余の眼を見よ
星明かりのように、それは空気を裂いた。銀の閃光が、夜を貫いた。
ひとりの女が、優雅に俺と化け物たちとのあいだに割って入った。長い髪が風にはためき、たっぷりとした部屋着のドレスが脚のまわりで翻る。迫りくる攻撃をいなしたサーベルがきらめき、もう一方の手では、代々伝わる魔法の鎖が繋ぐ獲物に飢えていた。鎖は放たれ、震える悪鬼の胸を貫いて屈服させた。
俺の師匠。お嬢様。冒険者の頂点に立つ、七傑のひとり。
そもそも、どんな農奴でも剣術を学べるわけじゃない。長い出張から戻ってきたというのも、まさしく呪われたエメラルドの件を片づけるためだった。まったく、世界を股にかける美女だ。
「わたくしの後ろにいなさい」と彼女は命じた。流れるような斬撃で、襲いかかる群れを斬り伏せていく。優雅さと憤怒がこれほど見事に絡み合い、この血塗れの戦場でその太刀筋はあまりにも鮮やかで、まるで失われた仲間たちの最期の願いを叶える流れ星だった。その願いとは、血塗られた慈悲だ。
だが、勝利の味は長くは続かなかった。
お嬢様の絶大な力にも、限界はあった。宝石から渦巻く魔力は、手の届かない美しさを放っていた。悪鬼どもは適応し、大気中のマナを吸収して新たな生を授かり、筋肉を膨れ上がらせた。白目をむいた眼は変異し、二度と元には戻らない。その代わりとばかりに、一撃ごとに死の咆哮が轟いた。
変異した悪鬼どもがお嬢様を取り囲み、さらに多くが庭を回り込んで背後から挟み撃ちにした。乱戦のさなか、悪鬼どもはその手からエメラルドをもぎ取った。エメラルドは跳ねて、俺の指先からほんの数メートル先の泥の中にぴたりと落ちた。
悪鬼どもは獲物を取り戻そうと暴れ回った。あれを喰らえば、奴らはさらに進化する。俺たちを皆殺しにし、それから国じゅうの人間を皆殺しにするだろう。
自由に戦うあの素晴らしい女を守りたいという衝動に駆られ、ただの歯車として死ぬのはごめんだという拒絶を胸に、俺は器を求める宝石へと飛びついた。
それは、血の代償を求めていた。
「いけない――!」
それを拒もうと、俺は砕けた鎌のささくれ立った柄を振り上げ、吐き気を催すエメラルドを内包物の欠片になるまで叩き割った……つもりだった。
「――それを見ては!!」
『余の眼を見よ。余の眼を見よ。余の眼を見よ。余の眼で見よ。余の眼を見よ。』
深淵の渦に、俺は魅入られた。緑の光の輝きが、農奴のものではない言葉を俺の心に叫ばせた。『誰にも渡さない』
俺は宝石を握りしめ、呑み込んだ。「このきれいな石を食べたい」なんて、一度だって思ったことはない。それほどまでに呪いは陶酔を誘い、俺はこの母なる自然の尊い涙のしずくを誰にも渡すまいと、自分のはらわたの中に隠そうとしたのだ。
その場の誰もが、穢れたマナの凄まじい奔流を感じ取った。
「いけない! 吸血鬼王の呪いが、あなたの定命の器を引き裂いてしまうわ!」化け物どもの耳をつんざく咆哮に負けじと、お嬢様が叫んだ。手袋をはめた手のひらが俺の胸に当てられ、目もくらむような魔法の絆を、俺たちの魂のあいだに紡いでいく。
群れが俺たちを追い詰めてくる。
「我が血統に宿る権能の名は『手綱』」死にかけの兵士に、手短に告げる。「あらゆる生き物の力を引き出し、我が猟犬とするもの。ただし、わたくしがそれを猟犬として受け入れなければならない。それだけではないわ。呪いの効果は、吸血鬼王の亡骸を弄び、我が家にあのエメラルドを授けた魔女によって増幅されていた。だから、あの者たちはみな堕ちてしまったの。ただの歯車のままでは駄目、そうでしょう? わたくしの探索には、ずっと、ずっと猟犬が必要だった。我が猟犬になりなさい。もう二度と、あの魔女を取り逃がさないように!」
正気とは思えない要求だった。だが、計算は合っていた。お嬢様は鎖を鳴らしながら俺を石畳に押し倒し、親指を俺の口元に当てた。俺の中で焦りが蠢く。俺はすでに王をひとり呑み込んでいる。この矛盾のなかで、ひと口味わうくらい何だというのか。受け入れれば、自ら所有物となることで、俺は土地から逃れられる。
俺はその親指を、前歯でくわえた。
自由の口づけのなかで、俺は自らの鎖を選んだ。
緑の炎の舌が血管を駆け抜けた。骨が軋み、伸びていく。筋肉の上に筋肉が積み重なる。農家の小僧の形はばらばらにほどけ、代わりに立ち上がったのは、翠玉の炎を毛皮にまとった、そびえ立つ獣だった。右の前腕からは、金色を帯びた銀を凝縮した刃が噴き出す。それは鎌の記憶を、完璧な形にしたものだった。お嬢様がひらりと俺の背に飛び乗った。
「さあ」と彼女は命じた。「見せてごらんなさい、あなたのからくりを!」
俺たちは群れに襲いかかった。背中越しに伝わる彼女の意志の昂ぶりが、ちくちくと肌を刺す恐怖を包み込んでいく。俺は骨の鎧を削ぎ落とした。変異していく悪鬼どもを、奴らがただの塵になり果てるまで叩き潰した。
「慈悲を与えなさい!」
数分で、群れは消えゆく灰の丘と化した。荒れ狂う炎が鎮まっていき、俺は人間に戻った両手と膝を石畳について崩れ落ちた。息を切らし、黒ずんだバナナみたいにぼろぼろになって。
お嬢様が俺を見下ろしていた。頬の戦化粧のように、その表情は読み取れない。
緑の光が突然、腹の底から目のほうへと這い上がってきた。始めたことを終わらせようと、貪欲に。俺の名前が、俺から離れていく。「コリン」はもう過去のものだった。農奴だった頃の記憶が飛び去っていく。王冠を戴いた悪が、俺を奪おうとしていた。
遠くに生き残りの気配を感じた。俺は奴らの人間性に飢えていた。奴らの心から名前を引き剥がし、記憶を、愛を、恐怖を貪り喰らわなければならない。王が俺の魂に穿った空洞を埋めなければならない。俺は奴らを魂の抜けた抜け殻にしてやるつもりだった。そして、それを楽しむつもりだった。
「だめ。喰らうならわたくしを」お嬢様はその威厳ある身を俺の高さまで屈めた。ぼろぼろになった俺のシャツの襟を拳で掴み、ぐいと引き寄せる。「聞きなさい。シンクロー家は、狩りをした猟犬に褒美など与えない。名封じは、王から人を奪い返すためのもの。あなたの名前を、あるべき場所に戻さなければならないの」
彼女は俺に口づけ、魔力の通り道を無理やりこじ開けた。
俺の中の獣が、飢えにまかせて彼女の心に喰らいついた。お嬢様は、圧倒的な武器の力を振るうことを控え、代わりに、固く守ってきた秘密を俺に味わわせることを選んだ。
世界じゅうの男も女も虜にしてしまえるほどの、魔法にも等しい蠱惑的な空気が、俺を包み込んだ。
仕事仲間たちと過ごした穏やかな午後が見えた。テラスから鎌を振る俺をこっそりと見つめ、自らの秘密の稽古と重ね合わせていた彼女の、胸の温もりを感じた。
彼女はそうした想いを空洞へと注ぎ込み、あまりにも甘美な弱さを王の口に無理やり押し込んだ。悪はその甘さに屈した。
征服することも穢すこともできない献身が、王冠を戴く悪を圧倒した。
誰だって、語るべき素晴らしい物語をひとつも持たずに墓へ行くことはない。俺たちは今、互いの物語を分かち合っていた。
俺の名前が、「コリン、コリン、コリン」が、包み込まれ、あるべき場所に収まった。俺は彼女に仕え、心から尽くす身となった。そしてお嬢様は、忠実な臣下に褒美も与えずにおくほど無慈悲ではなかった。
お嬢様は身を引き、手袋で口元をぬぐった。
「欲張りな駄犬ね」心をさらけ出したのを隠すように、激しく罵る。獣と人を引き離すため、自ら進んで身を差し出したことなどなかったかのように。「王を呑んだと思ったら、今度は我が心まで盗もうというの」
落ち着き払ってハーネスを整える。大麦畑は消え失せていた。
「その振る舞いだけは、褒めてあげてもいいわ。あなたはわたくしと来るの。わたくしが猟犬と呼んだら、戦いなさい。エメラルドに呪いをかけた魔女を見つけ出すわよ。わたくしは我が宝を、あなたは自分の名前を手にするのだから」
俺の人生を書き換えた跡取り娘を、俺は見上げた。
凡庸を拒んだ俺は、王を呑み込んだ。そしてその王は、どうやら彼女に連れられて、傍らを散歩する気でいるらしい。
「今日は、知っている人が死にすぎたわ。我が家族の無事を確かめにいくわよ」




