第七十四話 追撃
火矢の第二射が夜空へ上がった。
ヒュオオオオッ!
赤い軌跡が弧を描き、燃え盛る村へ降り注ぐ。
「盾を重ねろ!」
ヴァルグラムの命令に従い、王国兵たちが頭上へ盾を掲げた。
ガガガガッ!
火矢が盾へ突き刺さる。
《ピアッシング》の効果を持つ矢が鉄板を貫き、盾を支えていた兵の腕や肩へ食い込んだ。
悲鳴を上げた者が膝をつく。
空いた場所へ、後ろにいた兵が入った。
「倒れた者を運べ! 壁を崩すな!」
ヴァルグラムは村の状況を見回した。
家屋の半数が燃えている。
兵糧を積んだ荷馬車にも火が移り、消火に向かった兵は火矢に阻まれて近づけない。
馬は村中を走り回り、捕まえることも難しい。
残っている馬も、これ以上ここへ置けば炎に巻かれる。
東には大橋がある。
その向こうには倭国軍が待ち構えていた。
橋へ向かえば、細長く伸びた隊列へ矢を集中される。三万の兵がいても、橋の上では数の利を生かせない。
このまま村に留まれば、炎と矢で削られ続ける。
選べる道は一つしかなかった。
「全軍、西へ撤収する!」
ヴァルグラムの声に、副官が振り返った。
「撤収ですか!」
「この村は捨てる。動かせる荷馬車だけを出せ。火の回った荷と、車輪の壊れた物は置いていく」
「負傷者は」
「歩けぬ者を荷馬車へ乗せろ。乗せきれなければ、兵糧を捨てて場所を空ける」
「しかし、兵糧を失えば――」
「兵を置いていくよりましだ!」
「はっ!」
副官が伝令を走らせる。
王国兵たちが、燃える荷馬車から使える物資を降ろし始めた。
持ち出せる量ではない。
一人が背負えるだけの食料と水を持ち、残りは炎の中へ置いていく。
ヴァルグラムは部隊を三つに分けた。
負傷者と荷馬車を先に西へ出す。
その左右を歩兵で固め、最後尾には盾兵と弓兵を残した。
「第六、第八大隊は殿を務めろ。敵が橋を渡ったら、前へ出ずに矢を射かけろ」
「将軍は」
「俺も残る」
「なりません。将軍は先に――」
「この状況で、誰が最後尾を任せられる」
ヴァルグラムは黒い大剣を肩へ担いだ。
「三万を連れてきたのは俺だ。一人でも多く、王国へ連れ帰る」
副官は何も言い返せず、頭を下げた。
♢
「第二射、着弾!」
報告を受けた鷹継は、大橋の向こうに広がる炎を見つめていた。
夜空が赤く染まり、村から黒煙が立ち昇っている。
「王国軍に動きがあります。村の西側へ兵が集まっております」
庵が望遠鏡を覗きながら告げる。
「撤退するつもりですな」
「判断が早い」
鷹継は腕を上げた。
「第三射は中止せよ」
「よろしいのですか」
「逃げ道まで炎で塞げば、敵は死に物狂いでこちらへ向かってくる。村を焼き尽くすことが目的ではない」
命令が弓隊へ伝えられる。
構えられていた火矢が下ろされ、代わりに通常の矢が用意された。
村から、王国軍の先頭が出てくる。
盾を持つ兵が街道の両側を固め、その間を負傷者と荷馬車が進んでいた。
混乱していた兵たちも、既に部隊ごとにまとまり始めている。
「見事なものですな」
庵が望遠鏡を下ろした。
「あれだけの奇襲を受けながら、もう退却の隊列を作っております」
「黒の将軍だったか」
「はい。王国でも、騎士団長と並び称される将でございます」
「なるほど。ヴィヴィ殿が仕留めきれぬわけだ」
鷹継は橋へ目を向けた。
「弓隊を前へ。敵が村から出たら橋を渡るぞ」
「追撃なさるのですか」
「無論だ。このまま見送れば、少し離れた場所で陣を組み直す」
王国軍は兵糧と馬を失った。
しかし、残っている兵の数は倭国軍より多い。
休む時間を与えれば、再びこちらへ向かってくる可能性があった。
「追うぞ。ただし、敵の隊列へ食らいつく必要はない」
鷹継は集まった将兵へ命じた。
「弓の届く距離を保て。敵が足を止めたら射かけ、動き出したら追え」
「王国まで追い返すおつもりですか」
「ああ。休ませるな。陣を組ませるな。国境を越えるまで、後ろから尻を叩いてやれ」
「はっ!」
倭国軍の弓隊が森から姿を現した。
その先頭に立ち、鷹継も大橋へ向かう。
「殿も渡られるのですか!」
玄斎が慌てて追ってきた。
「兵の先頭に立つと言ったであろう」
「火矢を放つときは、森の中におられたではありませんか!」
「あれは弓隊の邪魔をしないためだ」
「では、これからも邪魔をせず、後方にいてください!」
「追撃の号令を出す者が後ろにいてどうする!」
「そのために我らがおります!」
言い争う二人の横を、弓兵たちが橋へ向かって走っていく。
庵が小さく息を吐いた。
「玄斎殿。今は諦めましょう。殿を止めるより、周囲を固めた方が早いかと」
「お前も説得に加われ!」
「既に十年以上失敗しておりますので」
鷹継は二人を置いて橋を渡り始めた。
♢
王国軍の最後尾が村を出た直後、倭国軍の矢が飛んできた。
「来るぞ! 盾を構えろ!」
ヴァルグラムの号令で、殿を務める兵たちが足を止める。
盾が並べられ、その後ろで弓兵が矢をつがえた。
ヒュンッ! ヒュヒュンッ!
倭国軍の矢が盾へ突き刺さる。
同時に、王国軍の弓兵も反撃した。
放たれた矢が街道へ降り注ぐ。
しかし、倭国軍はすぐに木々の陰へ下がった。
「追うな!」
前へ出ようとした王国兵を、ヴァルグラムが止める。
「敵の狙いは、こちらの隊列を切り離すことだ。射程から外れたら、我々も下がるぞ」
盾兵が後ろを向かないまま、少しずつ街道を下がる。
倭国軍は一定の距離を保ち、それ以上は近づいてこなかった。
王国軍が止まれば、木々の間から矢が飛んでくる。
動き出せば、矢は止まる。
立ち止まって休むことも、負傷者の手当てをすることも許さない追撃だった。
「厄介な追い方をする」
ヴァルグラムが呟いた。
こちらが崩れるのを待っている。
反撃しようと部隊を向ければ、敵は森へ下がる。
追わずに撤収を続ければ、再び後ろから矢を射かけてくる。
「将軍。このままでは、国境まで休めません」
副官の声にも疲労が滲んでいた。
「兵糧は、あと三日分ほどしか残っておりません」
「負傷者へ優先して配れ。動ける者は量を減らす」
「はっ」
ヴァルグラムは燃え続ける村を振り返った。
夜空を赤く染める炎は、既に遠くなっている。
あの村に、兵糧の多くと馬を残してきた。
倭国へ進むことは、もうできない。
今回の遠征は失敗だ。
それでも、残った兵を王国へ連れ帰らなければならない。
「ヴィオレッタ・ヴァレンシュタインか」
ヴァルグラムは、炎の中で見た少女を思い出した。
あの剣技。
軍を削り、馬を奪い、倭国軍の攻撃へ繋げた策。
王都で見た公爵令嬢とは、何もかもが違っていた。
「次に会うときは、こちらが勝つ」
ヴァルグラムは大剣を握り直し、追ってくる倭国軍へ向き直った。
♢
ヴィヴィたちが倭国軍の本陣へ戻った頃には、空が僅かに白み始めていた。
先に撤収した小隊も、既に集まっている。
負傷者はいたが、死者はいない。
包囲された者たちも、ヴィヴィがヴァルグラムを引き受けた隙に抜け出していた。
「ヴィヴィ!」
リリが仲間の妖精たちと合流し、互いの無事を確かめている。
モカの姿を見た倭国兵たちは、揃って道を空けた。
白い毛は返り血で赤く染まり、口元にも乾きかけた血が付いている。
そこへ、鎧姿の大男が歩いてきた。
後ろには玄斎と庵が続いている。
「サイゾウ!」
男が大声で呼ぶ。
「おう、鷹継。相変わらず声がでかいな」
「久しいな!」
鷹継はサイゾウの肩を強く叩いた。
バンッ!
「痛いわ! 加減せえ!」
「無事で何よりだ!」
「今ので負傷するとこやったわ!」
二人のやり取りを見ていたヴィヴィへ、庵が静かに頭を下げた。
「倭国国主、鷹継様でございます」
鷹継がヴィヴィへ向き直る。
「そなたが、ヴィオレッタ・ヴァレンシュタインか」
「今はヴィヴィと呼ばれているわ」
「そうか。では、ヴィヴィ殿と呼ばせてもらおう」
鷹継はヴィヴィの周囲を飛ぶ妖精たちを見た。
次に、その傍らへ座る血まみれのモカへ目を移す。
最後に、ヴィヴィ本人へ視線を戻した。
「サイゾウの書状で、そなたの策は聞いていた」
「期待外れだった?」
「まさか」
鷹継は声を上げて笑った。
「聞いていた以上だ。お陰で、王国軍を倭国の奥へ一歩も進ませずに済んだ」
「まだ終わったわけじゃないわ」
「ああ。ゆえに、弓隊を追わせておる。黒の将軍が足を止めるたび、矢を射かけるよう命じた」
「随分と慎重に追わせているのね」
「あの将軍は、わざと撤退の速度を落とし、こちらが追いつける距離を保っておる。欲を出して近づけば、伏兵を置いた場所へ誘い込み、反撃するつもりだろう」
ヴィヴィは僅かに笑った。
「そこまで見抜かれているなら、ヴァルグラムもやりにくいでしょうね」
「そなたも気づいておったか」
「ええ。あれだけ強い将軍が、ただ逃げているとは思えないもの。殿を務めながら、こちらの動きと距離を測っていたわ」
鷹継は再び笑った。
「そなたとは、話が合いそうだ」
「そらそうやろ。二人とも戦場に出たがる類いやからな」
サイゾウが横から口を挟む。
「聞こえておるぞ、サイゾウ」
「聞こえるように言うたんや」
鷹継が言い返そうとしたとき、一人の伝令が駆けてきた。
「申し上げます! 王国軍は街道を西へ撤退中! 最後尾の部隊が盾陣を組み、弓で応戦しております!」
「我が軍の損害は」
「軽傷者が十数名。死者はおりません!」
「敵の伏兵は確認できたか」
「街道脇の林に、王国兵が潜んでおります。追撃隊は距離を取り、接触を避けています」
鷹継が頷く。
「伏兵には手を出すな。街道へ出てきた者だけを射よ。敵が進めば追い、止まれば矢を放つ。それを国境まで続けさせろ」
「国境を越えた場合は」
「そこで追撃を止めよ。王国領へは一歩も入るな」
「はっ!」
伝令が馬を返し、西へ走っていく。
「王国まで攻め込まないのね」
ヴィヴィが尋ねた。
「今の倭国軍に、その余力はない。逃げる敵を追うことと、敵国へ攻め入ることは別だ」
「安心したわ。勝った勢いで、そのまま進むと言い出す人かと思っていた」
「わしを何だと思っておる?」
「戦場で嫁を探そうとしている国主」
鷹継の顔から笑みが消えた。
隣にいた庵が静かに視線を逸らす。
「サイゾウ。そなた、何を話した?」
「わしやない。あんさんの部下が普通に喋っとったで」
鷹継が玄斎と庵を見る。
「機密ではございませんので」
庵が答えた。
「わしにとっては機密だ!」
「城下の者まで存じております」
「では、誰に対する機密なのだ……」
「これから出会うかもしれない女性に対してでは?」
「もう手遅れではないか!」
鷹継の声が、夜明け前の本陣に響き渡った。
♢
空が明るくなるにつれ、焼けた村の被害が見え始めた。
家屋の多くは屋根を失い、黒い煙を上げている。
村の中には王国兵の遺体と、息絶えた馬が残されていた。
「火の残っている家屋を消せ」
鷹継が倭国兵たちへ命じる。
「遺体は王国兵も集めておけ。生きている者がいたら、敵味方に関係なく手当てをせよ」
「はっ!」
「村人を戻すのは、周辺の安全を確認してからだ。焼けた家屋と畑の被害も調べよ。国から再建のための人手と物資を出す」
命令を受けた兵たちが動き出す。
井戸から水が汲み上げられ、燻っている家屋へ運ばれていった。
フィナも負傷者を治療するため、村へ向かう。
ガイルたちは各小隊から被害の報告を集めていた。
「全員、戻った」
ガイルがヴィヴィへ告げる。
「重傷者は三人。ほかは軽傷だ。フィナの治療を受ければ問題ない」
「死者は?」
「いない」
「そう。よかったわ」
ヴィヴィは息を吐いた。
「それより、モカをどうにかした方がいいぞ」
ガイルが視線を向ける。
モカは少し離れた場所で、前脚についた血を舐めていた。
その頭にはリリが座り、四人の妖精たちが周囲を飛び回っている。
「モカ。舐めないの」
「うがっ」
「川で洗うわよ」
「うがぁ……」
モカが露骨に嫌そうな顔をした。
「血の臭いが落ちないでしょう」
「うがっ」
「駄目。洗うわ」
ヴィヴィが近づくと、モカは身体を起こした。
そのまま一歩ずつ後ろへ下がっていく。
「逃げても無駄よ」
「うがぁっ!」
モカが背を向けて走り出す。
「あっ、こら!」
リリを頭に乗せたまま、本陣の中を逃げ回る。
四人の妖精たちも笑いながら後を追った。
その様子を見ていた倭国兵たちは、昨夜の姿との違いに呆然としている。
「あれが、本当に昨夜の魔獣なのか?」
一人が呟いた。
「間違いない。馬房から血まみれで出てきた奴だ」
「隣にいた娘は?」
「元王国の公爵令嬢らしい。兵を指揮していたのも、黒の将軍と戦っていたのも、あの娘だ」
兵たちは、逃げるモカをヴィヴィが追いかける姿を見た。
昨夜、炎の中で見た光景が蘇る。
妖精を従えた黒衣の少女。
その傍らで、返り血に染まっていた白い魔獣。
「悪姫と……羅刹」
誰かが、そう口にした。
近くにいた兵が繰り返す。
「悪姫羅刹か」
その呼び名は、朝を迎えた倭国軍の中へ静かに広がり始めていた。
第七十四話・了
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