第四十六話 生き残った報酬
村には小さな宿代わりになる家が一軒しかなく、私たち八人に御者まで含めた大所帯を泊められるほどの余裕はなかった。
村外れの空き地を借り、荷馬車を囲むように野営する。
夕食を終えて夜間の見張りを確認すると、それぞれ早めに休むことになった。
私がテントへ入ると、当然のようにリリも後から飛び込んでくる。
「あなた、自分の寝床は?」
「ヴィヴィと寝るー!」
「そう」
追い出したところで、どうせ戻ってくる。
毛布へ潜り込むと、リリはいつものように私の首元へ身体を寄せて丸くなった。
「おやすみー」
「おやすみ」
外から聞こえてくる薪の爆ぜる音と、見張りをしている誰かの足音を聞きながら目を閉じる。
眠りに落ちるまで、それほど時間は掛からなかった。
◆
朝。
最初に目を覚ましたリリは、私の首元からもぞもぞと這い出すと、小さく伸びをした。
「ん~~っ!」
そこで動きを止める。
昨夜まではなかったはずの茶色い毛玉が、私の金色の髪に半分埋もれるようにして、首元へくっついていた。
掌に収まりそうなほど小さく、短い毛に覆われた身体が、呼吸に合わせてかすかに上下している。
「…………」
リリが顔を近づける。
小さな鼻が、ひくひくと動いた。
「み……」
鳴き声とも呼べないような声が漏れる。
リリは毛玉を見る。
それから眠っている私を見る。
もう一度、毛玉を見る。
「たいへんだー!!」
勢いよくテントを飛び出した。
「みんなー! 起きてー!」
朝っぱらから、野営地中にリリの声が響き渡る。
「ヴィヴィが赤ちゃん生んだー!」
「はぁ!?」
外からガイルの声がした。
「何言ってんだお前!」
「赤ちゃん! ちっちゃいの! ヴィヴィと一緒に寝てる!」
さすがに目が覚めた。
「……うるさい」
身体を起こそうとしたところで、首元に何かが触れていることに気づく。
「…………?」
髪を退ける。
見覚えのない茶色い毛玉がいた。
「何これ……」
猫だろうか。
それにしては小さすぎる。目も閉じたままで、まともに歩けるようにも見えない。
私が動いたことで目を覚ましたのか、毛玉がもぞりと動き始めた。
「み……」
小さな目は閉じたまま。それでも鼻をひくひくさせながら、毛布の上をこちらへ這ってくる。
目が見えないのか、匂いを頼りにしているようだった。何度か脚を取られて転びながら、それでも私のところまで辿り着くと、太腿へぴたりと身体を押しつけた。
「…………」
なんだ、こいつ。
可愛いな。
「ヴィヴィ!」
テントの入口が開き、ガイルたちが揃って顔を覗かせた。
「何よ」
「リリがお前に赤ん坊ができたって騒いでるんだが……」
「ヴィヴィの赤ちゃん!」
「違うわよ」
「じゃあ誰の?」
「私が聞きたいわよ」
昨夜テントへ入った時には、こんなものはいなかった。
「ちょっと見せてくれ」
後ろから覗き込んだオルドが、いつになく真剣な顔をしている。
毛玉をそっと持ち上げて渡そうとした途端、小さな前脚が私の服へしがみついた。
「……離れないんだけど」
「なら、そのままでいい」
オルドは私が抱いた状態で目や耳、身体つきを確認していった。
「まだ生まれて一週間も経ってないな」
「そんなに小さいの?」
「ああ。それと、こいつは猫じゃない」
ガイルが眉を寄せる。
「魔獣か?」
「ヴァイスティーガーだ」
「これが?」
バルガスが私の腕の中を覗き込んだ。
昨夜、村長から聞いたばかりの名前だ。
「この大きさなら母親が近くにいるはずなんだが……」
オルドの言葉に、全員の視線が森へ向いた。
◆
調べ始めて間もなく、トッドが野営地の外れで足を止めた。
「ここだ」
森の縁に生えた大木の根元。その陰に、小さなくぼみがあった。
「こいつの足跡は、ここから始まってる」
「それより前は?」
「ない」
トッドが周囲を調べ、少し離れた場所を指差す。
そこには幼体のものとは比べものにならない、大きな獣の足跡が残されていた。
「母親がここまで運んできた?」
「たぶんな。ここで子供を下ろして、そのまま森へ戻ってる」
私は周囲を見回した。
村からも近い。
そして昨夜は、すぐそばに私たちが野営していた。
「私たちがいることが、分かったのね」
鼻の利く魔獣なら、普段とは違う人間が大勢いることも、その中にどれほどの強さを持つ者がいるかも嗅ぎ取れるとも聞く。
オルドが森へ続く足跡へ目を落とした。
「ヴァイスティーガーは頭がいい。トロールみたいな危険種が人里へ近づけば、人間が戦うことも分かってるんだろう」
「そのうえ、こっちには強い奴がいることも分かったわけか」
ガイルが言う。
「もしかしたら、人間種は子供に甘いってことまで分かってたのかもな」
その瞬間、全員の視線が私へ集まった。
「……何で私を見るのよ」
「別に?」
「何でもねぇよ」
「ヴィヴィ、赤ちゃん好きだもんね!」
「リリは黙ってなさい」
母親の足跡は、そこから森の奥へ続いていた。
「追いましょう」
私たちは離れない子供を連れて、ヴァイスティーガーの足跡を追うように森へ入った。
◆
奥へ進むにつれて、周囲の様子が変わっていった。
折れた枝。抉れた地面。幹の途中からへし折られた若木。ところどころに大量の血も残っている。
「派手にやったな……」
バルガスが呟く。
さらに進んだところで、最初の死体を見つけた。
トロールだ。
巨体が仰向けに倒れ、首が半ばまで噛み切られていた。大量の血が地面へ染み込み、すでにこと切れていた。
そこから少し離れた場所に、もう一体。
こちらは胸を大きく抉られていた。厚い脂肪と筋肉を突き破り、その奥まで深々と爪が達している。
「心臓をやられてるな」
トッドが傷を確認する。
二匹とも、再生能力など意味を成さない致命傷だった。
「ヴァイスティーガーがやったの?」
フィナが周囲を見回す。
「たぶんね」
だが、村で確認されたトロールは三匹だった。
トッドが周囲を調べ、森の奥へ続く大きな足跡を見つける。
「一匹、逃げてる」
足跡とともに、点々と血が残されていた。
「怪我はしてるみたいね」
「ああ。かなり出血してる」
残る一匹。
私たちは警戒を強め、その足跡を追った。
◆
先頭を進んでいたガイルが片手を上げた。
全員が足を止める。
木々の向こうから、何かを噛み砕くような音が聞こえていた。
ぐちゃ。
くちゃ、ぐちゃ――。
木の陰から覗く。
いた。
三匹目のトロールだ。
太い背中をこちらへ向け、地面に座り込んでいる。
何かを食った後なのだろう。
口の周りから胸元にかけて血でべっとりと汚れ、腹も膨れている。身体には深い裂傷がいくつも刻まれ、左腕もまともに動いていない。
ヴァイスティーガーにやられた傷だろう。
トロールがこちらの気配に気づいた。
「グォォォ……!」
低い唸り声を上げながら立ち上がる。
手負いとはいえ、油断できる相手ではない。
ガイルが盾を前へ出し、バルガスが大槌を構える。
「トッド」
「ああ」
すでに矢は番えられていた。
トロールがこちらへ踏み出す。
その瞬間、トッドの指が弦から離れた。
「《ピアッシングアロー》」
ヒュン――!
放たれた矢が一直線にトロールの胸へ突き刺さる。
「グォッ!?」
厚い脂肪と筋肉を貫き、それでも止まらない。
巨体が大きく仰け反った。
だが、倒れない。
「届いてないのか?」
「いや。少しずれた」
トッドはもう次の矢を番えている。
トロールが怒り狂い、こちらへ突進してきた。
ガイルが受ける。
バルガスが横から大槌を叩き込む。
巨体が傾いた。
そこへ私は踏み込み、バスタードソードを振り抜く。
刃が首へ食い込み、そのまま振り切った。
巨大な頭が宙を舞う。
ドォン――!
遅れて身体が地面へ倒れた。
しばらく待つ。
再生する様子はない。
「これで三匹ね」
剣についた血を払い、鞘へ戻す。
依頼そのものは、これで終わった。
だが――。
まだ母親が見つかっていない。
◆
周囲を探すと、それほど離れていない場所でヴァイスティーガーを見つけた。
すでに冷たくなっていた。
茶褐色の毛は血に濡れ、身体のあちこちには深い傷が残り、後ろ脚の一本は股からもぎ取られていた。
オルドが傍へ膝をつき、身体を調べる。
「……かなり消耗してたみたいだな」
「出産の影響?」
「ああ。まだ体力が戻り切ってなかったんだろう。この状態でトロール三匹を相手にしたのか」
二匹を殺し、残る一匹にも深手を負わせた。
本調子なら、どうなっていたんだろう。
「大した母親ね」
私は腕の中の幼体を見る。
その鼻が、ひくひくと動いていた。
母親の匂いが分かるのだろう。
私は何も言わず、その傍へ下ろした。
「ヴィヴィさん……」
フィナが小さく声を漏らす。
「いいのよ」
幼体は覚束ない足取りで母親へ近づいていった。
鼻先を毛へ押しつけ、何度も匂いを嗅ぐ。そのまま腹の辺りまで這っていくと、母親の身体へぴたりとくっついた。乳を探す様に何度も、何度も鼻を擦り付け小さく「み……」と鳴いている。
だが、母親は動かない。
冷たくなった身体に頭を押しつけても、何も返ってこなかった。それでも小さな身体で、精一杯母親にくっついている。
私は手を出さずに待った。
やがて、小さな身体が動いた。
母親から離れる。
鼻をひくひくさせながら、こちらへ向かって歩き始めた。
何度か転び、それでも立ち上がる。
誰も声を掛けなかった。
小さなヴァイスティーガーは、自分の足で私のところまでやって来た。
そしてブーツに、ぴたりと身体を押しつける。
「…………」
私はしゃがみ込み、自分を選んで歩いてきた小さな身体を抱き上げた。
掌に収まりそうな頭が、私の胸元へ寄せられる。
「いいのね?」
「み……」
答えるように、小さく鳴いた。
「そう」
それならいい。
胸元へ抱き寄せる。
顔を上げると、フィナがぼろぼろ泣いていた。
その隣ではシフォンも目元を押さえている。
さらにその横を見る。
「……バルガス?」
「見るんじゃねぇ」
でかい身体で顔を背けているが、頬を伝っているものまでは隠せていない。
「泣いてるの?」
「泣いてねぇ!」
「泣いてるよー」
リリが容赦なく指差した。
「うるせぇ!」
鼻を啜りながら怒鳴っても、説得力はなかった。
私は腕の中の小さなヴァイスティーガーを見る。
「戻りましょうか」
もう、ここに残る理由はなかった。
◆
村へ戻って事情を話すと、山羊を飼っている家から乳を分けてもらえることになった。
温めてもらった山羊乳を持ち帰ると、オルドが布へ少しずつ染み込ませる。
「最初はこれで様子を見る。一気に飲ませるなよ」
「分かったわ」
幼体を腕に抱き、乳を含ませた布を口元へ近づけた。
鼻をひくひくさせていた小さな口が、乳に触れる。
一度、舐める。
もう一度。
やがて布へ吸いつき、夢中になって飲み始めた。
「リリもやる!」
「後でね」
「今やる!」
「こぼしたらこの子のご飯が減るわよ」
「……じゃあ、見てる!」
私の腕に掴まりながら、リリが幼体を覗き込む。
よほど腹が減っていたのだろう。
小さな身体で、懸命に乳を飲んでいる。
私はその頭を指先で撫でた。
「生き残った報酬ね。たくさん飲みなさい」
「みぃ……」
一瞬だけ口を離して鳴き、また山羊乳へ吸いつく。
今はまだ、私の腕の中に収まるほど小さい。
それでも、あの母親の子だ。
「あなたを最強に育ててあげるわ」
強ければ、選べる。戦うことも、逃げることも、自分がどう生きるのかも。選択肢は、自分で持っていた方がいい。
小さなヴァイスティーガーはそんなことなど知る由もなく、私の腕の中で夢中になって山羊乳を飲み続けていた。
第四十六話・了
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