第三十八話 金策 ※第一章完
翌日から、俺はギルドの依頼票と睨めっこしていた。
必要なのは金貨800枚。あの魔導書を買うための額だ。取り置きはしてもらったから、今すぐ誰かに買われる心配はない。……ないのだが、800枚。改めて数えてみると、とんでもない額だった。
「ミラ。もっと高いのない?」
「さっきから高い順に出してますよぉ……」
受付の向こうで、ミラが困った顔をする。
「今ある中だと、これですね。高山地帯での薬草採取、その護衛。報酬は金貨10枚です」
「10枚」
悪くない。そう思って依頼票に手を伸ばすと、ミラがさっとそれを引っ込めた。
「ただし、パーティ推奨です」
「……何人?」
「五人ですね」
「一人2枚じゃない」
「そうなりますね」
思わず天井を見上げた。金貨2枚は、前世の感覚なら二万円くらいか。数日走り回って二万円。冒険者の日銭と考えれば、そう悪い額でもない。だが俺が欲しいのは800枚だ。これを四百回。……冗談じゃない。
「あの、ヴィヴィさん」
「ん?」
ミラが、じっと俺を見ていた。
「そんなにお金を集めて、何をするつもりなんです?」
「魔法を買うのよ」
「魔法?」
「ちょっと高いの」
「おいくらです?」
「800枚よ」
「…………」
ミラの顔が固まった。
「金貨で?」
「他に何があるのよ」
「ちょっとじゃないですよぉ!」
身を乗り出してくる。
「まさか、そのために危ない依頼を一人で受けようとか、考えてませんよね?」
昔は子猫みたいで可愛かった、と酒場の連中から聞いたことがある。嘘だろう。今のこいつは、どう見てもサーベルタイガーだ。
「考えてないって」
「今、目を逸らしましたよね?」
「逸らしてない」
「逸らしました!」
面倒になって、受付から逃げた。
◆
受付で埒が明かないなら、その上を当たるまでだ。ギルドマスターの部屋を覗くと、ダンが今日も書類の山に埋もれていて、その横ではクリスが眼鏡を光らせていた。
「ダン、ちょっといい?」
「あん?」
「一発で金貨800枚くらい稼げる仕事、知らない?」
ダンが顔を上げ、数秒黙って――それから笑った。
「はっ! あったら俺がやってらぁ!」
「無いの?」
「あるわけねぇだろ!」
即答だった。
「前の要人護衛は金貨80枚だったじゃない」
「あれを基準にすんな。七日拘束だぞ? 日当10枚で七十、そこに危険手当が10枚乗って80だ。あんな依頼、そうそう転がってくると思うか」
「十回やれば800枚ね」
「だから無ぇっつってんだろ!」
横で、クリスが口を挟んだ。
「通常の依頼で一人頭2枚と仮定すると、四百回ですね」
「ミラにも言われたわ」
「一日一件として、四百日。休息日や移動日、依頼の有無まで考慮すれば――」
「やめて。聞きたくない」
「まだ計算の途中ですが」
「余計に聞きたくない」
こいつは相変わらず、人が嫌がる数字だけは正確に出してくる。
ダンが、椅子の背にもたれた。
「諦めて地道に貯めろ。何年かかるか知らんが、そのうち貯まる」
何年、か。その言葉だけで嫌になった。取り置きしてある以上、魔導書は逃げない。逃げないが、俺の方が待てなかった。目の前に強くなる手段がぶら下がっているのに、何年も肉も食えず指をくわえて眺めていろというのか。……無理な相談だ。
◆
とはいえ、金が空から降ってくるわけでもない。それから二週間、俺はひたすら働いた。朝いちばんにギルドへ顔を出して割のいい依頼を取り、終わればすぐ次を受ける。薬草を採り、隊商に付き添い、下水道の魔物を駆除して回った。日が暮れれば宿に戻って泥のように眠り、翌朝にはまたギルドへ足を向ける。
途中、腕を見込まれてか、上級パーティから声もかかった。上級の依頼だし、これは稼げるかと思ったが――終わってみれば、俺の取り分は金貨5枚。危険だけは、立派に増えていた。
「……割に合わないわね」
そして二週間後。宿の机に財布をひっくり返して、中身を全部数えた。金貨31枚と、銀貨8枚。もう一度数え直しても、増えはしなかった。
前世でいえば、三十一万八千円ほど。二週間でこれだけ稼いだと思えば大したものだが、こっちは命を張っている。しかも、この間にポーションを買い足したし、刃の欠けた剣は研ぎに出した。宿代も飯代も、その日その日で出ていく。それを全部引いた後に残ったのが、この金額だ。傭兵をやっていた頃から、金は稼いだ額じゃなく、最後にいくら残ったかで勘定した方がいい。冒険者という商売は、思っていた以上に薄利だった。
財布の中身を睨みながら、頭の中で先を計算する。このペースなら、八百万まで二十週以上。しかも今週の稼ぎは、割のいい依頼を俺が片っ端から取った結果だ。来週も同じだけ受けられる保証は、どこにもない。
「このままじゃ、無理ね」
財布を閉じた。まともに働いて800枚。やってられん。
となれば――。
「ダンジョンか」
考えは、自然とそこへ行き着いた。深い階層まで潜れば、珍しい魔導具や素材が出る。一つで金貨数百枚、運が良ければそれ以上に化ける事もある。もちろん、何も持たずに帰る奴もいるし、そもそも帰ってこない奴もいる。危ない橋だ。だが、何年もちまちまと稼ぐより、よほど現実的に思えた。
前世で賭け事に手を出す奴らも、こんな気持ちだったのか?と思った。
◆
依頼ボードの前で、どのダンジョンに潜るかを考えていた時だった。
「なんだい、辛気くさい顔して」
聞き慣れた声がした。振り返ると、グランティアが立っている。トラペジアの代表で、俺の元雇い主だ。
「何をそんなに悩んでるんだい?」
「金よ、お金」
「身も蓋もないねぇ。いくらだい?」
「800枚」
「銀貨?」
「金貨」
グランティアの眉が、ぴくりと上がった。
「……何を買う気だい」
「欲しい魔法があるのよ」
「ああ」
それだけで納得された。
「クリスが言ってたやつかい。思考加速だったか」
「知ってるの?」
「あたしを誰だと思ってるんだい」
そう言って笑う。まったく、この女には隠し事ができる気がしない。
「で、金貨800枚欲しいのかい」
「そういうこと」
「なるほどねぇ」
グランティアが腕を組んだ。しばらく俺の顔を眺めていたが、ふと、その笑い方が悪い方へ変わった。
「なら、いい仕事があるよ」
「いい仕事?」
「ああ」
一歩、こちらへ寄る。
「先に言っとくけど、楽じゃないよ」
「楽したい訳じゃないわ」
「危ないよ」
「今さらね」
「それに――」
そこで一度、言葉を切った。
「礼を言われるような仕事でもない」
俺はグランティアを見た。金になって、危険で、その上、感謝もされない。ろくでもない匂いしかしない仕事だ。
「で?」
続きを促す。グランティアが笑った。
「金貨800枚」
「――」
「それだけじゃないよ。今のあんたなら、たぶん、いい修行にもなる」
金と、強さ。欲しいものを二つ並べられて、断る理由が見つからない。
「聞かせて」
俺がそう言うと、グランティアは満足そうに口の端を吊り上げた。
「そうこなくっちゃね」
◆
金貨800枚。
ようやく、そこへ続く道が見えた。
少々ろくでもない道らしいが――まあいい。
まともに稼いで四百回クエストをやるよりは、よっぽどマシだ。
私はグランティアの後を追った。
38話・了
第一章・完
※第一章完・次回第二章第一話(39話)の更新は8月25日AM4:00を予定しております
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
「続きが読みたい!」「面白かった!」と思っていただけたら、
ページ下部にある**【★★★★★】評価や【ブックマーク】、【いいね】**を押していただけると更新の励みになります!
特に★評価とブックマークは作品のランキングに直結するため、応援していただけると本当に嬉しいです!




