第四十話 加速《クロックアップ》
翌日。
ギルドマスターの執務室で書類に目を通していた俺は、扉を叩く音に顔を上げた。
「入れ」
返事をすると、クリスが扉を開け、その後ろからヴィヴィが入ってくる。
昨日、上級冒険者になったばかりの少女は、浮かれた様子もない。腰には二本の短剣。背中には、いつものバスタードソード。
見慣れた格好だ。
「何だ。朝っぱらから」
「試したいものがあるのよ」
「外でやれ」
「まだ何も言ってないでしょう」
「そう言う顔した奴が来る時は、だいたい碌なことじゃねぇ」
書類へ目を戻すと、クリスが小さく咳払いした。
「昨日、《アクセラレイト》を習得したそうです」
ペンが止まった。
俺は顔を上げ、改めてヴィヴィを見る。
「もう覚えたのか?」
「昨日ね」
「それで試したいってわけか」
「そういうこと」
ヴィヴィは軽く答えたが、俺は眉を寄せた。
アクセラレイトについて詳しいわけではない。それでも、高位の身体強化魔法であり、使い方を誤れば術者自身に相当な負担が掛かることくらいは知っている。
そのあたりはクリスの方が詳しい。
「一人で試す前にこちらへ来てもらいました。私も使える魔法ですから、先に限界を知っておいた方がいいでしょう」
「限界?」
「個人差はありますが、症状の出る順番は概ね同じです。最初は頭痛。それを無視して使い続ければ痛みが強くなり、発熱が始まります。その先が目眩、視界の霞み。さらに続ければ意識を失います」
「そこまでやらせる気か?」
「そのために、あなたがいるのですが」
「俺?」
嫌な予感がした。
「頭痛が出たところで止めてしまっては、実戦で役に立ちません。頭痛が始まってから次の症状までどれくらい時間があるのか。目眩が起きた状態でどこまで動けるのか。視界が霞み始めてから意識を失うまで、どれだけ余裕があるのか。安全に確認できるうちに、一度経験しておくべきです」
言っていることは分かる。
むしろ実戦を考えるなら、正しい。
身体から警告が出た瞬間に魔法を切れる状況ばかりとは限らない。逃げるにせよ戦うにせよ、そこから何秒使えるのかを知っているかどうかは大きい。
「それで、なんで俺なんだ」
「限界が近づいたヴィヴィさんに、私が声を掛けて止まると思いますか?」
「止まらないわね」
「お前が答えるな」
ヴィヴィが肩をすくめた。
クリスは眼鏡を押し上げる。
「それだけではありません。《アクセラレイト》使用中は、外部からの音声も引き延ばされて聞こえます。本人の体感時間が加速していますから、こちらが短く指示を出しても、正常に聞き取れない可能性があります」
「つまり、最後は力ずくで止めろと」
「お願いします」
「……最初からそれが目的だったな?」
クリスは答えなかった。
代わりに、にこりと笑った。
◆
ギルドの裏手にある訓練場へ移動すると、ダンは壁際の武器立てから刃引きされた長剣を一本取った。
ヴィヴィもバスタードソードを抜く。
「最初は使うなよ」
「アクセラレイトを?」
「ああ。動きがどう変わるのか、俺も見ておきたい。何合かやってから使え」
「分かったわ」
ヴィヴィが剣を構える。
以前にも何度か相手をしている。
初めて会った頃に比べれば随分と様になった。足運びも剣の扱いも良くなっている。実戦を重ねているだけあって、教本通りの綺麗な剣術ではないが、その分余計な動きが少ない。
だからといって、負けてやるつもりもない。
「いつでも来い」
言い終わる前にヴィヴィが踏み込んだ。
速い。
だが、この程度なら追える。
横薙ぎの一撃を剣で受け流す。ヴィヴィは流された勢いに逆らわず身体を回し、返す刃をそのまま次の斬撃へ繋げてきた。
それも受ける。
金属音が二度、三度と訓練場へ響いた。
以前よりいい。
剣に無駄な力が入らなくなっている。
ヴィヴィが一歩引いた。
追う。
踏み込んだ瞬間、ヴィヴィの身体がふっと軽くなったように後ろへ抜ける。
《ライト》。
そこまでは読めている。
距離を詰め直す。
ヴィヴィが迎え撃つ。
剣がぶつかる直前、その一撃だけが急に重くなった。
《ヘヴィ》。
「っと」
受け止め、そのまま押し返す。
ヴィヴィがすぐに《ライト》へ戻して身体を逃がした。
前より切り替えが速くなっている。
だが、まだ余裕はある。
「こんなもんか?」
「今のところはね」
ヴィヴィが剣を肩へ担ぐようにして笑った。
「じゃあ、使うわよ」
「おう」
少し離れた場所でクリスが懐中時計を開いた。
「発動した瞬間から計測します。最初の異常を感じたら、必ず声に出してください」
「分かったわ」
「それと、こちらから止めるまで継続してください」
「ええ」
「無理だと判断した場合はダンが止めます」
ヴィヴィが俺を見る。
「だって」
「なんで嬉しそうなんだ、お前は」
ヴィヴィは答えず、バスタードソードを構え直した。
そして小さく息を吸う。
「《アクセラレイト》」
何かが変わった。
見た目には何も分からない。
光ったわけでもなければ、風が巻き起こったわけでもない。
ただ、ヴィヴィの目が変わった。
来る。
そう思った時には、もう踏み込んでいた。
「っ!」
速い。
剣を合わせる。
軽い。
いや――。
次の瞬間、腕へ掛かる重さが跳ね上がった。
《ヘヴィ》。
押し込まれる前に剣を流す。
ヴィヴィの身体が沈んだ。
そのまま懐へ潜り込んでくる。
柄頭。
半歩引いて躱した。
そこへバスタードソードが返ってくる。
受ける。
今度は軽い。
ヴィヴィは剣をぶつけた瞬間にはもう《ライト》へ切り替えている。
横へ抜ける。
追おうとしたところへ、また剣が来た。
速さだけじゃない。
前に手合わせした時とはまるで違う。
《ライト》と《ヘヴィ》の切り替えが明らかに増えている。それも、前より数段速い。踏み込みで軽くなり、剣を打ち込む瞬間には重くなる。こちらが受ければ、すぐに軽くなって次の動きへ移る。
一度の攻防で何度切り替えているのか分からない。
何より厄介なのは、こいつの動きには硬直がない。
一撃を受けても、次がもう来ている。躱しても同じだ。普通なら一度体勢を戻すようなところで、そのまま別の動きへ繋げてくる。
正に、息をつく暇もない。
俺にも、たまに妙に感覚が鋭くなる時がある。
相手の動きがよく見える。身体が思った通りに動く。普段なら一瞬迷うような場面でも、次に何をすればいいのかが自然と分かる。
何をやってもキレッキレに繋がる、あの感覚だ。
長く剣を振っていれば、そんな時はある。
だが、こいつはそれを意図的に作っていやがる。
面白ぇ。
俺は無意識に口元を緩めた。
なら――これはどうだ。
踏み込みを一段深く、一撃を早く重くする。
ヴィヴィが反応した。
構わず振る。
模擬戦だ。殺す気など当然ない。
だが、割と真面目に打った。
当たれば、それで終わり。
それくらいの一撃だった。
ヴィヴィが剣を合わせ――ない。
身体が落ちた。
急激に重心が沈み、長剣が金髪の上を通り過ぎる。
直後、ヴィヴィの身体が跳ねるように横へ抜けた。
「おいおい、これを避けるかぁ?」
思わず笑ってしまった。
ヴィヴィは答えない。
いや、聞こえているのかどうかも怪しい。
そのまま来る。
剣を受ける。
また《ヘヴィ》。
流す。
《ライト》。
踏み込んでくる。
こちらから打ち返す。
ヴィヴィが剣を合わせる。
また来る。
片手持ち?
――左手。
白い雷光を纏った短剣が飛んで来やがった。
麻痺っ――!
反射的に剣で弾く。
その向こうから、もうバスタードソードが迫っていた。
「クッ!」
身体を捻る。
間に合わない。
剣の腹を左腕で押し、強引に軌道をずらした。
バスタードソードが肩口を掠めて抜けていく。
ヴィヴィは止まらない。
空振った剣をそのまま引き戻しながら身体を回し、次の一撃へ入っている。
こいつ――。
「十秒です」
クリスの声が聞こえた。
ヴィヴィの眉間に皺が寄る。
「……頭、痛っ……」
声が妙に遅い。
自分で喋っておきながら、違和感を覚えたような顔をしている。
だが剣は止まらない。
「そのまま続けてください」
クリスが言う。
返事はない。
聞き取れているかどうかも怪しい。
俺は再び剣を構えた。
頭痛が始まって、どこまで落ちる。
そう思った。
だが、ほとんど落ちない。
ヴィヴィがまた踏み込んでくる。
さっきまでより荒くなった気はする。それでも《ライト》と《ヘヴィ》の切り替えは続いている。
「十六秒」
ヴィヴィの顔が明らかに険しくなった。
額に汗が浮かぶ。
頬も赤い。
「頭痛が強くなっています。発熱も始まっていますね」
クリスの声を聞きながら、ヴィヴィの剣を受けた。
重い。
まだこれだけ出せるのか。
押し返すと、ヴィヴィが二歩下がった。
一歩目は問題ない。
二歩目。
僅かに足が流れた。
「十九秒」
来た。
ヴィヴィも自分で気付いたらしい。
目眩。
それでも止めない。
むしろ一度大きく瞬きをして、こちらを見直した。
「まだやるか」
聞こえないと分かっていて、呟いた。
ヴィヴィが来る。
先ほどまでの正確さはない。
踏み込みも僅かにズレている。
それでも剣を振る。
受け流す。
ヴィヴィはすぐ次へ繋げようとしたが、身体が一瞬横へ流れた。
そこを狙えば終わらせられる。
だが、まだ止めない。
これは限界を知るための模擬戦だ。
「二十二秒。視覚異常が始まる頃です」
ヴィヴィが何度も瞬きをした。
明らかに焦点がおかしい。
剣先ではなく、こちらの身体全体を見るように視線が変わった。
それでも構える。
俺は眉をひそめた。
もう十分じゃないか。
だがクリスはまだ止めない。
ヴィヴィ自身も止める気配がない。
なら、もう少しだけ付き合う。
踏み込む。
ヴィヴィが反応した。
遅い。
だが避けた。
返してくる。
剣を受ける。
軽い。
次に重くなる――。
ならなかった。
ヴィヴィの身体がぐらりと傾く。
それでも無理やり足を出す。
「二十五秒」
クリスの声が低くなった。
「ダン」
「ああ」
もういい。
一気に間合いを詰めた。
ヴィヴィが反応する。
こんな状態でも速い。
バスタードソードが上がる。
だが、もう剣筋が甘い。
長剣で外へ弾く。
ヴィヴィが《ライト》で抜けようとする。
先に肩を掴んだ。
「っ!」
ヴィヴィが身体を捻る。
まだ逃げる気か。
腕を取る。
体勢を崩す。
それでもヴィヴィは足を掛けようとしてきた。
「お前なぁ!」
俺はそのまま腕を抱え込み、完全に動きを封じた。
「終わりだ!」
ヴィヴィが何か言った。
聞き取れない。
本人も自分の声がおかしく聞こえているのか、顔をしかめる。
数瞬して――。
ふっと身体から力が抜けた。
《アクセラレイト》が切れた。
「う……っ」
途端にヴィヴィが頭を押さえた。
膝が崩れるのを、慌てて支えた。
「おい」
「……気持ち悪い」
「そりゃそうだろ」
「世界が……回ってる……」
「座ってろ」
訓練場の端まで連れていき、壁際に座らせる。
クリスも近づいてきた。
「二十七秒弱。初回としては十分でしょう」
「十分って顔してねぇぞ、こいつ」
「死にはしません」
「そういう問題か?」
ヴィヴィは壁にもたれたまま目を閉じていた。
「……次は、もう少し上手くやれるわ」
「次の話してんじゃねぇ」
おれが呆れると、ヴィヴィは薄く笑った。
◆
しばらく休んだあと、ヴィヴィは一人で帰ると言い張った。
大丈夫には見えなかった。
訓練場を出ていく足取りはふらふらで、一度など壁に肩をぶつけている。
それでも本人は振り返りもしない。
俺は腕を組んだまま、その後ろ姿を見送った。
「……あれ、一人で帰して大丈夫なんですかね」
「知らん。本人が大丈夫だって言ってんだから大丈夫なんだろ」
「随分と投げやりですね」
「送ってやるっつったら睨まれたんだよ」
「なるほど」
やがてヴィヴィの姿が見えなくなった。
俺は訓練場へ視線を戻した。
さっきの攻防を思い出す。
前に相手をした時より、《ライト》と《ヘヴィ》の切り替えが数段増えていた。しかも速い。
特に、あの短剣。
バスタードソードを片手に持ち替えたと思ったら、空いた左手で短剣を抜き、《ライトニングウェポン》を掛けて投げてきた。
麻痺する可能性がある以上、無視はできない。
弾いた時には、もう次の一撃が来ていた。
ほとんど同時だった。
初めて使った魔法で、あれだ。
慣れれば、もっと速くなる。
もっと色々やってくるだろう。
俺は鼻から長く息を吐いた。
「ありゃ強いぞ」
クリスが横を見る。
「うかうかしてたら、俺でも負けるかもしれん」
クリスが、ふふっと笑った。
「剣聖にそれを言わせますか。楽しみなことです」
「.....俺は楽しくねぇんだよ!」
第40話・了
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