第三十七話 アクセラレイト
翌朝、クリスと連れ立って魔法具店へ向かった。
魔法省系列の魔法具店は、ギルドの並びから少し外れた、石造りの重厚な建物だ。ここには何度か通っている。目を付けた魔法が貯金と釣り合うたび、一つずつ買い足してきた。おかげで店員とも、もう顔なじみだった。
「いらっしゃいませ。……おや、今日はお連れ様と」
カウンターの奥から、紋章入りの制服を着た事務員風の男が出てくる。相変わらず、隙のない身なりだ。その視線が、俺の隣のクリスを見て明らかに身構えた。ギルドのサブマスターの顔くらいは、知っているんだろう。
俺は、前置きを省いて切り出した。
「アクセラレイトって、置いてる?」
男の眉が、ほんの少しだけ上がった。
「……アクセラレイト、ですか。ええ、ございます。ございますが……」
男は言葉を濁したまま、奥のガラス棚へ回った。戻ってきた手には、革表紙の魔導書が一冊。表紙に、うっすらと埃が積もっている。ガラスの中にあってなお埃をかぶるということは、それだけ長く動いていないという事だ。
「これが、その一冊になります。お値段は――金貨1000枚」
金貨1000枚。前世の感覚に直せば、一千万円ということになる。中級冒険者が普通に稼いで、いったい何年ぶんの額か。
「正直に申し上げますとね」
男が、少しばつの悪そうな顔で続けた。
「この一冊、店に並べて十年以上、一度も売れておりません。私が十年前、これは掘り出し物だと勇んで仕入れたのですが……。『とんでもないレア魔法だ』と、当時はそう思ったんですよ」
なるほど。自分で高値をつかまされて、十年抱え込んでいる、と。うっすらと哀愁がにじんで見えた。
「ですので――ヴィヴィ様は、最近よく足を運んでくださいますし。もしこれをご入用でしたら、少しお値引きしますよ。金貨880枚では、いかがでしょう」
◆
1000枚が、880枚。一割ちょっと、自分から引いてきた。
と、それまで黙っていたクリスが、眼鏡を押し上げて、ぽつりと口を開いた。
「十年、誰も買わなかったのでしょう? ……でしたら、あと十年、誰も買わないかもしれませんねぇ」
男の顔が、ぴきりと固まった。
……この人は、たまにこういう毒を、さらりと刺す。悪気があるわけじゃなく、ただ事実を淡々と言っているだけなのが、なお性質が悪い。
だが、悪くない流れだ。場が下に傾いた。ここは乗るところだろう。
傭兵をやっていた頃にも、こう言った金銭の交渉は何度もあったもんだ。まず非常識な安値を置いて、相手の基準ごと下へ引きずり下ろす。話は、そこから始めればいい。
「じゃあ、切りよく金貨500枚」
「ご――っ!?」
男が、露骨にのけぞった。
「む、無茶を言わないでください! それでは仕入れ値を割ります。この本の仕入れは金貨750枚。それより下では、こちらが丸損です!」
仕入れ750枚ね。実際にはもう少し安くて600枚から650枚くらいだろう。まあ、店側にも利益がなきゃ商売にならない。当然やられっぱなしということは無いだろう。
俺が次の一手を出すより先に、クリスが、すっと間に入った。
「では、こういたしましょう。もともとのお値が金貨1000枚、仕入れが金貨750枚。あいだを細かく詰める必要もありますまい。切りのいいところで、金貨800枚。それでしたら、そちらも損は出ませんし、この娘も得心します。――手を打たれては?」
事務員よりよほど事務的な口ぶりで、クリスが、もとの1000枚から200枚を、するりと削り落とした。
男は、しばらく唸っていたが、やがて肩を落とした。
「……仕方ありませんね。金貨800枚。それでしたら、お売りします」
金貨200枚の値引き、まあこの辺がお互いにとって良い数値と言えるだろう。前世で言えば、二百万円ぶんの値切りだ。
――もっとも、ここまでは前座だ。
俺は、カウンターに置かれた魔導書を、指先で軽く小突いた。
「で、悪いんだけど。今、その金は無いのよね」
男の動きが、止まった。
「……は?」
「金貨800枚なんて大金、今の私が持ってるわけないでしょう。だから、もうしばらく、そこで不良在庫を続けてて。――金貨800枚で売ってくれるって、今、言ったわよね?」
男の口が、半分開いたまま塞がらない。書類に手を伸ばしかけていたクリスの動きも、途中で止まっていた。
「……値切っておいて、お買いにならないので?」クリスが、珍しく間の抜けた声を出した。「では、いったい何のために」
「決まってるでしょう。値段を、先に固めておきたかったのよ。今は無くても、あと金貨800枚を稼げば、この魔導書は確実に私のものになる。……目標金額がハッキリした方が、仕事選びの基準も変わると言うものよ」
男は、がっくりと肩を落とし、それから、諦めたように笑った。
「……確かに。どうせ、十年売れなかった品です。ですがなるべく早くご用意下さいね。それと別な買い手が1000枚で買ってくれるなら、そちらに売りますのでご了承ください」
まあ、その誰かさんには割引はしないと言ってるわけだ。ならいいだろう。
クリスが、こめかみを押さえて、深く息を吐いた。
「……末恐ろしい方だ。以前も申し上げましたが、本当に」
◆
店を出ると、外はよく晴れていた。
金貨800枚。目標金額は決まった。あとは、その800枚を稼ぐだけだ。問題はその稼ぎ方だ。割のいい仕事として行った要人護衛の報酬が数日完全拘束されて金貨80枚。このクラスのクエストは早々無いだろうから、余程効率良く稼がないと何年もかかってしまうだろう。
「何か稼ぎのいいクエストが、あるといいけど」
私の剣技は、機構としてはもう完成している。思考加速という最後のピースがハマれば、イメージしている戦い方が私のモノになるだろう。
……稼がないとな。
うまい飯や、高い肉も当面は我慢するしかないか……。
ちょうどいい。ギルドへ顔を出して、割のいい仕事が転がっていないか、聞いてみるとしよう。
37話・了
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