第七十話 助かる努力
倭国へ入った私たちは、そのまま王国との国境に近い村々へ向かった。
最初に訪れたのは、王国との国境から街道を三日ほど進んだ場所にある村だった。
周囲を低い山に囲まれ、村の近くを大きな川が流れている。川には荷車が二台並んで通れるほどの橋が架かり、その向こうには広い平地が続いていた。
「三万の軍が渡れる橋は、この辺じゃあれだけや」
馬車を降りたサイゾウが橋を指した。
「向こう岸には野営できる場所もある。わしが王国軍なら、この村を押さえるで」
「私でもそうするわね」
橋を渡り終えた軍が、そのまま休める。
村には畑もあり、家畜も育てている。王国軍にとって非常に都合がいい村と言えるだろう。
村へ入ると、農作業をしていた者たちが手を止めた。
異国の装備を身につけた私たちに加え、大型の魔獣であるモカまでいる。警戒されるのも無理はない。
サイゾウが村長を呼んでもらい、倭国から七都市同盟へ送られた協力要請書を見せた。村長は何度も書面と私たちを見比べたあと、村人を広場へ集めた。
「近いうちに、王国軍がこの村へ来る可能性があるわ」
集まった村人を前に、私は地図を広げた。
王国から続く街道と、その途中にある橋を示す。
「王国軍が橋を渡るなら、この村を無視するとは考えにくい。逃げるなら今のうちよ」
「逃げるって、どこへ行けってんだ」
一人の男が声を上げた。
「どこでも構わないわ。王国軍の進軍ルートから外れさえすればいいの。どこかそういった場所はない?」
「あるにはあるが、年寄りや子供を連れて入れる場所じゃねえ」
「王国軍が通り過ぎるまでよ。何月も暮らせとは言ってないわ。食料と水を持って、数週間隠れられればいい」
村人たちが騒ぎ始めた。
畑を捨てられない。家畜を連れて山には入れない。王国軍が本当に来るのか。倭国軍が守ってくれるはずだ。
口々に自分の事情を訴えているが、それを私に言われてもどうしようもない。
「国の兵は何をしてる!」
白髪の老人が杖を地面へ打ちつけた。
「わしらを守るのが兵の仕事だろう! 逃げろと言う前に、王国軍を追い返せ!」
「倭国軍は、王国軍の半数しかいない。それでも迎え撃つつもりよ」
騒いでいた村人たちの声が少しだけ小さくなった。
「戦いになれば、どちらが勝っても大勢死ぬ。だから私たちは敵を削り、倭国軍が勝てる状況を作ろうとしているの」
「そんなことは、わしらには関係ない!」
「関係あるわ」
私は老人を見た。
「あなたたちがここに残れば、王国軍に食料も家畜も奪われる。そのときになって守れと騒がれても、私たちは戻って来ない」
「見捨てるのか!」
「倭国軍は半数で迎え撃つつもりと言ったわよ。あんた達がここで喚いていると、勝機がどんどん逃げて行くの」
村人たちを見回した。
怒っている者、怯えている者、黙って家族の手を握る者。それぞれが違う顔をしている。
「はっきり言うわ。助かりたいなら、努力しなさい。それだけが、あなたを救う唯一の道よ」
広場が静かになった。
納得したわけではないだろう。
老人は不満そうに口を結び、私を睨んでいる。若い男たちも、まだ迷っているようだった。
それでも、子供を抱いた女性が村長へ近づいた。
「山へ入るなら、北の炭焼き小屋が使えます。近くに沢もあります」
それをきっかけに、何人かが話し始めた。
「食料を運ぶなら荷車は使えないぞ」
「背負える分だけにしよう」
「寝具は小屋に残っていたはずだ」
全員ではない。
話し合いに加わらず、その場を離れる者もいた。先ほどの老人も動こうとはしなかった。
私は止めなかった。
必要な情報は伝えた。逃げる者が動き始めたのなら、ここに留まる理由はない。
「もう一つだけ」
立ち去ろうとした村人たちが、こちらを見る。
「王国では、倭国で風土病が流行っているという噂が広まるはずよ。熱や吐き気が出て、酷くなると咳をする。咳にのって病原菌が人から人へ感染すると噂されるわ」
何人かの顔が強張った。
「本当に、そんな病が?」
「いいえ。私たちが流す噂よ」
村人たちが黙り込む。
「ここへ残るつもりなら覚えておいて。王国兵が来たとき、咳をしたり体調が悪いと訴えたりすれば、近づいてこない可能性があるわ。必ず通じるとは限らないけど、何も無いよりマシでしょう?」
使うかどうかは、本人たちが決めればいい。
村長が深く頭を下げようとしたので、私は手で止めた。
「お礼は要らないわ。逃げるなら、明るいうちに準備を始めなさい」
それだけ言って、私たちは村を出た。
振り返ると、荷物をまとめ始める者の姿が見える。その横では、畑仕事へ戻る者もいた。
「あんさんは、優しいのお。異国の知らん奴らにまで、声かけて」
隣を歩くサイゾウが言った。
「……次へ行くわよ」
「はいはい、仰せの通り」
♢
二つ目の村では、話は比較的早く進んだ。
以前、王国の兵に近隣の集落を荒らされた者がいたらしい。村長は私たちの説明を聞くと、すぐに若者を集め、老人と子供を山へ移す準備を始めた。
家畜は森の近くにある柵へ移し、畑の作物は収穫できるものだけを持っていく。
持ち出せない食料は一か所へ集め、少量だけ残すことになった。
「全部使えなくした方がいいんじゃないか?」
ガイルが尋ねた。
「何もなければ、周辺へ散って探し始めるわ。村人が隠れている場所を見つけられるかもしれない」
奪わせないことに執着して、本来の目的を果たせなければ意味が無い。
三つ目の村では、最初の村以上に話が進まなかった。
「王国が来るという証拠を見せろ」
「家を空けたら盗人に入られる」
「山に入っている間、畑は誰が見るんだ」
村長まで私たちを疑い、サイゾウが見せた書面を偽物だと言い出した。
月夜と睦月が何度説明しても、村人たちは聞こうとしない。
「もういいわ。行きましょう」
「ええんか?」
サイゾウが確認した。
「必要なことは伝えたわ。これ以上、時間を使う必要はない」
私たちが馬へ戻ろうとすると、若い夫婦が追いかけてきた。
「あの、俺たちは逃げます」
若い男は、後ろにいる妻と二人の子供を振り返った。
「東の山に、猟師が使う小屋があります。近くには沢もある。そこへ行こうと思います」
「そう。準備ができたら、すぐに出なさい。荷物を欲張らないこと。ほかにも逃げたい人がいるなら、声をかければいいわ」
「分かりました」
「それと、火を使うなら煙に気をつけて。山に隠れても、居場所を教えたら意味がないわ」
夫婦は頷き、村へ戻っていった。
私たちは、その二人が村へ戻るのを待たずに出発した。
♢
日が傾き始めた頃、モカの頭にいたリリが突然顔を上げた。
「ヴィヴィ、声が来たよ!」
声に緊張が混じっている。
「どの小隊?」
「王国側を見てる子。ちょっと待ってね」
リリが目を閉じ、声に耳を傾ける。
「王国の兵が動き始めたって。荷車とお馬さんがいっぱいで、東の街道へ向かってるって!」
ついに動いた。
分かっていたことなのに、胸の奥が僅かに重くなる。
今までは地図の上で考えていただけの軍勢が、実際に倭国へ向かって進み始めたのだ。
「数は分かる?」
『全部は見えないよ。ずっと後ろまで続いてる』
「先頭は今、どこにいるの?」
『大きな黒い岩がある丘の南。朝から見てたけど、まだ丘を抜けてないよ。荷車が何度も止まってるみたい』
「黒岩の丘やな」
サイゾウが馬から降り、地図を広げた。
「見つからないように、そのまま監視を続けて。数えられる範囲でいいから、騎兵と荷車の数を確認して」
『分かった!』
サイゾウは地図の上で黒岩の丘を見つけ、そこから国境まで指を滑らせた。さらに、私たちのいる村までの街道を辿る。
「今の進み方なら、ここまで五日ほどや」
「五日……」
思っていたより早い。
私はサイゾウの地図を覗き込んだ。
街道沿いだけではない。そこから枝分かれした道の先にも、いくつもの村がある。
すべてを回っていたら間に合わない。
だからといって、どこを後回しにするかを簡単には決められなかった。
知らせが届かなければ、逃げようと考えることすらできない。先ほどの夫婦も、私たちが来なければ村に残っていただろう。
「どうする?」
ガイルが尋ねた。
私は地図の上に並ぶ村を見つめた。
橋に近い村。街道に面した村。軍が野営できる平地を持つ村。王国軍が立ち寄る可能性の高い場所から優先するしかない。
回れない村も出る。
それを考えると、腹の奥にずっしりとした何かが重く感じた。
だが、迷っている間にも王国軍は進んでいる。
「ここから三手に分かれるわ」
私は地図の上に三本の経路を示した。
「それぞれに妖精を一人つける。王国軍の進路が変わったら、すぐ全員へ知らせて」
「別行動は危険じゃないか?」
「戦うために分かれるんじゃないわ。村へ情報を届けたら、指定した場所で合流する。敵を見つけても手を出さないで」
ガイルは少し考えたあと、頷いた。
部隊を分ければ、一組ごとの戦力は落ちる。
それでも、全員で一つの村を回っている余裕はなかった。
「サイゾウ、次の村まで一番早い道は?」
「この先の分かれ道を北や。森を抜ければ、日が落ちる前に着ける」
「分かったわ」
地図を畳む。
焦っても、時間は増えない。
それでも手綱を握る手には、自然と力が入った。
「急ぐわよ。残された時間は五日しかないわ」
私たちは三つに分かれ、それぞれの村へ馬を走らせた。
第七十話・了
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