第五十九話 帰る場所
ラディアを発ってから四日目の昼過ぎ、トラペジアの城壁が見えてきた。
見慣れた街並みに、皆の空気が緩む。
「ようやく帰ってきたな」
バルガスが馬上で大きく伸びをした。
「門をくぐって報告を終えるまでが任務だ。気を抜くなよ」
ガイルが釘を刺す。
「分かってるって。少しくらい帰ってきた気分に浸らせろよ」
「お前の少しは戻ってこないだろ?」
「隊長は相変わらず細けえな」
言い返す声にも、疲労より安堵の方が強く表れていた。
私も同じ気持ちだった。
物資を運び、途中の村を回る。それだけの任務だったはずが、王国軍の斥候を全滅させ、一万を超える本隊を確認し、避難する子供たちを連れて撤退することになった。
最後には魔国軍とまで交渉している。
それでも私たちは、一人も欠けることなく帰ってきた。
門番へ所属を告げると、こちらの顔を知っている男が目を丸くした。
「おお、遊撃隊の連中じゃないか。無事だったのか!」
「ええ。今戻ったところよ」
「ミエリッキが大変なことになってたって聞いてるぞ。早くギルドへ行ってやれ。毎日、何か知らせが来てないかって聞きに来る奴がいたからな」
誰のことかは、聞かなくても分かった。
門を抜け、そのまま冒険者ギルドへ向かう。
大通りへ入った頃には、腕の中で眠っていたモカも目を覚ましていた。毛布の隙間から顔を出し、初めて見る街を忙しなく眺めている。
リリは私の肩へ座り、おいしそうな店を見つけるたびに指を差した。
「ヴィヴィ、帰ってきたねー!」
「そうね」
ギルドの扉を開ける。
昼を過ぎたギルド内はそれなりに混み合っていたが、私たちが入った途端、受付にいたミラが顔を上げた。
「ヴィヴィさん!」
仕事を放り出すような勢いで、受付から飛び出してくる。
「ただいま、ミラ」
「ご無事で……本当に、よかったです……!」
私の両手を握り、今にも泣きそうな顔で見上げてくる。
背後からは、ミラを追いかけてきた女性職員たちが、シフォンへ次々に声をかけていた。どうやら親衛隊同士の再会も始まったらしい。
「皆さんも、お帰りなさい。お怪我はありませんか?」
「全員無事よ。いろいろあったけれどね」
「いろいろ、ですか?」
「報告は長くなると思うわ」
私の言葉を聞き、ミラの顔へ心配が戻る。
そのとき、腕の中のモカが小さく鳴いた。
「んなぁ」
ミラが瞬きをする。
「……ヴィヴィさん。その子は?」
「モカよ。途中で拾ったの」
毛布の間から覗く小さな顔を見た途端、ミラの目が輝いた。
「可愛い……!」
伸びてきた手に警戒し、モカが耳を伏せる。
「シャーッ!」
「ひゃっ!」
ミラが手を引っ込めた。
「モカ、ミラだよー」
リリが私の肩から飛び、モカの目の前へ回り込む。
「ヴィヴィのことが、すっごく大好きなひとー!」
「リリ。それ説明に必要?」
「必要です!」
ミラが即答した。
モカは私とミラを交互に見たあと、鼻を鳴らして毛布の中へ潜っていった。
「嫌われてしまったのでしょうか……」
「会ったばかりでしょう。そのうち慣れるわ」
「頑張ります」
何を頑張るつもりなのかは分からないが、放っておこう。
「いつまで入口で騒いでいる」
聞き慣れた太い声が飛んでくる。
奥を見ると、ダン=ドンが腕を組んで立っていた。その隣では、クリス=タリスが眼鏡を押し上げている。
「全員揃っているな。なら、上へ来い。話を聞かせてもらうぞ」
◆
報告は、思った以上に長くなった。
遊撃隊長であるガイルが、出発してからの経緯を順に説明していく。
途中で立ち寄った村の状況。襲撃を受けた集落。王国軍斥候二十四名との交戦と、その全滅。さらに北へ進んだ先で確認した約一万二千の本隊。
私は必要に応じて、敵の装備や動き、魔国軍第3大隊副長ダーツとの会話を補足した。
保護した子供たちは、物資を預けた街へ無事に送り届けた。馬車に積んでいた食料や薬品についても、戦況の変化を踏まえ、今後の配分を管理する者へ正式に引き渡している。
ガイルが証明書を机へ置くと、クリス=タリスが内容を確認した。
「数量にも問題はありません。現地判断として妥当でしょう」
「魔国軍の本隊が北へ向かったのを、実際に見たんだな?」
ダン=ドンの問いに、ガイルが頷く。
「ああ。斥候や先遣隊という数じゃない。ダーツという副長も、北の商業都市へ救援に向かうと言っていた」
「王国軍も、これで好き勝手には動けねえか」
「少なくとも、私たちを追い回している余裕はなくなったでしょうね」
「それで全員、生きて帰ってきたと」
ダン=ドンが私たちを見渡す。
「ああ」
「結構。上出来だ」
短い言葉だった。
しかし、その声には普段の冗談めいた調子がなかった。
「最初の遠征で、随分と面倒なものに当たったな。だが、遊撃隊が必要だって証明にはなった。お前らが行かなければ、王国軍の規模も進路も、魔国の参戦についても知るのに時間がかかっただろう」
「その上で未完了クエストの消化もいくつか達成できてますね」
クリス=タリスが書類へ視線を落としたまま言う。
「今後も同じです。依頼を片づけるだけでなく、各地の状況を見て、必要ならば自分たちで判断してもらうことになります」
「随分と雑な命令ね」
「細かな指示を出せるなら、遊撃隊を作る必要はありませんから」
それもそうだ。
現場の状況が分からないから、私たちが直接見て回る。判断まで毎回持ち帰っていては、間に合わないこともある。
「その代わり、帰ったら全部報告してもらいます」
「面倒ね」
「報告書はシフォンさんが作成しています」
「なら問題ないわ」
「ヴィヴィさんも確認してくださいね?」
横からシフォンに念を押された。
聞こえなかったことにした。
続いて、ラディアでドランザートから預かった書状を差し出す。
宛先はステラたち七都市の議長だ。ダン=ドンは封を確かめるだけに留め、グランティアへ届けたのち、正式な使者を立てて各議長へ回すことになった。
報告を終えて部屋を出ると、待っていたミラたちに囲まれた。
怪我はないのか、食事は取れていたのか、眠れていたのかと次々に尋ねられる。私より、シフォンの方が詳しく答えていた。
その間に、モカは毛布から再び顔を出し、ミラの指先の匂いを嗅いでいる。
少しは警戒が解けたらしい。
ミラがそっと顎の下を撫でると、モカは目を細めた。
「触れました……!」
「よかったわね」
「はい!」
今日一番の笑顔だった。
◆
翌日、私たちはグランティアに呼ばれた。
ドランザートの書状は、すでに彼女の手元へ渡っている。内容を確認したグランティアは、今回の働きに改めて礼を述べた。
「危険な仕事を任せたが、よく全員揃って帰ってきたね。まずは三日、ゆっくり休みな」
「そのあとは?」
ガイルが尋ねる。
「決まってるだろう。また働いてもらうよ」
グランティアは笑い、机の上へ一枚の紙を置いた。
「それと、あんたたちの住む場所を用意した。出発前には間に合わなかったが、遊撃隊として動くなら、拠点が別々じゃ不便だからね」
案内されたのは、ギルドから歩いてそれほど離れていない二階建ての建物だった。
派手さはないが、八人が暮らすには十分な広さがある。共用の食堂と台所、装備を置ける倉庫があり、裏手には訓練に使えそうな空き地もあった。
ガイル、トッド、シフォンは、以前から三人で組んでいた。
私は基本的に一人で動き、必要なときに彼らと組んだことがあるだけだ。
一方、ステラから加わったバルガス、オルド、フィナ、リリも、元はそれぞれ別々に活動していた。
その全員が、今日から同じ場所で暮らすことになる。
「部屋は好きに選びな。揉めるなら、隊長が決めるんだね」
グランティアがそう言い残して帰ると、バルガスが真っ先に大きな部屋を選ぼうとした。
「お前は荷物が少ないだろう」
オルドが止める。
「身体がでかいんだから、広い部屋が必要なんだよ」
「荷の置き場に近い部屋は俺が使う。食材や道具を運ぶのに都合がいい」
「そんなの台所に置けよ」
「全部置けるわけがないだろう」
二人が言い合っている横で、フィナは日当たりのいい小さな部屋を選んだ。シフォンとトッドも、自分たちの荷物を運び始めている。
「リリの部屋もあるわよ」
廊下の先にある空き部屋を指す。
「いらなーい」
リリは迷うことなく答えた。
「ヴィヴィとモカと寝るー!」
「そう」
予想どおりだった。
私が選んだ部屋へ入ると、リリもついてくる。腕から降ろしたモカは床の匂いを嗅いで回り、最後にはベッドへよじ登ろうと前脚をかけた。
「あなたの寝床は、あとで用意するわ」
「んなぁ」
モカは聞いているのかいないのか、懸命に後脚を動かしている。
抱き上げてベッドへ乗せると、満足したように毛布の上で丸くなった。
リリもその隣へ降りる。
「ここ、ヴィヴィのお部屋?」
「今日からはね」
「リリのお部屋でもあるー?」
「そうなるみたいね」
「モカのお部屋でもあるよー」
「んなぁ」
返事をしたのか、ただ鳴いただけなのかは分からない。
荷物を置き終えた頃、階下からオルドの声がした。
「夕食にするぞ。手の空いた奴は運ぶのを手伝え」
部屋を出ると、皆も廊下へ顔を出していた。
食堂へ降り、八人で一つの卓を囲む。
これまでも旅の途中で、何度も同じ火を囲んで食事をした。だが、今夜は野営ではない。明日の朝になっても、同じ場所にいる。
ここから仕事へ出て、終わればここへ戻ってくる。
それが何日続くのかは分からない。
ただ、この日から私たちは、同じ場所で暮らしながら遊撃隊として戦っていくことになった。
第五十九話・了
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