第六十六話 《忍》
新設した六小隊を送り出した翌日、私はリリとモカを連れて街へ出た。
補給に必要な品を見て回っていると、通りの出店から男に声をかけられた。
「お嬢さん、ちょいと見ていかへんか。倭国から持ってきた品もあるで」
人懐っこい笑顔をした商人だった。店先には布や小物が並んでいる。
足を止めたのは、品物に興味を引かれたからではない。
モカが男を睨んでいた。
「クロロロロ……」
低い唸り声が響く。モカは身体を沈め、男の動きを見つめていた。
「ちょ、待ってーな。こんな大きな魔獣に睨まれたら、ちびってまうわ」
「マテよ、モカ」
私が言うと、モカは飛びかかる姿勢を解いた。だが、男から目は逸らさない。
リリはモカの頭の上に座り、面白そうに男を見ている。
「で? あなた何者?」
男は困ったように頭を掻いた。
「こりゃ参ったわ。試したんは悪かったで。そう怒らんで欲しいわ」
謝りながらも、まだ笑っている。
その間に、モカが一歩進んだ。ゆったりとした足取りで、男との距離を縮めていく。
「ちょ、ちょ、ちょ、近い近い」
男が後ずさる。モカはまた一歩進む。頭の上でリリが声を立てて笑った。
「分かった! 降参や! 詫びも入れるから、この子止めたって!」
「あら、モカ。その人と遊びたいの? 軽く遊んであげる?」
「降参言うてるやろがい!」
男が横へ跳んだ。
足の運びが、先ほどまでとまるで違う。荷車と隣の店との狭い隙間を抜け、モカの前から一瞬で身体を外した。
「あら、ようやっと本性が出たわね?」
男は着地した場所で頭を掻く。
「やれやれ、なんちゅうやつらや……」
モカは唸るのをやめ、大きな欠伸を一つした。
最初から飛びかかる気があったのかどうか。
「ここじゃ目立ち過ぎるで。場所を変えるで?」
男は店先の商品を片づけ始めた。
私たちは彼について通りを歩き、近くにある彼の店へ向かった。外観はごく普通の商店だ。看板も、窓から見える商品も、街でよく見かけるものばかりだった。
それなのに、入口の前でモカがまた足を止めた。
私も店を見直す。
中に人の気配がある。それ自体は商店なら当然だ。ただ、扉へ近づいたときから、こちらを意識している気配が消えない。
「まだやる気? 次は止めないわよ?」
「さっきも止めとらんかったやろがい!」
男は私たちと店を見比べ、奥へ向かって声を上げた。
「お客様や。警戒解け。噛まれるで?」
扉を開けると、数人の女性店員が迎えてくれた。
誰も武器を見せていない。立ち姿も接客のそれだ。
だが、全員が手練れだった。互いの位置を塞がず、店内のどこへでも動けるように立っている。
モカが店員の一人へ向かって歩き出す。
まだ若い女性だ。彼女はモカが近づくにつれ、笑顔を強張らせた。
「あ、あの?」
「クロロロ……」
モカは急がない。ゆったり歩きながら、彼女を棚の前まで追い詰めた。
男がため息をつく。
「だから、噛まれる言うたやろが。武装解除せえ」
「こっわ。街中にこんなでっかい魔獣とか、こっわ」
女性は軽口を叩きながら、袖に隠していたナイフを床へ落とした。
モカはそれを見届けても、まだ彼女の前から動かなかった。
「モカ」
私が呼ぶと、ようやくこちらを振り向く。
そのとき、別の店員が私に近づいてきた。
「ご案内いたします」
丁寧な声だった。
だが、私の脇を通って先に立つには、近づき方が深すぎる。
差し出された手を取り、身体を入れ替える。次の瞬間には、彼女の腕を背中へ回し、床へ押さえつけていた。
「やから、噛まれる言うてんのに」
男が呆れた声を出す。
「噛まれるって言われたら、普通そっちの魔獣警戒するに決まってるでしょ!」
制圧された店員が言い返した。
「あなた達、なんなの?」
私は腕を押さえたまま男を見た。
男は両手を上げる。
「まずは謝罪やな。色々、ホントすまんかった」
ほかの店員たちも頭を下げた。私が腕を放すと、床にいた女性は起き上がり、改めて謝る。
「噂のヴィヴィはんが、噂通りなのか試させてもらいましてん」
「それで、店員まで巻き込んだの?」
「そこは、ほんまに悪かった」
男はもう一度頭を下げた。
「わしら、倭国所属の《忍》言う組織の人間です」
忍。
偽物臭い関西弁で話す男が、そう名乗った。
倭国は、日本と何か繋がりがあるのかしら。
一瞬そんな考えが頭をよぎる。だが、今聞くべきことは別にある。
「私を試した理由は?」
「王国がうちらの国に戦争しかけるって言うんで、七都市同盟はん達はどう動くんかなって見張ってましてん」
「あら? 私達も倭国は助けて欲しいのか気になってたところなのよ」と言って、ニッコリと笑ってみせた。
男は私を見て、それから店員たちへ振り向いた。
「なあ、これ会話で腹の探り合いしても勝てんのと違う? もう素直に言ってもうても良くない?」
女性たちが揃ってため息をついた。
「隊長は、駆け引きが下手過ぎるんですよ」
「ほら、わしって素直でいい子やんか?」
男は胸を張る。
だが、私は警戒を解かなかった。
前世にも、この手の男はいた。
一見すると親しみやすく、話しやすい。気づけば余計なことまで喋っている。そういう人間が本気になったときほど、厄介な相手はいない。
「ありゃりゃ、返って警戒されてもーたわ」
男が苦笑する。
僅かに空気が変わった。
私はバスタードソードの柄へ手を伸ばした。
「まっ! 待った待った! 本気で争う気は無い!」
今度は男の顔から笑みが消えた。
私も、柄に触れる寸前で手を止める。
「ホンマ怖い人やわ。躊躇なさ過ぎるやろ」
「先に試したのはあなたでしょう?」
「それは、そうやな」
男は首の後ろを掻いた。
「わしは倭国の忍が一人、サイゾウ。後ろの二人は部下の月夜と睦月や。まあ、本名ちゃうけどな」
先ほどモカに追い詰められた若い店員と、私に取り押さえられた店員が、それぞれ軽く頭を下げた。
「ヴィヴィよ。この子はモカ。そして頭の上でウトウトしてるのがリリよ」
リリはモカの頭に伏せたまま、片手だけを上げた。
「奥で茶くらい出すで?」
「あなた達の出すお茶は、毒が入ってそうね」
「いや、たまにはやる手やけど、今はせんて」
たまにはやるのね。
私は返事をせず、彼らに案内されて奥の部屋へ入った。
◆
「粗茶ですが、どうぞ」
睦月が茶を運んできた。私は礼を言って受け取り、一口飲む。
「なんや。警戒して飲まんかと思うたのに。せやったら高い茶出したら良かったわ」
「私の暗殺が目的なら、もっと早く仕掛けてるでしょ」
街でも、この店に入ってからでも、機会はあった。
それに今の時世で王国じゃない限りは私を狙う意味が無い。そして王国にこんなやつは居ない。
「で? 話は何なのかしら?」
サイゾウが、月夜と睦月をちらりと見た。
「それなんやけどな。うちら三人も、あんたの部隊に入れて貰えんやろか?」
「倭国の忍が?」
「わしらは倭国からの指示で、七都市同盟の動きを探るのが仕事やってんけどな。今、めっちゃきな臭いやろ?」
サイゾウは茶には手をつけず、続けた。
「ぶっちゃけ、悠長に情報収集してる暇無いねん」
彼は、出発した六小隊のことも知っていた。
「あんたの送り出した小隊、あれはどう見ても後方撹乱を目的としての部隊やろ? うちの国、助けてくれようとしてるやんか」
私はサイゾウの顔を見た。
六小隊は目立たせずに送り出した。それでも、この男は人数だけでなく、何のための編成かまで読んでいる。
「あなた、馬鹿そうで、やっぱり馬鹿ね」
後ろに立つ睦月が、お盆を持ったままうんうんと頷いた。
「ただ、嫌いじゃない馬鹿だわ」
私は茶をもう一口飲む。
「なんやねん。わし、そんな馬鹿やないで?」
サイゾウが腕を組んで、むうっと口を尖らせた。
見抜いたことを黙っていれば、こちらは気づかず有利にできただろうに。それを明かしてまで部隊へ入りたいと言う。
気を抜くとつい余計な事を話したくなる、危険な男だ。だからこそ、その言葉をどこまで信じるかは慎重に決める必要がある。
「腕はいいみたいだから、雇ってあげてもいいわ。配下は何人いるの?」
「三人言うたのに、やれやれやわ。総勢で十二人や」
サイゾウは観念したように答えた。
「いいわ。私の部隊であなた達を使ってあげる。報酬は、倭国の勝利でどう?」
サイゾウの表情が変わった。
「なんや、えらい破格な報酬やないけ。その条件なら言う事ないで?」
月夜と睦月も、今度はため息をつかなかった。
「わしら三人は、あんたと一緒に動かせて貰う。行商人を装って、あんたらが護衛って感じやな」
「残りの九人は?」
「王国内で商いを行ってる。わしも王国の結構なお偉いさんとも取引しとるんやで? 例えば《聖女様》とかな?」
そこで《聖女様》の名が出てくるとは思わなかった。
王国の中に既に根をはっている。それだけでも価値が十分にある。サイゾウ自身が聖女と何を取引しているのかも、いずれ聞いておきたい。
「ふうん。そこまで知ってるなら、お互いメリットがありそうね」
サイゾウはにやりと笑った。
「いいわ。上には私から話を通しておく。ただし、裏切ったら噛むわよ」
「キンタマ縮こまるわ。おお怖」
スコーン!っと乾いた音がした。
睦月が持っていたお盆で、サイゾウの頭をひっぱたいたのだ。
「下品ですよ、隊長」
「痛っ! もうちょい手加減してくれへん?」
月夜は慣れた様子で、二人を見ていた。
モカは床に伏せ、リリを頭に乗せたまま目を閉じている。
さっきまで互いに剣とナイフを意識していた部屋が、今はずいぶん賑やかになった。
面白い仲間が出来たと素直に喜べないが、頼りにはなりそうだ。
第六十六話・了
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