第六十一話 二人の来訪者
トラペジアの門をくぐる頃には、雪がまた降り始めていた。
モカが仕留めた大猪の肉は、野営地でオルドが処理し、持ち帰れる分だけ皆で分けている。残りは帰路で立ち寄った村へ寄付してきた。狩りに出たのは私だったはずなのに、結局、モカばかり褒められていた気がする。
当のモカは満足そうに私の横を歩いている。その頭には、いつものようにリリが乗っていた。
「帰ったらブラシ、もう一回するー」
リリが白い冬毛を撫でると、モカが喉を鳴らした。
「その前に、お風呂でしょう。あなた、まだ毛づくろいの跡が残っているわよ」
「モカがまた舐めるから、やだー!」
リリが私の肩へ飛んでくる。モカは見上げるだけで追いかけなかったが、舌を一度動かしたので、リリは私の髪の陰へ隠れた。
そんなやり取りをしながらギルドへ向かうと、入口で待っていた使いの者が私の名を呼んだ。
「ヴィヴィ様。グランティア議長がお呼びです」
「私を?」
「お客様をお待たせしているそうで、戻られ次第、議長のもとへお連れするようにと」
使いはそこで言葉を切った。誰が来たのか、伝えるべきか迷っている顔だった。
「どなたがいらしたの?」
「……お二人いらっしゃいます。魔国軍の方と、王国の方が」
私はリリと顔を見合わせた。
魔国と王国。互いに敵対する二つの国の人間が、同じ日に私を訪ねてきたらしい。
「一緒に来たの?」
「いいえ。ほとんど同時に、別々にお見えになりました」
それなら偶然だろう。偶然にしては、あまりありがたくない巡り合わせだけれど。
ガイルへ先に行くと伝え、私は使いのあとについて議長の館へ向かった。モカは私の横を離れず、リリも肩に座ったまま、珍しく静かにしている。
応接室の扉の前まで来ると、中から男たちの声が聞こえた。
「先にお話しするのはこちらです」
「順序を決めるのはあなたではない」
「おや。ならばあなたが決めるのですか?」
扉の向こうで何が起きているか、だいたい分かった。
使いが困った顔で私を見る。私は頷き、扉を開けてもらった。
部屋へ入ると、二人の男が離れた席に座っていた。片方は穏やかな顔で副官と話し、もう片方は腕を組んだまま窓の外を見ている。
一人目の男には覚えがあった。
魔国軍第3大隊副長のダーツだ。ミエリッキから子供たちを連れて撤収していたとき、街道で会った。今もあのときと同じ女性の副官を連れている。
もう一人も、顔を見たことがある。
聖女がこの街へ来たとき、彼女に付き従っていた護衛だ。聖女と私がギルドで揉めたところへ割って入り、彼女を促して立ち去った男。
「ヴィヴィ。こっちが魔国軍のダーツ。そっちは王国の騎士団長だよ」
「……騎士団長?」
思わず男を見た。
前に会ったときは、名乗らなかった。護衛たちの剣からは紋章まで消されていた。身分を隠して中立都市へ来た一行が、あそこで名乗れなかったのも当然だ。
男は窓から視線を戻し、私に頷いた。
「あのときは世話になった」
「お久しぶりね。あれから聖女の腹筋は締まったかしら?」
「うむ、彼女なりに努力はされていた」
それ以上、騎士団長は言わなかった。
「お久しぶりです、ヴィヴィさん」
「久しぶりね。今度は覗き見じゃないの?」
「正式にお訪ねしましたとも」
ダーツは笑ったが、副官は「副長、今は余計なことを言わないでください」と小声で注意していた。
騎士団長は私を見つめたまま、しばらく口を開かなかった。その視線は、私が背負う剣や肩のリリではなく、私の顔に向けられている。
「ヴィオレッタ・ヴァレンシュタイン嬢」
静かな呼びかけに、部屋の空気が変わった。
ダーツの笑みも、ほんの少し薄くなる。
グランティアが私へ歩み寄った。
「ごめんよ、ヴィヴィ。二人ともあんたに会うと言って譲らなくてね。別々に来た客なのに、お互いを見た途端、先に話すのは自分だと言い出したんだ」
「議長を困らせてしまいましたね」
ダーツが悪びれずに言う。騎士団長は何も言わなかった。
「それなら、私が話を聞けば済むわ。お二人とも、座ってください」
私も席についた。モカは椅子の脇に身体を伏せ、リリはその頭へ移る。副官が白い巨体に目を丸くしたが、ダーツはモカへは近づかず、距離を保っていた。以前、モカに二度も威嚇されたことを覚えているらしい。
テーブルには茶器が用意されていた。
「約束のお茶をいただけますかな?」
ダーツが私へ微笑みかける。
「用意したのはグランティアよ。美味しいと思うけれどね」
「だったら飲んでから話しな。冷めちまう」
グランティアが茶を注ぎ、私たちの前へ置いた。ダーツは礼を言って口をつける。騎士団長は椀を手に取ったものの、飲まずに戻した。
魔国と王国の軍人が一つの卓を囲んでいる。どちらも相手の前で、自国の思惑をあからさまに語るわけにはいかない。
案の定、二人の話は遠回しだった。
ダーツは魔国でなら私に「ふさわしい待遇」を用意できると言った。以前話したときには知り得なかった、私の過去も承知した上での申し出だという。
騎士団長は、王国には私の帰るべき場所があると語った。そして、私の追放は不当だったと、はっきり口にした。
ダーツが騎士団長へ目を向ける。
「それは、王国のお考えですか?」
「私の考えだ」
騎士団長は答えた。
「今の王国の有り様には、大きな疑問を抱いている。あの追放も、正しい決定だったとは思えない」
王国そのものが間違いを認めたわけではない。その違いを曖昧にせず話したことは、少なくとも信用できた。
「王国は、私が戻ることを良しとはしないでしょう?」
「今のままでは、そうだろう」
騎士団長は苦い顔をした。
「だが、このままでは王国は混沌の渦へ沈んでしまう。変わらねばならない」
「変わるために、私が必要なの?」
騎士団長は答えを探すように、私から視線を外した。
その沈黙へ、ダーツが言葉を差し込む。
「帰る場所をお探しなら、別の選択もあります。あなたを正当に迎えられる場所です」
元王国の公爵家令嬢が、敵対する魔国に迎えられる。
それは魔国にとって、単に一人の腕の立つ人間を得る以上の意味があるだろう。王国に反旗を翻す旗印にできる。だからこそダーツは、前線で私の人柄を確かめたかったのだ。
半年前、私がただのヴィヴィと名乗ったときの彼の言葉を思い出す。あのときから、この話を考えていたのだろう。
グランティアが椀を卓へ置いた。
「二人とも、聞いていれば好き勝手なことを言ってくれるじゃないか」
「議長。これはご本人への――」
「だったら本人のことをちゃんと見な!」
グランティアの声に、ダーツが口を閉じる。
「立場のある大の大人が、こんな小娘を捕まえてなんだい! 自分の都合ばかり押し付けるんじゃないよ!」
騎士団長も彼女を見る。グランティアは二人を順に睨んだ。
「この子は、もううちの娘みたいなもんだ。どこの国が欲しいだの、戻ってこいだの、あたしの前で勝手に決めるんじゃないよ」
「……娘?」
思わず声が出た。
「ああ、そうさ。嫌なら今すぐ言いな」
「嫌ではないけれど、急な話ね」
グランティアは一瞬だけ目元を緩め、それからまた男二人へ顔を向けた。
私は茶を一口飲んだ。美味しい。こんな話の最中に、そう思えるだけの余裕が戻っていた。
「ありがとう、グランティア。あとは私から話すわ」
「ああ。あんたの好きにしな」
まず、ダーツへ向き直る。
「魔国が私を元公爵令嬢として使いたいなら、残念だけど、今の私はただのヴィヴィよ」
ダーツは茶器から手を離した。
「ヴィオレッタは、滝壺に飛び込んで死んだの」
私の姿を見ている者には、受け入れにくい言葉だろう。けれど、それは嘘ではない。私がどうしてここにいるかまで、二人へ明かすつもりはなかった。
「その名前を掲げるつもりなら、私はあなたの期待には応えられない」
ダーツはすぐには軽口を返さなかった。やがて、小さく頷く。
「……承知しました」
次に騎士団長を見る。
「私の追放を不当だったと言ってくれたことには、感謝しているわ。でも、今の私が王国へ戻っても、あの聖女に付け狙われるだけね」
騎士団長の眉がわずかに動く。
彼が私の追放を疑っていても、聖女が私を追う理由や、その手を止められるのかどうかは分からない。私には、今の暮らしを捨てて王国へ戻る理由がなかった。
「私はこの自由都市へ来て、多くの国や人々と関わったわ。王国を出て初めて、王国がほかの人々にしていることも見えた」
北から逃れてきた子供たち。故郷を離れなければならなかった人々。ミエリッキを巡る戦い。
王国の中だけにいたら、私も知らずに済ませていたかもしれない。
「この歪んだ世界の中心にある王国は、おかしい。どれほど不当なことをしているのか、私はもう知らないふりをできない」
騎士団長は、私の話を遮らなかった。
「ヴィオレッタの気持ちで言えば、王国は一度滅びるべきよ」
部屋が静まり返る。
私は何も怒鳴らなかった。だがその言葉を取り消すつもりもなかった。
騎士団長が救いたい王国と、私が見てきた王国は、同じものなのだろうか。彼が変えたいと願っているなら、そこへ至る道も、私とは違うかもしれない。
「だから、あなたの気持ちには感謝する。でも、私が選ぶ道は、あなたが望む結果とは違うかもしれないわ」
騎士団長は口を開きかけ、また閉じた。
私は二人を見渡した。
「申し出に応えられなくて、申し訳ないと思っている。けれど、そう遠くない未来に、私たちは同じ方向を見て話せるかもしれない」
ダーツが顔を上げる。騎士団長も、ようやく私を見た。
「でも、今じゃないってことね」
それぞれが、自分の国で何をするのか。私はここで何を選ぶのか。今この場で約束できることは何もない。
ダーツはしばらく私を見つめ、それからいつもの笑みを浮かべた。
「一筋縄でいけるとは思っていませんでしたが、私は諦めませんよ」
騎士団長は何も言わなかった。
グランティアが私の椀へ、温かい茶を注ぎ足す。
その手元を見ながら、私はあらためて、この街へ戻ってきてよかったと思った。
第六十一話・了
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