第六十九話 悪逆非道の戦い方
倭国との国境まで、あと数日というところまで来ていた。
その日の野営地で夕食を終えた頃、一人の商人が私たちを訪ねてきた。
荷物を背負った、ごく普通の行商人に見える。だが、彼はサイゾウの前へ来ると、短い挨拶だけで折り畳んだ紙を渡した。
サイゾウは焚き火の明かりで紙を読み、いつもの軽い表情を消した。
「王国側の動きが見えたで」
私たちは火を囲んだまま、サイゾウの報告を聞く。
「まだ確定やないけど、敵はおよそ五万になりそうや」
「五万……」
ガイルが低く呟いた。
ミエリッキから撤退したばかりだというのに、それだけの兵を集める力が王国には残っている。
だが、その五万すべてが倭国へ向かうとは限らない。
「七人委員会に提示しておいた策が上手くいけば、四割は減るわ」
サイゾウが私を見た。
「三万まで減るっちゅうんか?」
「魔国、北方のドワーフ国、七都市同盟が王国との国境付近で兵を動かす。王国は無視できないわ。どこから攻め込まれるか分からない以上、守備兵を残す必要があるもの」
「実際に攻め込む気はないんやろ?」
「ええ。国境を越える必要はないわ。演習でも警戒でも、名目は何だっていい。王国側が備えなければならないと思えばいいだけよ」
実際のところ王国の立地は決してよくない。周囲を完全に囲まれた大国と言うのが実状だ。
例え相手が攻めて来る気が無くても、安易に信じて野放しには出来ないのだ。
「それでも三万や」
サイゾウは地図を広げた。
「正面からぶつかるには多過ぎる。ある程度、国の奥まで引き込んでから補給線を断つんが、一番堅実やろな」
「それが一番堅実だと私も思う。でも、その手を使うと、そこまでの村に大きな被害が出る可能性が高いわ」
「それは仕方ないことやで? 守るもんと捨てるもんを選ぶんは、上に立つもんの務めやからな」
「確かに村を救うのは無理ね。でも、人は救えるんじゃない?」
サイゾウが僅かに眉を寄せた。
「その人数を移動させてる余裕なんかあらへんやろ?」
「遠くへ移動させる必要はないわ。地元なんだから、隠れるくらいはできるんじゃない?」
森や山、猟師しか知らない道もあるだろう。
王国軍が通り過ぎるまで耐えられる場所を、村人自身が一番よく知っているはずだ。
「全員を助けるなんて夢物語を言ってるんじゃないの。助かりたいと考えて、助かる努力ができる者たちを生かしたいだけ」
逃げろと伝えても、村を離れたくない者はいる。
荷物を捨てられない者も、自分だけは大丈夫だと思う者もいるだろう。
そのすべてを説得して回る時間はない。
「せやけど、どの村に敵が来るかなんて、今の時点では分からへんで」
「三万の軍勢の進行速度と、選べる経路。その延長線上にある村や拠点を調べるのよ。三万の軍勢が、拠点もなく進める距離なんてそう長くないわ」
大軍は街道を外れて自由に動くには向いていない。
兵だけではなく、荷車や馬、食料も一緒に進む。三万人が渡れる橋、荷車が通れる道、夜を越せる場所は限られている。
地図の上では道が何本あっても、三万が使える道となれば候補は大きく減る。
「補給を断たれた軍は、必ず現地から回収しようとする。だから、利用されそうな村を先に絞るの」
食料を奪い、水を使い、建物を寝床にする。
それを防ぐには、敵の進路を早い段階で知る必要がある。
「妖精たちに、空から王国軍を見張って貰うわ」
モカの背中で話を聞いていたリリと四姉妹が、揃ってこちらを向いた。
「敵の進路、速度、分かれた部隊の人数を逐一報告してもらう。地形から立てた予測と、実際の情報を合わせれば、次に向かう場所をかなり正確に読めるはずよ」
「リリたち、ずっと見てればいいの?」
「交代でね。相手に気付かれない事が最重要よ」
「分かった!」
リリが元気よく答え、四姉妹も真似をした。
「六小隊には、王国側へ戻る伝令をすべて潰させる。補給部隊も同じよ」
王国軍からの伝令と補給は全て潰す。
「伝令、部隊の進行経路、補給の残量。それぞれが予測だけやなく、情報として高い精度を持つようになるわけか」
サイゾウが地図を見つめた。
「それで三万を相手に、どこまで削れると考えとる?」
「三万の軍が、いつまでも五体満足でいられると思う?」
長い行軍を続けるだけでも、兵は疲労する。
足を痛める者、転倒して怪我をする者、慣れない土地の水や食事で体調を崩す者も出る。
さらに、先の見えない進軍は不安を生む。
動けなくなった兵を運ぶには荷車が必要になり、世話をする兵も隊列から外れる。一人が脱落すれば、失われる戦力が一人で済むとは限らない。
「いい? 全滅は美学でしかない。実際には全体の三割も削られたら、敗北に等しいわ」
疲労、怪我、病気、不安。
軍隊は、ただ行軍しているだけでも少しずつ目減りする。
「少ない人数の私たちでも、そんな不確定要素を加速してやれば、大きな損害を与えられる。三万の軍勢を、三万として動けなくすればいいのよ」
「疑心暗鬼を味方とし、移動速度と疲労を基準に置いた後方撹乱とはな……」
サイゾウは感心したように息を吐いた。
「疑心暗鬼については、もう一つ策があるわ」
「まだあるんかい」
「王国内で商売をしている、あなたの部下を使いたいの」
サイゾウの顔から、また笑みが消えた。
「倭国で風土病が流行っているという噂を流して。最初は吐き気や嘔吐、微熱。酷くなってくると咳が始まる」
「それだけやったら、行軍中に体調を崩した奴にも出そうな症状やな」
「だからいいのよ。咳には悪いものが混ざっていて、空気を通してほかの人間にも感染するらしい、と付け加えて」
「らしい、なんやな?」
「そうである必要はないわ。かもしれないと疑えば、十分な揺さぶりになるもの」
行軍を続ければ、疲労で熱を出す者くらい現れる。
保存状態の悪い食料を口にすれば、吐く者も出るだろう。砂埃や焚き火の煙を吸えば、咳もする。
そのたびに兵たちは噂を思い出す。
病人ではないか。
自分にも感染したのではないか。
現地の水や食料は、本当に安全なのか。
一度疑い始めれば、病が実在するかどうかは関係ない。
「あんさんの発想が怖いわー」
サイゾウは引きつった笑みを浮かべた。
「実際には何も流行ってなくたって、そう言われたら不安でしょ?」
「場合によっては隔離、現地人との接触が危険と考えられるかもしれんな」
「敵が自分たちでそう判断するだけで、自ら戦力を削ってくれるわ」
「いや、冷静にその発想は怖いな。」
サイゾウはそう言いながら、すぐに使いの商人を呼び戻した。
王国内で活動している部下たちへ、噂の内容と流し始める時期を伝える。出所を一つにせず、それぞれの商圏で少しずつ広めるように指示を出していく。
「出兵前から徐々に広がるようにしとくわ。兵に品を卸しとる商人や、その家族の耳にも入るやろ」
「お願い」
サイゾウが使いを送り出すと、私は妖精たちへ顔を向けた。
「あなたたちには、夜も働いてもらうことになるわ」
「夜も見張るの?」
「見張るだけじゃないわ。《お馬さん、不眠症大作戦》よ」
「なにそれ、楽しそう!」
リリたちの目が輝いた。
数頭の馬へ《妖精の声》を集中させ、驚かせたり苛立たせたりする。一頭が暴れれば、周囲の馬も落ち着いて休めなくなる。
時には飼い葉へ火をつけ、馬を休ませず、食料も減らす。
「上等な装飾をした馬から狙って被害を広げるといいわね」
「なるほど、長い移動距離を更に長くするわけだな?」
ガイルが地図を見ながら呟いた。
「中頃まで進む頃には馬は疲弊し、乗っていた者も歩かなければならなくなるわ」
騎士が馬を降り、荷車が遅れ、隊列が伸びる。
馬屋を管理する者が怪我をすれば、その代わりも兵の中から出さなければならない。
それでも伝令は届かず、補給は来ない。
限界まで進んだ王国軍は、休める場所を求めて、こちらがあらかじめ選んだ村を拠点にしようとする。
そこで倭国軍本隊が夜襲を仕掛ける。
同時に火計を使えば、疲弊して機動力を失った騎士団は、三万いても物の数ではないだろう。
サイゾウはしばらく黙っていた。
地図の上で、国境から決戦地点までの道を指でなぞっている。
「……あんた、何かやらかして七都市同盟に居れなくなったら、倭国に来るとええで」
「やらかすのが、前提なのが腹立つわね」
「喜んで迎えたるわ。わしの立場が危うなる気もするけどな」
月夜と睦月が小さく笑った。
話はまとまった。
「ここからは時間との勝負になるわ。王国国境付近の村から、手分けして村人を逃がすわよ」
逃げたがらない老人などには、説得に時間を使わない。
残るというのなら、王国軍が現れたときに体調不良を訴えてくれればいい。どうせ老人なんだ、どこかしら体調が優れないのは当たり前だ。
演技がなくても、噂を知る兵は村へ入る前から疑っているだろう。そこへ老人が体調不良を訴えれば噂と結び付けるまでは直ぐだろう。
私は地図を畳み、立ち上がった。
「六小隊へ連絡。妖精たちは進行経路の確認。私たちは村を回るわ」
リリたちが一斉に飛び上がる。
サイゾウも立ち上がり、月夜と睦月へ指示を出した。
王国軍が動き出すまで、どれほど時間が残っているかは分からない。
それでも、出来ることは精一杯やっておこう。
第六十九話・了
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