第七話 登録
「おいおい、なんだこりゃあ」
声が、真後ろから来た。
振り返ると、大きな男が立っていた。汚い。酒臭い。昼間から出来上がっている。顔が赤く、目の焦点が微妙に合っていない。
「見ねぇ顔だなァ、嬢ちゃん。こんなナリで冒険者ぁ? 笑わせるぜ」
男が窓口に凭れかかった。距離が近い。酒の匂いが鼻を突く。
周りの冒険者は、誰も止めない。見て見ぬふり。関わりたくない、という空気だ。よくある光景なのだろう。
「あ、あの、レグさん。困ります、業務中ですので」
受付嬢が割って入った。声が震えている。
「ああ? 俺は親切に言ってやってんだよ。こんな棒っきれみてぇな女が、外でおっ死ぬ前になァ」
男が受付嬢の方へ向き直った。太い腕が、窓口を叩く。
「おいコラ、生意気な口利くじゃねえか。誰のおかげでこのギルドが」
受付嬢の目に、涙が盛り上がった。唇を噛んで、俯く。
……ふむ。
俺は状況を勘定した。
この男を放っておけば、登録は済む。関わる必要はない。だが――今日、俺はこのギルドの人間になる。舐められた新人として登録される。それが、この先ずっと付いて回る。
新しい部隊に入った時と同じだ。最初に舐められると、あとで三倍苦労する。恐怖は、初日に売っておくのが一番良い。
それに、この受付嬢に貸しを作れる。窓口の人間と縁を作っておいて、損はない。
全部、打算だ。善意じゃない。
俺は一歩、前へ出た。
酔っている。足元が覚束ない。素面なら勝てない相手だが、こいつは違う。酔って重心の狂った相手なら、力の要らない崩しが通る。技術は俺が覚えている。
「あら」
俺は男の足の内側に、自分の爪先を滑り込ませた。
軸足を、軽く払う。
それだけで十分だった。酔った巨体は、自分の重さで派手に傾き、背中から床に落ちた。
音が響いて、酒場が静かになる。
男が倒れきる前に、俺は腰の短剣を抜いていた。
◆
男の股の間へ、短剣を突き立てた。
切っ先が床板に食い込んで、柄が震える。
狙ったのは、地面だ。……今のところは。
(外さなくて良かった。震える手で狙って刺したなんて、口が裂けても言えんな)
表向きは涼しい顔で。内心は、冷や汗だ。体術1の手で狙った寸止めなど、本当は綱渡りに近い。
だが、男には分からない。
自分の股の数センチ脇に、短剣が突き立っている。それが見えている男にとって、真実は一つだ。
――あと数センチずれていたら。
酔いが、一瞬で醒めた顔をした。
「あらあら」
俺は首を傾げて、男を見下ろした。
「動かないでくださいまし。手元が覚束ないもので、次はどこへ刺さるか、わたくしにも分かりませんのよ?」
慇懃に、微笑んでみせる。口調は、どこまでも令嬢のまま。中身だけが、物騒だ。
「ひ……」
「まあ。殿方が、そんな情けない声を出すものではなくてよ」
短剣を、床から引き抜く。ゆっくりと。見せつけるように。
「わたくし、これでも往生際が悪いんですの。次に絡んでくるなら、その時は――片玉ずつ切り取って差し上げますわね」
男は尻で後ずさり、それから転がるように立ち上がって、逃げていった。扉が大きな音を立てて閉まる。
酒場は、大盛り上がりだった。口笛と絶賛が飛んでくる。どこの部隊でもならず者は一緒だという事だ。
◆
俺は短剣を鞘に戻して、受付へ向き直った。
何事も無かったように、財布から銀貨を一枚出す。
「失礼。登録料、こちらで」
「あ……は、はい……」
受付嬢が、呆然としたまま銀貨を受け取った。涙は、いつの間にか止まっている。驚きすぎて、泣くのを忘れたらしい。
まあ、これでいい。
窓口の人間に、恐怖と貸しを同時に売れた。舐められない立場も手に入れた。銀貨一枚と短剣一振りにしては、上出来の買い物だ。
「あ、あの……ありがとう、ございました。あの人、いつも……」
「気にしないで。わたくしが、勝手にやった事ですから」
実際、そのとおりだ。助けたんじゃない。舐められない為にやっただけだ。ついでに縁ができたのは、おまけに過ぎない。
だが受付嬢は、そうは受け取らなかったらしい。潤んだ目で、俺を見ている。
……ああ、面倒な懐かれ方をしたかもしれん。
まあ、悪い縁ではない。
「登録、続けてくださる?」
「は、はい! ただいま!」
受付嬢が、慌てて帳簿に向き直った。
◆
登録の説明を受けている間に、後ろから足音が近づいてきた。
振り返らなくても分かる。さっきのチャラ男だ。
「いやァ、驚いたね。助ける間も無かったよ」
男が窓口の横に凭れて、俺を覗き込んできた。近い。だが酒臭くはない。さっきの男とは格が違う。
「レグを一発で転がすとはね。見ない顔だけど、どこの出?」
「通りすがりですわ」
「冷たいねェ。俺はガイル。この街じゃ、そこそこ名の通った冒険者さ」
男――ガイルは、人懐こく笑った。軽い。だが目の奥は笑っていない。こちらの中身を測ろうとしている目だ。
見た目ほど馬鹿じゃないな、こいつ。
「あんたみたいな新人、放っておくと三日で死ぬか、三日で化けるかのどっちかだ。……どうやら、後の方らしいけどな」
「買い被りですわね」
「さあて、どうかな」
ガイルは肩を竦めた。
「困った事があったら、訪ねてきな。力になれる事もある――タダとは言わねぇがね」
そう言って、片手を上げて去っていった。
俺はその背中を見送りながら、勘定した。
情報源。人脈。この街の勝手を知る案内人。
当然だが、なびく気は無い。だが、使い道はいくらでもある。
向こうが俺を値踏みしたように、俺も向こうを値踏みした――それだけの話だ。
7話・了
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