きつけた貴族の娘が、イタズラ混じりに私に香油を贈ったことがあったのだ。
当時、知識のなかった私は対して疑いもせず、その香油をマッサージオイルとして利用した。結果、焼けるように全身が熱くなり、爛れ、嘔吐は三日三晩続いた。
幸い、医師の適切な処置もあり、命には別状はなかった。
……あ、ちなみに。前世の私は悪役令嬢だったから、もちろん、その後、その貴族の娘には報復として、舞踏会で彼女の恥を晒し上げたわけだけれど。
そう。
香油とは、淑女の嗜みでありお洒落であり、
そして、使い方を間違えると、人をいたぶることのできる代物なのだ。
「どうして……それを知っているであろう花の街の香油屋で、あんなものが……」
思わず独り言が溢れ出る。
スーさんとカカさんがニホン茶と一緒に砂糖菓子を差し出した。
砂糖菓子の上には、小さな黄色の花びらがまるで咲いているように飾られている。
「凛様? 食べられるお花のお菓子ですって。ね? 華やかでしょう?」
「さ、これを食べて。それから、ぼくたちに教えてください。心の中にある憂いを」
どうやら、二人には隠し事は無理のようだ。
私は「ありがとう」と礼を言いながら、菓子を口元へと運ぶ。
ほろほろと口の中で溶けていく砂糖と、ほんのりと酸っぱい花びらが、心にへばりついた嫌な記憶を拭ってくれる。
「そうね。考えていても始まらないものね。あのね、先ほどの香油屋で、私、見つけてしまったの……」
そして、私は二人にすべてを話した。
私が見つけてしまった、あってはいけない香油のことを。
口にしてしまっては、死に至る。美しい毒の花。
その名も、夾竹桃。
その香油が売りに出されてしまっているということを。
***
「気になる憂いをそのままにしておくなんて、ぼくたちの姫様らしくないな」
そういうスーさんの勧めもあって、私たちは予定よりも長く花京町に留まることにした。スーさんとカカさんが連日、香油屋へ密偵に行ってくれている。
そんな、花京町での香油調査から二日目が経った。
私の不安は的中することなく、肩透かしを食らっているところだった。
香油屋の主人曰く、夾竹桃の香油は売り物ではないらしい。
『あくまでも、香油屋としての箔を保つために、猛毒の花すらも香油にできるという技術力を象徴するために、あえて、商品棚へ並べている』のだとか。
そう言われてしまえば、そうなのかもしれない。
それに、何百種類もの香油を取り揃えている店だ。あの店の中には、他にも毒にもなり得る香油は売られていた。しかし、毒として摂取するには特殊な調合で摂取する必要があるし、そんなこと一般人いは到底できることではない。
毒になる得る香油があるのも、何百もの香油の取り扱いがある店なら、致し方ない。……そういうこと、なのだろうか。
「さて、姫様? いかがなさいましょう? あの香油屋、今のところは怪しい動きはないようですが……」と、カカさんが私の隣で首を傾げる。
「だけど、姫様の勘は、妙に当たる時がある」と、スーさんはそう言いながら、私の顔を覗き込んだ。
「姫様? 姫様が納得するまで、ぼくも花梨華もお供しますよ? どうしますか?」
私は「ふう」と大きなため息をついて、二人に視線を投げた。
「もう少しだけ。もう少しだけこの街にいましょう? 無理に、粗を探すことはしたくないけれど。『なんともない』という安心感を感じたいの。このままだとなんだか、夢見が悪くて……。ごめんなさいね? 二人を振り回してしまって」
「「御意」」
前世の私が、香油で事件に巻き込まれたことがあるからだろうか、もしか下したら私は躍起になっているのかもしれない。
だけど、安全なのだとわかれば、不安は拭えるだろうから。
その真実を、自分の眼で確認したいだけなのだ。
***
同日、花京町近い山中にて。
「まったく……! よりにもよって、ネオ大江戸からこんなに遠い山奥に来るなんて──!」
青い髪を靡かせて、愚痴を吐きながら、男は馬を走らせた。
自前の馬は脚が長く、華麗に平野を疾走するのには向いている。
しかし険しい山越えは、その長い脚が不利になる。そこで男は早々に、自馬を通り過ぎの街の馬屋へ預け、山越え用に木曽馬を購入した。
馬屋の主人は、それはそれは大層驚いた顔をした。
馬を買うなど、容易くできることではない。それを、『山越えに適した馬はいるか? では、それを貰っていこう』と、芋を一つ買うほどの程度に買って行ったのだから。
男の新しい愛馬となった馬は、ずんぐりむっくりとしており、脚の短い馬だった。
「お前……本当に、馬かよ」と、眉を顰める男を他所に、その馬は颯爽と山を越えていく。ひと山超える頃には、男は「お前、やるな……!」と、その脚の短い馬に賛美をかけるほどであった。
木々の碧い香りに混じり、少しずつ蜜の香りが立ち込めてくる。山を越え、森を抜け、景色が開放的になった時、男の目の前には視界に余るほどの花畑が飛び込んできた。
「ようやくかよ……花京町。まったく、あいつ、まだこの街にいるんだろうな? オレがここまできてやったのに、『もう次の街に行ってしまいました』なんてことだったら、マジでイジメる!」
言葉の割に、男の顔には笑みが浮かんでいる。それを、男自身は知る由もない。
「影武者がオレの囮になれるのは、せいぜい三日ってとこか? その間、楽しませてもらうぜ? 慧花の姫さん」
そして、男は街へと入っていった。




