第九話 黒衣
朝、まずは走った。
宿を出て、まだ人の少ない通りを流す。距離は知れている。息はすぐ上がるし、足はろくに動かない。それでも走る。ついでに街の道も覚えられる。一石二鳥というやつだ。すれ違う人と、挨拶も交わしておく。
体を作ると決めた。ならまず走る事からだ。心臓と肺が土台になる。剣も魔法も、その上に乗る。順番を間違えるな、と自分に言い聞かせておく。
半刻も経たずに、足が止まった。
……情けないが、これが今の持ち点だ。まずは認めるところから始める。
宿へ戻って、朝飯を食う。パンとスープと、少しの肉。昨日と同じ献立でも、屋根の下の飯はうまい。上品に食べるふりをしながら、腹の底へしっかり入れた。飯も体作りのうちだ。
強いて言うなら、動物性タンパク質をもう少し増やして欲しいところだがな。
さて。今日やる事は決めてある。
装備を整える。
昨日、まともに使えるのは短剣二本と、この心許ない体だけだと分かった。何とかしないと、次の喧嘩で殺されかねない。
◆
ミラに聞いた店へ向かった。
大通りから一本入った、間口の狭い武具屋。看板は煤けているが、中の品はしっかりしている。手入れが行き届いた店だ。目のある人間がやっている。
店主は、骨太のおっさんだった。背が高く、腕が太い。若い頃に自分でも振るっていた体つきだ。
「いらっしゃい。……ほう、珍しい客だ」
じろりと見られた。値踏みの目だ。だが、下卑た目じゃない。装備を見る時の目で、俺を見ている。
まず、剣の棚へ行った。
何本か手に取って、軽く振ってみる。
長剣。重い。持ち上がりはするが、二振りで腕が終わる。三振り目は、もう狙った所へ行かない。
幅の広い両手剣。持ち上げるだけで精一杯だ。振るなんて話にならない。今は、だが。
反りのある刀身は無かった。並んでいるのは西洋の剣ばかりだ。まあ、そうだろうな。
剣を棚に戻した。
中途半端な剣を今買っても、体が出来たら買い替える事になる。金の無駄だ。振れない剣に金を払うほど、馬鹿な話はない。
短剣は二本ある。当面はこれで足りる。要る物を、要る時に買えばいい。それまでは有り物で繋ぐ。金が無いなら無いなりに、使い所を間違えなければいい。
「剣は、いいのか」
店主が声をかけてきた。
「今はね。この腕じゃ、重い剣は飾りになるだけだもの」
自分の腕を軽く上げて見せる。細い。店主は、ふっと笑った。
「分かってるじゃねぇか。振れねぇ剣ほど、荷物になる物はねぇ。……で、何を探してる」
「防具。あと、籠手みたいなのがあれば」
◆
店主が、奥から一着の防具を持ってきた。
黒い。全身を覆う、薄手の物だ。ぴたりと体に張り付く作りで、膝下と、腕は七分ほどまでを覆う。表面が鈍く光っている。
「モンスター素材だ。見た目は地味だが、こいつは銘品でね」
店主が指で弾くと、ぼぐ、と鈍い音がした。
「弾力がとんでもねぇ。打撃も斬撃も、衝撃をごっそり殺す。服の下に着込んでりゃ、大抵の攻撃は痣で済む」
手に取ってみる。軽い。しなやかだ。だが握り込むと、確かに強い反発がある。
悪くない。いや、かなり良い。重い鎧は、この体じゃ着られない。動きが死ぬ。だがこれなら服の下に隠せるし、動きも殺さない。面で守れる。
「もらうわ。でも高いんじゃないの?」
「ああ、そいつは――」
俺はその場で、服に手をかけた。
「おっ、おいおいおいっ!」
店主が慌てて手を振った。太い体に似合わない狼狽ぶりだ。
「試着室! 奥だ! 陳列棚の前で脱ぐ奴があるか!」
……ああ、そうか。
この体は、そういう扱いをされる体だったな。忘れていた。
自分の物ですらない体だ。人前で脱ごうが何とも思わないが、周りはそうもいかないらしい。おっさんが女の裸に慌てる。当たり前の光景だが、慌てられる側になると妙な気分だ。
まあいい。奥へ引っ込んでやる。
「それとお嬢さん、そいつは素肌に直接着てくれ」
試着室へ向かう背中に、店主が声をかけてきた。
……素肌に?
一瞬、店主の正気と性癖を疑ったが、続きを聞いて考えを改めた。
「その素材はな、汗を外へ逃がすんだ。肌に張り付いてねぇと、その力が出ねぇ。下に服なんぞ挟んだら、服が湿気を吸っちまって、中が蒸れて台無しよ」
なるほど。理屈は通っている。
汗は外へ逃がすが、外の水は弾く。肌に密着してこそ働く。よく出来た素材だ。前世の登山具に、似た理屈の物があった。
素肌に着る事への抵抗は、まあ、無い。この体は、元々俺の物じゃない。
◆
試着室で着てみた。
前が大きく開く作りになっている。羽織って、前を合わせて留めるだけ。頭からかぶる型だったら、この非力な腕では一苦労だった。一人で着られる。合格だ。
着心地は悪くない。肌に吸い付くが、窮屈じゃない。動いても突っ張らないし、よく伸びる。
鏡を見た。
……ほう。
体の線が、そのまま出る。これはこれで目立つな。上から服を着れば隠れるとはいえ。
試着室を出ると、店主が感心したように唸った。
「……お嬢さん、それが着られるってのは、たいしたもんだ」
「そう?」
「この銘品はな、よほど体の出来た奴じゃねぇと様にならねぇんだ。着ても締まらねぇって突き返す客の多い事。あんたは……まあ、余計な事は言わねぇでおくがね。お陰で高性能なのに安くなっちまう」
そういうものか。
俺には、弾力と通気の性能が全てだ。誰が着ようが、汗を逃がす布は汗を逃がす。
だが、この体はそういう評価をされる出来らしい。
持ち主が聞いたら、喜んだかもな。愛でられる為に、あれこれ磨いていた娘だ。
もう、聞けないが。
9話・了
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